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「……おい」

 冷たい声を浴びて、シルヴィはようやく意識を引き上げた。

 とはいえ、眠っていたわけではない。真っ青だった景色が徐々に橙色に染まっていくのを、シルヴィの眼球は確かに知覚していた。その中に、動く影がほとんどないことも。

 ただ、彼の接近にすら気付かなかった程度には、上の空だった。

 シルヴィは振り返りながら、視線を上に向ける。

 船上でもっとも高い場所から、さらに上。

 夕日と夜が混じりあう空だけを背景に、一柱の天使がシルヴィを見下ろしていた。

 深い海の底のような、冷え切った青色の目。

 白い翼をぴくりとも動かさず、船とともに移動しているはずのシルヴィと一定の距離を保っている。

 フェリクス。

 神に命じられ、シルヴィの監視を担っている天使だった。

「随分気を抜いているな」

 その声に、感情は含まれていない。嫌味でも皮肉でもない、ただ事実を述べただけの言葉。だというのにシルヴィは後ろめたさを感じて、思わずフェリクスから目をそらした。

「……悪かったな」

「下の人間たちが気にしていたぞ」

 言われてシルヴィが視線を下ろすと、甲板でこちらを見ていた船員たちが慌てて各々の作業に戻っていく。ぽつりと残った次の見張り役らしい男だけが、手持ち無沙汰に目線を泳がせていた。

「ただの人間に、この距離で見抜かれた上に心配されるとはな」

「…………」

「お前にしては珍しい」

 うるさいな、と言おうとした声は、力なく掠れた。

 反論もできず、シルヴィは頭の後ろに手をやる。空振るような感覚。高く結いあげていた長い髪は、もうそこにはない。短く切りそろえた、指ですくほどでもない髪がただ下ろされているだけだ。

 暖色と寒色が混ざった空を見ながら、シルヴィは思い出す。

 枝に絡まった毛先を、丁寧にほどいていった彼の手を。その気配を。

 自分より強かった師を、〈悪使い〉より強い〈悪堕ち〉を乗り越え、殺して満たされていた向上心が、今は嘘のようにぽっかりとなくなっている。

 シルヴィは誓いを守った。狂気に堕ちたロランを越え、その手で殺したあの日で、ロランに関わる〈悪使い〉としての誓いは効力をなくしている。

 故に、ロランの死に喪失感を抱いても、もう〈悪堕ち〉にはなりえない。

 シルヴィの後ろで、息をのむような音があった。

「泣いているのか?」

「……見るな」

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