点火
「……なあに、それ」
遠くの空が赤く染まり始めるころ、僕と彼女は石畳の階段を登っていた。
一人分しかスペースのない急斜面の階段を、僕らは縦に並んで歩く。
僕の前を行く彼女はあついあついと愚痴をこぼしながら、時折僕の方を振り返っては言葉とは裏腹に楽しげな表情を僕に向けた。
とつとつ、とつとつと。思いのほか軽快に彼女は上へ上へと進んでいく。
白いスカートが僕の視界にちらちらと揺れて、思わず伸ばしそうになる手をぐっと握りしめた。
「うん?」
動かす足はそのままに、僕の問いに対して彼女が顔だけをこちらに向ける。
前も見ずにずんずん進む彼女がつまづきやしないかと内心ハラハラして、心許ない自分のひょろひょろな両腕を前に差し出しながら目線を彼女の左手に移す。
正確に言えば、彼女の左手に握られている大きなビニール袋の方に。
「ああ、これ?」
言いながらなおも僕の顔をにこにこ笑顔で見つめてくる彼女に、いいからとりあえず前を向いてと訴える。
彼女はからからと笑って、それから心配性だなあと目を細めるとおとなしく進行方向へと向き直ってくれた。
ほっと胸をなでおろした僕は、そうと彼女の問いに肯定する。
「これはねえ……んー、おたのしみ?」
「なんで疑問系なのさ」
すかさずつっこみを入れた僕に彼女はふはっと吹き出すように笑った。
「いやー変わんないねえ」
「なにが?」
「君のその、ちょっと冗談が通じなくて、真面目なトコロ」
「悪かったね、堅物で」
「違うよ、褒めているの。私は君のそういうトコロが好きだなあって」
「……そう」
ほんのりと自分の頬が熱くなるのを感じながら、石畳に目線を落とす。
今の僕の顔を彼女に見られたくはなかった。
夕日のせいにしてもきっと誤魔化しきれないくらい、僕の頬は赤く染まっているだろうから。
それっきり何も言わなくなった僕の様子に、彼女は息を吐くように笑った。
その小さな笑みに気づけるのは、僕が彼女の真後ろを歩いていたからだ。
反撃とばかりに僕は彼女への想いをぶつけてみる。
これくらいは許されるかなと思いながら。
「君も、変わってないね」
「えー、そうかなあ?」
「君はいろんな笑い方ができる。君がいつも笑ってくれるから、僕はそれだけで救われていたんだ」
「……へえ」
今度は彼女が黙る番だった。
僕の口元が自然と弧を描く。
彼女のようにきれいに笑えている自信はないけれど、それでもこんなふうに僕が笑えるようになったのは紛れもなく彼女のおかげだった。