ここ、どこ?
気づいた時、真白は自分がどこにいるのか、まるでわからなかった。
不意に足元が崩れ、目眩でも起こしたのかと焦ったのは覚えている。
つんのめったというよりは、足元の地面が抜けたような感覚。
転ぶ。そう思って反射的に身構え――……気がつけば、真白は見知らぬ部屋の中で呆然と座り込んでいた。
「ここ、どこ……?」
状況が飲み込めず、薄暗い部屋の中をぐるり見回す。
まるで見覚えのない部屋だった。
石造りの床と、その上に敷かれた毛足の長い豪奢な絨毯。
部屋の中央に据えられているのは、おそらくは一枚板で作られたのだろうぶ厚い机だ。無造作に放り出されている薬研や乳鉢といった、漢方薬屋で見かけるようないくつもの道具。
壁際にはアンティーク調の立派な飾り棚が並び、見事な細工物や美しく装飾されたガラス瓶、装丁の凝った書物など――素人目に見ても値が張りそうだとわかる品物が、ぎっしりと納められている。
加えて、正面にある重たげな木製の扉に吊されているのは、細かな模様がびっしりと刺繍された重たげなタペストリーだ。
映画のセットかなにかのような、まるで現実味のない室内。
違和感に眉をひそめつつ部屋の奥へと視線を向ければ、ぱちぱちと薪をはぜさせながら燃える、煉瓦作りの暖炉までがある。
(残業で遅くなって、終電ぎりぎりで電車に飛び乗って――駅前通りの商店街を歩いていたはずよ……ね……?)
重たげな木製の扉以外、三方すべてが石壁で囲まれた部屋の中で、真白は大きく首を傾げる。
どこをどう見回しても真白が転がり込めるような自動ドアもなければ、大きく開け放たれた店舗の出入り口もない。
あるのは明かり取り用の小さな窓だけだ。
真白が歩いていたのは昔ながらの古びた店舗ばかりが連なる、狭く小さな商店街だ。毎日通っていれば、どこにどんな店があったかくらい、嫌でも覚えている。
こんな、暖炉のあるような洋館――いや。中世のお城を連想させるような建物。商店街のどこにもありはしなかった。
「なんなの、ここ……」
ひとつきりしかないランタンの 灯りは室内のすみずみまでを照らしきれず、ところどころに闇を抱えている。
それでも、ここが商店街にあるどこかの店の中でないことだけは、いやでも理解できた。
薄闇の中にぼんやりと浮かび上がる緻密な意匠の施された室内の重厚な雰囲気や、さも高級そうな家具や調度品。嗅ぎ慣れない薬草の匂い。
慣れ親しんでいるものとはまるで違う空気に呑まれ、真白は知らず、己の身体を両腕できつく抱きしめる。
ぱちぱちと音をさせながら暖炉で揺れる、暖かな焔。
手のひらをついた絨毯の、使い込まれたとわかる毛足の感触。
なにもかもがリアルすぎて、ひょっとしたら帰路を急いでいたというのはただの思い込みで、実はなんらかの理由で記憶が抜け落ちてしまったのではないか。
そんな考えに支配されかけた真白は、けれど。
(わたしの……バッグ……)
床に散らばる自分の荷物を見つけ、震える手でそれらを掴む。
大振りのショルダーバッグは、真白がいまのいままで、商店街を歩いていたという証拠だ。