31.矜持
「ところで、お父様はこの一連の話に、どう絡んでくるんですか?」
「王都でナジェスタ司令官とルーバンス公爵の内約の証拠を掴んだ所までは、話しただろう?」
「はい」
「その直後、ファルス公爵は国王陛下と宰相閣下に願い出て、私兵を動かす許可を頂いたんだ。例え公爵家と言えども無許可で兵を動員したら、処罰の対象になるからね」
「はあ、なるほど」
要するに筋を通したのかと納得し、相槌を打ったエリーシアだったが、次のシュレスタの台詞を聞いて怪訝な顔になった。
「因みに派兵の理由は『遠征軍への糧食補給、並びに司令官への至急の伝令』だそうだ」
「え? だって糧食って……、足りてますよね?」
そう確認を入れた彼女に対し、シュレスタは小さく溜め息を吐いてから、裏事情を説明する。
「だからそれは、単なる方便なんだ。それに纏まった人数が移動すると人目に付いて、そこからルーバンス公爵家に知られた場合、また何かよからぬ事を企みそうだから、ファルス公爵は予め魔導鏡で連絡を入れた上で王都を十数騎で出て、ファルス公爵領内で集めておいた私兵でこちらに向かったそうだ。それで実質王都からこの国境付近まで、三日で駆け抜けて来たそうだから、大したものだよ」
そう言ってシュレスタは一人で「うんうん」と頷きながら感心していたが、エリーシアはここで驚愕の叫びを上げた。
「王都からここまで三日!? どうしてそんなに、日程を短縮できるんですか?」
「ファルス公爵領は、王都から西方国境地帯へ向かうルートの途中にある。公爵家はここ暫く中央社交界からは距離を置いていても、近隣の領地を治める家とは親しく交際していたから、王都出立前に各家に連絡を入れて、行く先々で必要数の変え馬を準備して貰ったそうだ」
「そういうわけですか……」
感心した様に呟いた彼女に軽く頷いてみせてから、シュレスタは話を続けた。
「それで公爵が密かにこちらに合流して、モンテラード司令官と打ち合わせをした上で、自身は手勢を率いて君達の部隊の救出に、司令官は第五軍を適当に動かして膠着状態を長引かせつつ、公爵達の存在を遠征軍内部にも知られない様に振る舞っていたんだ」
そこでエリーシアが、思わず口を挟む。
「ちょっと待って下さい。司令官はお父様達の部隊に、私達の救出をお願いしたんですよね? それなのにどうして、その存在を隠す必要があるんですか?」
「表向きはそうなっていないんだ」
「はい?」
「公式発表は『王都から糧食を運んできた部隊が、偶々道に迷ってレストン国側に迷い込み、偶々そこで敵軍と遭遇して止むを得ず応戦して撃退したら、偶々至近距離で敵軍と交戦中だった友軍部隊の中に王太子殿下がいらした』となっているんだ。加えて糧食移送部隊は非戦闘要員だから、軍内にも存在を周知徹底させる必要が無いという建て前になっている」
そんな事を真面目くさった表情で淡々と説明されたエリーシアは、心底呆れて絶句してから、棒読み口調でシュレスタに申し出た。
「……すみません。余りにも白々し過ぎる内容に、ちょっと笑いたくなってきました」
「うん、その気持ちは分かる。この場には他に誰も居ないから、好きなだけ笑って構わないぞ?」
「そうですか。それでは遠慮無く。あははははは……、はぁ……」
力無く乾いた笑いを漏らしたエリーシアだったが、すぐに虚しくなって笑うのを止め、疲れた様に溜め息を吐いた。そんな彼女を気の毒そうに見下ろしながら、シュレスタが申し訳無さそうに告げる。
「近衛軍としては、軍内部の問題解決に一貴族の私兵を使ったなんて事が公になったら、面子丸潰れだからね。糧食の運搬と伝令の役目を済ませたファルス公爵は、すぐに王都にお戻りになったよ」
「そうなると、実質的に王太子殿下や私達を救出してくれた、お父様の功績はどうなるんですか?」
「表向きは、さっき言った事情だから。戦場で迷って敵軍と遭遇するなど、本来もってのほかなんだ」
「そうですか……」
異変を察知して自ら手勢を率いてここまで駆け付けてくれたにも係わらず、裏方に撤して早々と引き上げたアルテスに対し、お礼も謝罪も出来なかったとエリーシアは密かに落ち込んだ。そんな彼女の内心を読んだ様に、シュレスタが静かに言い聞かせてくる。
「エリーシア。ファルス公爵は真の忠臣だ」
「はい。私もそう思います」
「自身の出自や地位を誇るだけではなく、それに見合った義務を果たし、その為の努力を怠らない方だ」
「その通りです。だからお父様の事を尊敬しています」
「君も、その公爵の娘として、今回立派に務めを果たしたな」
「それは……」
それまでは自分の言葉に素直に頷いていたエリーシアが、ここで口ごもってしまった為、シュレスタは怪訝な顔になって問いかけた。
「うん? どうかしたのか?」
その問いかけに、彼女は少し逡巡する素振りを見せてから、静かに言葉を返した。
「この間、ずっと頑張って、平気な顔をしていましたけど……。私本当は、もの凄く怖かったんです。頭では分かっていたつもりです。戦場に出向くんだって。下手をすると、いいえ、下手しなくても人の生き死にの真っ只中に、存在する事になるんだって」
頭の中の自分の考えを纏めつつ、しっかりとした口調で告げてくるエリーシアに、シュレスタも重々しく答える。
「恐怖を覚えた事は、恥でも何でもないさ。君は今まで、戦闘とは無縁の生活をしていたんだから。私だって最初の従軍の時は、怖じ気づいたものだよ」
「それ以上に、今回私のせいで、予想外の揉め事まで引き起こしてしまいました。その挙句に、お父様にまで迷惑を……」
「あれはどう考えても、逆恨み以外の何物でも無いな。それに公爵は迷惑だったなど、微塵も考えない筈だよ?」
「どうして分かるんですか?」
「この髪かな?」
「え?」
戸惑うエリーシアの顔の横に手を伸ばしたシュレスタは、レストン軍から追撃されている最中に彼女が自ら切り落とし、肩に付くか付かないかの長さになった、長さの揃っていない銀髪を軽く摘まんだ。そしてすぐに手を離して、先程の発言の理由を説明する。
「私もこんなに短く切ってしまったなんて思っていなかったから驚いたが、ファルス公爵が君に遭遇した時には、私以上に驚いた筈だよ? 特に貴族社会の女性は、髪を長く伸ばすのが普通だから。というより、短髪の女性などありえないからね」
「……そうですね」
その事実を指摘されて、更に落ち込みそうになったエリーシアだったが、シュレスタは顔を綻ばせて話を続けた。
「一つ聞くが、君が公爵に救出された時、公爵は『れっきとした公爵家の娘が、そんな髪など恥さらしな!』とか言って、君を怒ったかい?」
「いいえ、そんな事は全く。無事かどうか確認されただけで。でも状況が状況でしたから、そんな事で一々怒っていられなかったんですよ」
注意深くその時の事を思い返しながら述べたエリーシアだったが、その主張にシュレスタは首を振った。
「そんな事はないよ。本隊と合流した後、君が気を失っていたから、公爵はアクセス殿に尋ねたそうだ。『娘の髪は、誰かに切られたのですか?』とね。それでアクセス殿が、『そんな事で公爵令嬢の髪を切らせるとは許しがたい』と叱責されるのを覚悟で、正直に事情をお話ししたんだ。そうしたら公爵は、何て仰ったと思う?」
思わせぶりに問いかけてきたシュレスタに、彼女は困惑顔で問い返した。
「何て言ったんですか?」
「彼は『それで陛下の兵が、散り散りにならずに済んだのなら重畳。娘は実に良い働きをしました。最後に気を失うなど言語道断ですが、私に免じてお許し下さい』と、逆に頭を下げられたんだ」
「え?」
信じられない思いで軽く目を見開いたエリーシアに、彼はしみじみとした口調で言葉を継いだ。
「君は公爵に、もの凄く大事にされているね。そしてそれ以上に一人の魔術師として、その力量を認められている。だから公爵は君が王宮専属魔術師として、近衛軍を守って職務を全うした事を、誇りに思っているよ?」
その言葉一つ一つが、自分の胸の中に染み渡る心地を覚えたエリーシアは、嬉しくて泣きそうになる気持ちを堪えながら、言葉を返した。
「良く分かりました。本当にありがたいと思っていますし、嬉しいです」
「あのファルス公爵の下でなら、君はこれからも思う存分実力を発揮させて貰えるだろうし、口さがない貴族連中にも文句の付けようが無い貴婦人になれるだろう。私が保証するよ?」
そこで茶目っ気たっぷりに、シュレスタがウインクしながら言ってきた為、エリーシアは思わず涙が引っ込み、真顔で考え込んでしまった。
「魔術に関してはそうでしょうが、貴婦人はどうでしょうか? 未だに公爵家の一員としての意識が薄いですし、色々な面でがさつなんですが」
「私達は魔術師だ。魔術の探究が第一だから他の事は二の次で良いと思うし、エリー位突き抜けた力量の持ち主だったら、他の事が疎かになる位で丁度良いと思うんだが」
「……どう返せば良いか、困るコメントです」
微妙な表情と口調の彼女に、シュレスタは一瞬笑い出しそうになったものの、なんとか真面目な顔を取り繕って穏やかに言い聞かせた。
「今回君はファルス公爵同様、立派に働いたよ? 誰にも恥じる事は無い。だから胸を張って王都に帰りなさい」
「分かりました」
そこでエリーシアが、何の迷いも無い笑顔で頷いた為、シュレスタもホッとして話題を変えた。
「さて、これで遠征は無事終了したし、王都に帰還したら私は心置きなく引退して、魔術師養成院の院長職に就けそうだ」
何気なく彼が口にした今後の予定を聞いて、ここで何を思ったかエリーシアが身体に掛けられていた毛布を跳ね上げ、勢い良く上半身を起こしながら叫んだ。
「シュレスタさんは、今度魔術師養成院の院長に就任予定なんですか!?」
「あ、ああ。それがどうかしたのかい? エリー」
「下の弟が来年、魔術師養成院に入るんです! 宜しくお願いします。ロイドはなかなか筋が良いんですよ? 私が渡した昔使っていた魔術書も、難無く読みこなして術式も構築起動できましたし。それで」
戸惑うシュレスタに、エリーシアは頭を下げてから嬉々として弟自慢を始めた。当初呆気に取られて聞いていたシュレスタだったが、すぐに笑いを堪える表情になって片手で口元を覆う。それを見たエリーシアは、相手の異常に気が付いて怪訝な顔を向けた。
「あの……、私、何かおかしな事を言いましたか?」
「いや、咄嗟に『弟を宜しく』なんて台詞が出てくるんだから、君は立派にファルス公爵家の一員だと思ってね。弟と言うのは、ファルス公爵の御子息の事だろう?」
「はあ……。あの、えっと……、ロイドは良い子ですし」
ニコニコと確認を入れてきたシュレスタに、彼女は何となく照れ臭そうに視線を逸らす。彼はその頭に手を伸ばし、軽く撫でながら穏やかに微笑んだ。
「大丈夫だ、エリー。今のまま精進すれば、君は我が国を代表する立派な魔術師で、誰にも引けを取らないレディーになれる。これからも出来る事を一つずつ、頑張りなさい」
「はい、精一杯努力します」
そして「もう少し休んでいなさい」と、再び寝かされたエリーシアは、何か食べる物を取ってくるからとシュレスタが席を外してから、一人天幕の天井を見上げながら考えを巡らせた。
(私が行方不明になった話、公爵家の皆やシェリルにも伝わってるわよね?)
さぞかし心配をかけただろうと思い、エリーシアは少し気が重くなった。しかしそれ以外の感情も、心の内に存在している事を自覚する。
(お父様が皆に、無事だと伝えてくれたとは思うけど……。王都に帰ったら、全員からお説教確実よね)
こぞって説教される事を想像して若干気が滅入ったものの、それ以上に叱りつけてくれる家族が自分に存在している事を彼女は心から嬉しく思い、幸せな事だと実感したのだった。