13.出陣式にて
西部国境地域への出立日。執務棟の前の広い前庭で、国王を始めとする王族と、主だった文官武官が勢揃いしての出陣式が執り行われる事になったが、見送る側としてそこに出向いた王宮専属魔術師長のクラウスは、年若い部下二人の出で立ちを見て深々と溜め息を吐いた。
「エリー、サイラス……。確かに私は、できうる限り最大限の自衛策を講じる様にと言ったがな?」
「すみません。確認不足でした」
「道中、なるべくフォローしますので」
ガルストとシュレスタが上司に向かって神妙に頭を下げる中、普通の人間には分からないまでも、見る者が見たら分かる程度に、頭のてっぺんから足の先まで簡略術式を仕込んだ物で固めてある二人は、幾分居心地悪そうに囁き合った。
「……何であんた、そんなに表を派手にしたわけ? 幾ら黒の刺繍だからって、目は真紅だし、爪は金って悪目立ちよ?」
従軍用の為、元は深緑色のサイラスのマントの表地には、でかでかと黒糸で争う竜と鷹が刺繍されており、派手では無いものの人目を引くこと間違い無しの代物だった。しかしエリーシアのその指摘に、些か気分を害した様にサイラスが反論する。
「そうすれば表にだけ目がいって、裏に気を留める奴はいないだろうが。大体人の事を言えるのか? 何だ、その内側のアホな原色パッチワークは? お前にだけは文句を言われる筋合いは無いぞ」
自分のマントの裏側を、六色の布を無秩序に縫い合わせていたエリーシアは、その指摘に腹を立てた。
「斬新なモザイク柄と言ってよ! どうせ近くで見たらバレるんだから、わざと分かり易くしておけば、本当のところはバレないでしょう?」
「見解の相違、ここに極まれり、だな。俺には到底理解できん」
「二人とも、分かったから。要は隠し方の違いだけだろう?」
ガルストに宥められて、取り敢えず二人は言い争うのを止めたが、ここでクラウスが頭痛を堪える表情から一転、真剣そのものの顔付きになって言い聞かせてくる。
「二人とも。取り敢えず何か有ったら、相手が貴族だろうが何だろうが手加減するな。後始末は何とでもしてやる」
それに対し、二人は不敵に笑った。
「手加減なんかすると思います?」
「その節は、宜しくお願いします」
それに年長者三人が苦笑いしていると、その背後から冷やかす様な声が響いてきた。
「……おやおや、これは驚いた。レオン殿下が陛下の名代を務めての遠征だと言うのに、遊び半分の者がいるとは嘆かわしい」
(うわぁ、出発前なのに暇なのね、この人)
(早速来やがったか……)
それは以前エリーシアに絡んできた、認めたくは無いが異母兄であるところのウェスリーであった。近衛軍のいつもの白い制服では無く、行軍用なのか紺色の軍服を着込んだ彼を冷静に眺めたエリーシアは、彼に向かってにっこりと微笑んでみせる。
「あら? どこにそんな不届き者がいるのでしょう? 許せませんわね」
「貴様に決まってる。何だ? そのふざけたマントは?」
忌々しげにエリーシアのマントの内側を指差しながら非難したウェスリーだったが、彼女は心外そうに返した。
「まあ……、私、精一杯、皆様のお役に立つつもりで、準備して来ましたのよ?」
「どこがだ! そんな派手な模様。気でも違ったか!?」
「あら、どこぞの騎士様が万が一、弓で射るのを仕損じたり、手綱さばきを間違って落馬したり、敵に斬りつけられた時に、『あの馬鹿馬鹿しいマントが目に入ったせいでしくじった』と弁解できるかと」
「そんなわけあるか!」
真顔でエリーシアが述べたが、それをウェスリーは叱りつけた。それを受けて彼女が、いともおかしそうに笑う。
「そうですわね。よくよく考えたら、そんなヘマをする様な人間は、常にあちこちが気になってしょうがない、落ち着きがない方だと思いますし」
「普通に職務に勤しんでおられる方なら、魔術師のマントの模様など気にもされないでしょうね。ところで、向こうでそろそろ点呼が始まっている様ですが、行かなくても宜しいのですか?」
「……ちっ!」
合いの手を入れてきたサイラスがさり気なく少し離れた場所の方に顔を向けながら問いかけると、そちらの方に目を向けたウェスリーが、舌打ちして足早に去って行った。
それからはクラウスが幾つかの注意事項を二人に言い渡してからその場を離れ、いよいよ出陣式が始まる為、広場の片隅に二人並んで整列した。そして前列に並ぶガルストとシュレスタにも聞こえない程度に、声を潜めてサイラスが声をかけてくる。
「恐らく、そっちにも同じ様な物が入ってるんだろうな」
かなり言葉を省いた問いかけだったが、エリーシアは即座に応じた。
「こんな物、使わないに越した事は無いけどね」
「同感だ。しかしその剣はどうしたんだ? お前、武器は使えないだろう?」
武器の類は持って行くだけ無駄だと言っていた同僚が、立派な金銀の象嵌入りの剣を腰に下げていた為、サイラスは不思議そうに尋ねた。それに対し、彼女は悪戯っぽく笑う。
「鞘にファルス公爵家の紋章付きだから、これだけでも威嚇にはなるからって、前公爵にこの前渡されたの。それに実はこれ、剣じゃ無かったりするのよね」
そう言って「うふふ」と含み笑いをしたエリーシアに、「相当ろくでもない物らしいな」とサイラスは溜め息を吐いた。そこでエリーシアは、ある疑問を口にする。
「ところで、そのマントは私のと同様、元々は支給品よね? その刺繍、あんたがしたの?」
「いや、図案は任せろとソフィアが」
「ソフィア?」
「…………」
如何にもついうっかり、と言った感じでシェリル付きの侍女の名前を漏らし、慌てて口を閉ざしたサイラスを、エリーシアは生温かい目で見やった。
「へえぇ? ほうぅ? ふうぅん? この前、あの賭けについて『廊下ですれ違った時に聞いた』とか何とか言ってたけど、実際は違ったみたいね?」
からかう気満々のその笑みに、サイラスが僅かに顔を赤くしながらそっぽを向き、低い声で告げる。
「向こうは、親切心で声をかけてくれただけだ。『何か困っている事があったら、できる範囲で手伝うわよ?』って。遠征中にお前に何かあったら、賭けが吹っ飛ぶから、気合い入れて守れとさ」
「……不憫ね」
思わずぼそりと感想を述べると、再び向き直ったサイラスが、僅かに顔をしかめながら言ってくる。
「何も言うな。大体向こうは五つも上だぞ? まともに相手して貰えるわけ無いだろうが」
「あんた老け顔だし、ソフィアさんは童顔だし、そんな風には見えないけど?」
「……もうこの件については、一言も喋るな」
「はいはい。仰せのままに」
本気で怒り始めた同僚をこれ以上からかうのは拙いと判断したエリーシアは、大人しく引き下がった。しかし黙ったまま式の進行を伺いつつ、笑いを堪える表情で考えを巡らせる。
(口は悪いけど、性格はそれ程悪い奴じゃないし、戻ったらシェリルに頼んで仲を取り持ってみようかしら? こいつは嫌がりそうだけど)
そこでチラッとサイラスの横顔を眺めたエリーシアは、素早く決心した。
(でもこいつの嫌がる顔がみたいかも。決定。話をしてみようっと)
そんな少々意地の悪い事を考えながら、エリーシアは退屈極まりない出陣式をやり過ごしたのだった。