エンジェル・ハート 4
「人間みたい」
つんと濡れた鼻先を指先で弾くと愛理は僕を抱き上げてくれる。
梅雨空を思わせるどんよりとした雲の隙間から薄日が差し込んでいた。
真ん丸い、ぬいぐるみでも見つけたのだろうか。
「はい、ぱんち、パンチ!」
両手を前に後ろに、
目を細めたまま僕は愛理のお遊びに付き合う。
首に巻かれたリボンは首輪ではない。ビニール製の紐だ。
あの時、けっしてはぐれないようにと、両手首に強く結びつけた紐がまだ残っていた。
「エッジ」
ベッドに寝転んだ愛理は僕を宙に浮かせる。と、また遊びだしている。
見下ろす愛理の顔立ちは、あの日と変わらない。両手を上に待ち上げた腕が前後する。今度は飛行機のようだ。
薄日が差す木漏れ日のなかで僕は愛理を見続けた。幼かった顔立ちが大人の女性にさま変わりしても愛理はやっぱり愛理だ。
愛理を初めて見たとき、とっても大事なものを見つけた気がした。
英次《えいじ》として生きた日々は、いつでも思い返すことができる。
だけど、あの人と過ごした六年の歳月は所々、なぜだか、抜け落ちていた。
数日だったと思えるほどに記憶が危うい。
きっと膨大な月日、あの人にずいぶんに、問いかけた気がする。もしかしたら浩太と出会っていたのかも知れない。
あの人は僕になにを伝えたかったのだろう。
もし浩太と出会っていたら、浩太は僕を見てどうしたのだろう。もしかしたら、僕は渾身の一発を食らっていたのかも知れない。
*
葉桜の袂に眠る命がある、
あの人は、けっして悲しんではいけないとだけ言った。
確か、確か、そう。
意味あるべき命であったとだけ言ったはず。
愛理が眠りについた夜、僕は辞書を開いていた。
疎まれる、意味あるべき――
疎むは嫌われる。
意味とは理由であり、目的でも気持でも意義でもある。
どんな解釈にも使えそうな言葉だと僕は思った。
あの人はなにを伝えたかったのだろう。
月夜の晩、葉桜の袂に眠る命に聞いてみたいことがあった。
静かな夜だ。
葉桜の袂に座り込むと雨だれを数えた。
「一つ、二つ、三つ」
スミスが与えてくれたパンが綺麗に三等分されていく。