第十六話:ドラゴンを飼うメリット④
ドラゴンは幻獣の王だ。
今となってはグルメ御用達のお肉みたいになっているが、かつてドラゴンは伝説に謳われる存在だった。今も残る神話や英雄譚のほとんどにはその存在が敵や災害やあるいは頼りになる味方として登場する。
朱里はまだ幼体だが、その力は決して侮れるものではない。
成長し身体も大きく重くなってきたし、その鉤爪も牙もナイフのように鋭くて、俺がもし朱里に親としてみなされていなかったら間違いなくその存在は脅威だっただろう。実際にこの目で見たことがあるわけではないが、その上に毒も持っているというのだ。そのあたりにいる魔物なんかより余程危険と言える。
竜騎士という存在がある。ドラゴンを使役しそれを馬のように乗りこなし戦うとされる騎士だ。
数ある騎士の中でも特別エリートであり、数は少ないがその力は他の一般的な騎士の百倍とも千倍ともいう。
何が言いたいかというと、竜は今でも一般的にとても強力な存在として認知されているという事だ。
俺はお行儀よく読書する朱里を見てそのイメージを逆手に取ることを思いついた。
そりゃ、朱里は俺の命令は良く聞く。きっと町の外に出て魔物を倒すように命令すれば俺の代わりに魔物を倒してくれる事だろう。
魔物の死骸は高く売れる。クウリの営んでいるような素材売買の店に売ってもいいし、国でも買い取りをしている。まだ朱里は小さいが、これからどんどん大きくなりその力も増していくだろう、上手くやれば朱里の養育費を完全に賄える可能性だってある。
だが、この獰猛なドラゴンに血の味を覚えさせるのは不味い。彼女には今まで既製品のカリカリしかくれていないのだ。野生に戻ったらどうなるか……。
俺は朱里にある程度慣れていたが、まだ朱里を信頼していなかった。
別に借金があるわけでもないのだ。面倒な方を取ることもないだろう。
クウリがこちらを凝視する中、俺はポケットの中から一本の木の枝を取り出した。朱里の視線がそれに釘付けになる。
「見てろよ」
クウリの返事を待たずに、俺はそれを大きく上に投げた。
くるくるの木の枝が回転して天井近くに飛ぶ。朱里が首を傾げてそれを追い、頂点に達して少し下降した瞬間に大きくジャンプした。
「おー……」
クウリが目を丸くする。
朱里の口がその木の枝をキャッチし、べたりと床に着地する。数十キロの朱里がどたばたしたので部屋が軽く揺れた。
朱里はそのままぺたぺたと歩き、俺の側まで来て咥えた木の枝をこちらに差し出す。
「どうよ? 芸を仕込んでみたんですが」
「……クジョ―くん、まさか暇なの?」
しばし沈黙の後、呆れたようにクウリが言う。
おかしいな……思っていた反応と違う。もっと驚かれると思ったのに。
朱里から枝を受け取り、その頭をよしよしと撫でてやる。きっとドラゴンに触ってみたいのだろう、クウリはそれを羨ましそうに見ていた。
実はこの芸、見かけ程簡単ではないのだ。何しろ、朱里の牙は犬なんかよりも余程鋭いしその顎の力もまたそれに準じる。初めは噛み砕いていた枝を砕くことなくうまいことキャッチ出来るようになるまでは何度か試行錯誤が必要であった。
だが、外から見る側からしたらそんなのは関係ない事なのだろう。
本題に入る。あまり頼りになりそうにないが、一応クウリは経営者なのだ。意見を聞いておきたい。
「大通りかなんかで芸をやらせて金を稼ごうと思ったんですがどうでしょう?」
「……お金に困ってるなら、うちで雇ってあげようか?」
暗にあんた馬鹿? と言っているようだ。
だがそれは趣旨に反する。別に俺は金に困っているわけではない。
俺は可哀想なものでも見るような眼を向けてくるクウリから視線を背け、指を鳴らした。
今の芸は序の口だ。本命は……ここからッ!
「朱里、玉乗りだ」
§ § §
「クジョーくん……サーカスでも入ったら?」
すべての芸を見たクウリの表情はしかし変わらなかった。
玉乗りドラゴンは勿論、本を読むドラゴンやバク転ドラゴンなどすべて見た上での評価である。それはきっと、サーカス団に入れば稼げるんじゃないというポジティブな意味ではないだろう。
朱里がきらきらした眼で俺に首を押し付けてくる。どうやら遊んでもらえたと思っているらしい。
俺はポケットから、ご褒美用に購入した特別なかりかりを出して無言で床にぶちまけた。
「ダメですか」
「……凄いと言えば凄いけどね……普通ドラゴンでそんな事しようとか思わないだろうし」
クウリがテーブルに並んだ写真を見る。魔導カメラで撮影した朱里の写真だ。玉乗りドラゴンや読書ドラゴンの写真。
ブロマイドとして売れるかもしれないと思って数枚撮影した。家庭用のカメラなのであまり質は良くないが、もし売れそうなら業務用の魔導カメラを買うつもりだった。
しかし……買わなくて本当に……よかった。
とても楽しそうに写真を見たクウリは最後にこちらを見てニコリと笑う。
「私にはペット自慢してるようにしか見えなかったかなぁ……」
「火の輪とかも潜らせようと思うんですよ。道具が必要なのでまだ試せていませんが」
「それサーカスじゃん。本格的にサーカスじゃん?」
確かに……サーカスかもしれない。少なくとも道端で行うようなものではないだろう。
「そもそも、道端で芸をしたところで大した額稼げないと思うけど?」
「……それもそうか」
クウリの言うことはもっともである。
確かに。たとえ万が一、芸をするドラゴンが大人気になったとしても、稼げる額はたかが知れるだろう。
エサ代も賄えるかどうか……。
眉を顰める俺にクウリが追い打ちをかけてくる。可愛らしい顔をして容赦ない女だ。俺は初めてクウリの商売人としての面を見た気がした。
「それに、道端で物を売るのにも許可がいるし……確かパフォーマンスするのも許可が必要だったはずなんだけど……」
苦い表情で聞きに入る。どうやら考えが足りなかったようだ、クウリの言うことは改めて考えてみるともっともなことばかり。
多分面倒な手続きはカヤがやってくれるはずだが……本を読むドラゴンに惑わされてしまっていたのか。
そして、クウリが根本的な指摘をした。
「おまけにドラゴンってすぐ大きくなるはずだから……」
「……あー……」
かりかりをぽりぽりやっている朱里を見下ろす。完全に忘れていた。
確かに、今の朱里ならばともかくこれ以上大きくなったら玉乗りなんて出来ないだろうしそもそも通行人の邪魔になる。下手すれば捕まってしまうかもしれない。
「……」
「あ……で、でもでも。私はとても面白いと思ったよ? ドラゴンの玉乗りなんて初めて見たし!」
虚しくなるから慰めないでくれ、俺は落ち込んじゃいない。
何しろ商売に出る前にダメな事に気づいたのだから。時間と玉が無駄になったくらいだ。
カリカリを食べ終わった朱里がこちらをつぶらな瞳で見上げている。俺は足先をその腹に下に入れて、朱里をひっくり返した。
そのまま柔らかい腹に足裏をぐにぐにと押し付ける。あー、無駄な時間使っちまった。
「ちょ……クジョーくん!?」
「あー、大丈夫です。喜んでるんで」
「え……ホントだ……。随分慣れてるね……」
「生まれた時からの付き合いなので」
朱里が身体をよじらせる。しかし、その尻尾は大きく振られていた。気持ちいいのかあるいは遊んでもらって楽しいのか、俺にそれを知る術はない。
クウリがその様子をうずうずしながら見ているがお前がやると多分噛みつかれる。うちのお嬢様はこれでいてなかなかプライドが高いのだ。
その時、クウリがまだ手に写真を持っていることに気づく。
「その写真、あげましょうか?」
「え? いいの?」
ブラウンの眼がきらりと輝いた。
欲しいのか? 本当に欲しいのか? 売ろうとしていた俺が言うような言葉ではないが、そんなものどうするつもりなんだ?
少なくとも俺はいらない……って……。
クウリの手の中の写真をやるせない気分で見る。
自分がいらないものを売ろうっていうのがそもそも間違っていたよなぁ……。
「あげます。もういらないんで」
金にならない朱里の写真なんてゴミのようなものだ。
「……売れないと分かった途端にドライだねえ」
「俺、別にドラゴン好きでも嫌いでもないので。食肉としてドラゴンには興味がありますが」
「うわー……」
クウリが若干頰を引きつらせる。張本人は俺の言葉を聞いているはずなのに何ら変わった様子を見せない。
ドラゴンが好きでも嫌いでもない俺の前で卵が孵ったのは本当に質の悪い冗談だとしか思えない。もうけっこう飼っているが俺のドラゴンへの評価はあまり変わっていなかった。
「いらないなら捨てますが?」
辛気臭い表情をしていたのでそう言うと、クウリは慌てたように写真をかき集めた。
しっかりとまとめて、心持ち高い声で言う。
「い、いるよ! もらうよ…! 店に飾ろっかなぁ……ありがとう!」
「ういー」
店に飾るのか。本当にそれでいいのか?
というか、そんなに喜んでくれるってことは、写真、クウリになら売れるんじゃ……。
いや、クウリ一人に売ったところで売上などたかが知れてる。写真の一枚二枚に高額の値段をつけるわけにもいかないし、諦めるのが吉なんだろうな。
本当に嬉しそうにクウリが笑う。正直、眼福であった。写真撮ったかいがあったと思えるくらいに。
きっとこのあたりでとどめておくのが賢い人間のする事なのだろうなぁ。
そんな事を考えていると、ふと腹から情けない音が上がる。
そこでようやく腹が減っていたことに気づいた。
朱里に芸を仕込むのに夢中でご飯食べるの忘れてた。特に今日はカヤも来ない日だから……。
音に気づいたクウリが、何度か目を瞬かせおかしそうに俺を見上げる。
「あれ? クジョーくん、お腹空いてるの?」
「……朱里に芸を仕込むのがなんか面白くて、食べるの忘れてました」
お手やお座りはともかく玉乗りも出来るようになったのは予想外だった。
次はジャグリングを仕込むつもりだったが(本のページを捲れるなら多分いけるだろう)、もうやめた。
今日はカヤが来ない日だったので、調理抜きで食べられる物を買ってきてある。
しかし、朱里の方が絶対美味いもの食ってるよなぁ……俺もカリカリをかじってみるべきか?
そんな事を考える俺に、クウリがきょとんとした表情でしばらく沈黙し、やがてぽんと手を打った。
「そうだ、写真のお礼に、私がご飯作ってあげるよ。どうせクジョーくん料理とかできないんでしょ?」
「決めつけられるのは心外ですが出来ません」
だが、目の前の少女も、今までの言動見るにとても料理出来るようには見えない。大体、その身長じゃうちのキッチンに立つの難しいんだけど。
俺の疑問をよそに、クウリが満面の笑顔で胸を張ってみせた。思わずその笑顔に見惚れ、足に強く力を入れてしまう。
朱里がうぎゅうと変な声で鳴いた。
「じゃーキッチン借りるね?」
「あ……はい……」
クウリが浮かれたような足取りでキッチンの方に向かう。食材はあったはずだけど、果たして食べられる物が出て来るのだろうか。
朱里が足の下からはいでてきて抗議するように足元にすがりついてくる。
朱里の芸は金にはならなさそうだったが、なんだかんだ可愛い女の子に手料理まで作って貰えるのだから苦労したかいがあったといえるのかもしれない。