ハニートラップ！ ※魔女の甘い罠※

眉間に重い水晶玉を落とされ、棺の中で骸骨がガタガタと悶絶している。

「うぐぉぉぉぉぉッ！　み、眉間がぁぁ……！？」
「ががが、が、骸骨が動いてますわッ！？　あ、あぁぁ、か、神よ――」
「フィーちゃんッ！　何てことするんですかッ！　今日と言う今日は――」
「で、でで、でも実験は成功したからいいじゃない！？」

悪夢のような出来事に、涙目で腰を抜かしたテロール。
止めろと言ったのに続け、歴史財産の上に落した妹を叱る姉と、結果オーライだと主張する妹――。
締まらない主(あるじ)の目覚めだ……と、ブラードは呆れ顔でそれを見ていた。

「な、何て事をするんだお前ェッ！　俺の頭が割れたらどうするッ！」
「そうですよ、フィーちゃんッ！」
「お、起きてるのに、さっさと起きない奴が悪いのよッ！？」
「貴女方は何で平然としているのですの！？　骸骨がうう、動いているのですわよっ！？」

その言葉に、姉妹は思い出したように骸骨の方へ目を向けた。

「ん？　ああ、そう言えばそうね。目が覚めた？」
「おはようございます」
「あ、ああ、おはよう――」
「何ですのは……“魔女”って、頭のネジが飛んでますの……？」

呆れ顔のテロールの言葉に、寝起きの騒動が落ち着きを取り戻した。
おかげで彼女自身の、骸骨に対する恐怖も和らぎ、骨(・)ば(・)っ(・)た(・)手で眉間を撫で続けるそれをじっと観察する余裕も生まれている。
真っ赤なローブはあちこち色あせているものの、鮮明さは残しており、その地位がまだ健在である事を示しているようだ。
頭蓋骨の空洞は、空洞であるが空洞ではない……闇で満たされた不気味な目(・)を魔女姉妹に向けるや、カタカタと顎を動かし始めた。

「まぁ最後はどうであれ、よくここまで来た――。
　あまりに来(・)客(・)が少ないもので、少し危うかった所だ」
「やっぱり、この城館はアンタの生命維持装置だったわけね」
「ああ。まぁそのようなものだ」

そんな骸骨の下に、ブラードがちょこちょこと歩み寄って行った。

「おおっ、我が忠実なるしもべ〔ロード〕よっ！
　よくぞ言いつけを守り、<資格持つ者>をここに導いてくれた！」

骸骨は棺から身を乗り出し、ロードと呼ばれたブラードの頭を撫で始めていた。
主の目覚めと共に全てを思い出したブラードは、それに目を細め、嬉しそうに尻尾を振っている。

「<資格持つ者>って何なのよ？　と言うか、そもそもアンタは誰なのよ――」
「……む、知っていて来たのではないのか？
　我が名は〔ヴェリック・ヘル〕――“灰の魔導師”であるぞ」
「ヘル……ま、まさか、あの“ヘル姉妹”のご身内の方なのですか！？」

ミラリアは驚きの声をあげた。
そのファミリーネームは、彼女ら“魔女団”の始祖の名だったからである。

「うむ。黒の〔ヴィーラー〕、白の〔ヴィアンナ〕は我が姉だ」
「やっぱり、“灰の魔女”は最初からいたのね……。で、資格云々って何よ」
「うむ……それは、お前にある――ミラリア・クラフト」
「え……？」

ヴェリックと名乗った骸骨は、その骨の指をミラリアに向けた。
人差し指にはめられた鈍く輝く銀色の指輪が、ギラリ……と光っている。

「我が妻となり、我らが力――<ハイリッチ>の座を受け継ぐのだ。
　高位魔女(ハイウィッチ)のお前には、それを受け入れられる器を持っている」
「は、ハイリッチとは……まさか<魔女を統べる者>の……」
「ふむ、今ではそう呼ばれているのか。
　姉たちはどうしたのか分からんが、俺も力を継がさねばならん義務がある。
　ミラリアよ。お前は我が妻としてここに残り、その力を得よ。さすれば――」
「ダメよッ！　姉さん、こんな胡散臭い話に乗っちゃダメッ！」
「ふむ。これまでずっと居たのだから、別れが惜しいのは仕方あるまい。
　だが、ここまで来た事に対する褒美だ――お前はこれを受け取るがいい」

骸骨の右手が壁に向けられ、宙を掻くように腕が振られる。
すると――重い音と共に壁が動き、その裏に隠されていた金色の鎧が姿を現した。
それを見たセラフィーナと、テロールは驚愕の表情を浮かべ、口をあんぐりと開けっぱなしになってしまう。

「なっ……！？」
「こ、これって<黄金の具足>ではありませんの！？
　ですが、どうして発掘されたはずのまでここに……」
「王の物と、私に献上された物――二つ作られていたのだ。
　しかし、俺には不要な物……他の金銀財宝なども好きなだけ持ってゆくがいい。
　これは初期に作られた鎧。姉の代わりと思えば、寂しくはなかろう」
「つまりは、手切れ金(・)って事――ね」

セラフィーナはゆっくりとその部屋に足を向け始め、その具足の兜を手に取った。
しげしげと眺めるその目は金色に輝き、ふとその近くにある“扉の絵”を見やる。
温かい物が感じられるそれは、恐らく地上に戻るための物であろう――交互にそれを見つめている彼女に、テロールは“最悪の結末”を頭に浮かべた。

「セラフィーナさんっ！　それを受けとってはなりませんわっ！
　受け取ったら最後……もうミラリア様とは会えなくなるかもしれませんわ！」
「……テロちゃん、いいのですよ。フィーちゃん、行きなさい」
「ミラリア様！？　一体どうして――ッ！」
「我々の本来求めている物は同じでありますが、やはり全く同じものを求めるわけではありません。
　私は平穏な暮らしを……フィーちゃんは、財を……歩む方向に異なりを見せ始めたのです。
　それに、フィーちゃんは“魔法”はあまり得意ではないものの、ここに来て成長の片鱗を見せました。つまり……私の手はもう必要ない、独り立ちの時が来たのですよ」

ミラリアが淡々と述べる言葉を、セラフィーナは聞いているのか聞いていないのか分からない様子で、じっと金の兜を見つめている。
そんな様子に、テロールは声を荒げた。

「何を言うのですっ！　
　かつてほど優雅ではありませんが、わたくしは贅沢三昧してきた分かりましたの！
　金銀財宝などあっても満たされぬ……心の裕福、心許せる存在は得られないのですわっ！
　セラフィーナさん！　目を覚ましてくださいましっ！」
「……さいわね」
「え……？」
「うっさいわねっ！　私のやり方、私たちのあり方に文句言わないで頂戴っ！
　私には、私なりの生き方が、私なりの選択があるのよっ！」
「そ、そんな……」

セラフィーナは怒気を込めてそう言うと、ギッと他の皆がいる方向を睨みつけた。
その目はいつも見る彼女の目ではなく、欲に満ちた者の目である。
骸骨やミラリアは、そんなセラフィーナに『やはり……』と小さく頷いた。
手にした兜から手を離すと、それが地面に向かって落ちてゆく。

「――これが、私の返事よッ！」
「きゃあッ！？」

ガンッ――と、セラフィーナは宙に落ちてゆく<金の兜>を、皆の居る方向に蹴りつけた。
勢いよく飛んだそれに、テロールは思わず身をかがめ――

「なッ……うごっ！？」

それが――何と、骸骨の頭に直撃したのである。
思わぬ一撃に大きく仰け反った骸骨(ヴェリック)は、そのまま棺桶から落ちてしまった。
裏切られたと思っていたテロールは、一体何が起ったのか分からぬと言った様子で、セラフィーナと骸骨を交互に見ている。
その様子に、ミラリアは目を閉じ呟くように口を開いた。

「“金<<Gold>>”の頭をキック・アウト――それが、フィーちゃんの選んだ答えですか？」
「当たり前じゃないッ！　私が姉さんと離れるなんて選択をするわけないじゃない！
　姉さんが居たいって言うなら仕方ないけど、ここには紅茶なんてないし、欲しいって言っても私は持って来ないんだからね！」
「ど、どう言う事ですの……？」
「ふふっ、そう言う事ですよ。素直に言葉では言い表さない子ですから」

セラフィーナは、欲しい物を手に入れたらすぐに飽きる――。
つね日ごろ金の事ばかり考えている妹であるが、それは明日や明後日を遊ぶだけの目先の金の事……それを得る過程を楽しむ性格なのだ。
ずっと一緒に暮らしてきた姉・ミラリアは、それを良く知っている。
目の前に“金(Gold)”の具足は“姉(Sister)”――彼女は二つに別れることなぞ頭(・)にない。姉(Old Sister)を取るだろう、と……。
再び悶絶していた骸骨は、棺に手をかけながら身を起こし始めたのを見て、セラフィーナは堰を切った。

「ぐ、ぐぐっ……な、何故……」
「良く聞きなさいポン骨ッ！　いくら“灰の魔女”の始祖と言えど、アンタに姉さんを扱えるわけないでしょ！
　やれ、あれするなこれするな、ちゃんと掃除しろ、湯はまだか？　お菓子はないのか？　――って、小姑みたいに滅茶苦茶わがままで、口うるさいんだからね！
　しかも結婚？　馬鹿じゃないの！　この人は病気も病気、重度のショタコンなのよ！
　アンタみたいな骨ばった奴と、どうやってくっつくの！　骨(Bone)とか突っ込もうなら、間違いなく翌日には紅茶(T)ガラと一緒に、食後の“ティー・ボーン”として捨てられるわよッ！」
「むぅぅぅ……フィーちゃんは後でお説教です！」
「全て事実じゃないッ！？」
「みんな、無茶苦茶言ってますわね……」

ブラードは“ティーボーン”と聞き、尻尾を振って自分の主(あるじ)を見ていた。
“ティーボーンステーキ”の後の骨にはまだ小さな肉が付いており、それを齧るのが好きなのだ。

「そんな目で主を見るなッ！？
　――だが、ずいぶんと身勝手な事をしてくれるが、我も義務を果たさねばならん」
「そんなの知るかッ！　そもそも力を授けて、魔女を統べるハイリッチにしたいのなら、アンタがあいつらの“白と黒の戦争”終わらせて、そこから資格ありそうなのを選びなさいよッ！」
「無茶苦茶を……って、ちょっと待て。
　“白と黒の戦争”って――もしかしてアイツらまだ、“バタチー論争”やってんのか？」
「何よその、“バタチー論争”って？」
「うぅむ……我が姉同士の口論から始まったものでな――。
　長女・ヴィーラーは“黒いローブ”を、次女・ヴィアンナは“白いローブ”をよく着た。俺は“灰のローブ”を好んで着ていた……これが恐らく、お前たちのルーツだろう」

骸骨は棺の縁に腰かけ、どこか懐かしむような声で語り始めた。

「我々は皆が羨むほど中の良い姉弟であった。特に俺は幼く、姉にはよく可愛がられたものだ。
　しかし、ある朝食の席で――長女・黒のヴィーラーの一言が、事件の引き金となったのだ」
「うんうん……」
「ヴィーラーはこう言った『あら、ヴィアンナ。貴女はよく飽きもせずパンにチーズ乗せて食べられますわね』……と。
　白のヴィアンナはムッとしてこう返した『お言葉ですが姉様、私にはバターをベタベタに塗りたくったパンの方が信じられませんわ』……とな」

その言葉に、皆が『まさか……』と言った表情を浮かべ始めた。

「そこからはもう、水かけ大論争だ。
　チーズはコストが高い安い、ふにゃけたパンなぞ美味くない……言いたい放題言い合ってな。
　そこで決着がつかぬから、姉たちは俺にどちらが正しいか、選択を求めたのだ」
「……で、アンタは何て答えたのよ」
「よく分かって居なかった俺は、姉を見ながらコーンフレークを食い続けた」
「……」
「……」
「……」
「……俺は、朝はコンフレーク派だったんだ……」
「それ、アンタが原因じゃないのッ！？
　そこでどっちか選んでいれば、こんなグッダグダな結果を招かなかったんじゃない！？」
「人間で言えば、まだ四や五のガキにそんなもん分かるかっ！？
　そもそも、その口喧嘩がン百年も続くなんて、誰も思わないだろっ！？」

その言葉に、全員が『確かに……』と頷いた。
今の“魔女団”は『黒と争っているから』、『白と争っているから』と理由も分からず、伝統に流されて来ただけに過ぎない。
しかも、その争う理由がこのような下らない理由である……この場にいる“魔女”たちや、王女は呆れて物も言えなかった。

「……それがいつまでも尾を引き、彼女たちの賛同者間でも争いを始めてな。
　このままではいかん、と俺はこの国の王に協力しながら、仲裁の場を設けたんだ」
「そ、それがこの城館ですの？」
「うむ。招待は渋々ながらも受けてくれた。
　疎遠になっていた双方も『このままではダメだ』と思っていたのだろう。
　だが……まぁ、ちょっと普通に招くのはアレなので、俺はちょっとした可愛い悪戯を仕掛けたんだ……。それぞれが引っかかったと話せば、少しは和むだろうと思ってな……。
　しかし、まさか姉妹一緒にやって来るとは思わず、まさか姉妹一緒に階段から滑り落ちるとは思ってもいなくてな……。
　和解の雰囲気から一転、再び『あんたが仕掛けたのだ』『いいやあんただ』との言い合いにな……うん」
「――姉さん、ちょっと<パワーグローブ>貸して？」
「ええ、どうぞ」
「――縦ロール、ちょっと<マジックイーター>貸して？」
「よろしくてよ」

セラフィーナは双方から受け取ったそれを装備し、骸骨に向かって剣を振りかぶった。
ブラードも思うところがあるのか、ささやかながらに骸骨のローブを噛み、逃げないようにしている。

「待て待て待て待て――ッ！？　ロードッ、お前もか！？
　俺だってまさか、あの二人が互いに歩み寄れないほどの糞ババア化してるなんて知らなかったんだよ！？」
「うっさいわねっ！　何もかもアンタが原因じゃないのよ！
　何が力の継承よッ！　もうそれ抱えたまま死ねッ！」

ビュンッ！　と音を立てるそれをギリギリの所で避けた。しかし、ローブは避けられず、大きく裂けた。
続けざまに何度も振り抜かれる剣に、骸骨は地を這うようにしながら、ただ逃げ惑うしかないようだ。
何度も転げまわり、刃が掠める度にそのローブが破れ汚れてゆく。いつしかその真っ赤なローブは、見た目相応の権威なぞ見る影もない、ぼろ布のようになってしまっていた。
ついに追い詰められた骸骨は、“魔女”とは思えぬ武闘派のセラフィーナに手を向け、降参の意志を向けた。

「ま、待て待て……わ、分かった、取引をしよう。
　おまえたちが望む物をやる。だから、お前でも良いから俺の力をだな――」
「……頭から両断してほしいようね？」
「お、俺だって力の継承しなければ、逝く事もできないのだっ！」
「まぁまぁ、ここは一度頭を冷やし合いましょう。一度持ち帰り、うちの方で検討しますから」
「それは自然消滅パターンだろう……。
　まぁいい、ここに行き着くための仕掛けを全部解いたのは、お前たちだけだ。
　受け取る権利は二人の内のどちらか……己の行く末を含め、よく話し合うがいい」
「話し合う必要もないわね」

これ以上話し合う気が無いと言った様子で、双方とも鼻を鳴らした。
骸骨の手はブラードの頭を撫でながら、肩を怒らせながら出(・)口(・)に向かうセラフィーナの背中を見送っていると――ブラードはその手をするりと抜け、彼女たちの後を追い始めたのである。

「お、おい！　ロードっ……！」

ブラードは『知らん』と言った様子で振り返り、彼女たちとともに外に飛び出して行った。