第36話 危険性
「シェリル、多少立ち居振る舞いが王族らしくなくても、素直で明るいのがあなたの美点だと、私は思っていますよ?」
「え? あ、あの……」
何やら話の流れとずれた事を口にしたミレーヌにシェリルは戸惑ったが、同様に怪訝な顔になったラウールに、彼女は改まった口調で言い聞かせた。
「ディオン、ここだけの話にして欲しいのですが、実はあなたが王宮に姿を現してから、その洗練された所作に感心する者が何人も居て、つまらない事をシェリルの耳に入れたのです」
「つまらない事とは?」
「例えば『お二人は同い年でどちらも不遇な生活を送られたのに、ラウール殿下の教養や立ち居振る舞いと比べたら、シェリル殿下は足元にも及びませんな。精々精進されるが宜しいでしょう』とか。それでシェリルがかなり落ち込みまして」
「何ですって? シェリル、それは本当か? そんな無礼で不心得者、俺からきちんと道理を言い聞かせてやる」
「え、それは……」
そんな事は面と向かって言われていない為、何と返せば良いかと戸惑ったが、シェリルに余計な事を言わせずに、ミレーヌが話を続けた。
「ディオン殿、その者には、私からきつく言い聞かせました。下手に騒ぎ立てるのも却ってシェリルの為にはならないと不問に付しましたので、あなたも騒がないで下さい。そういう事もあって、シェリルはちょっと僻んで『同い年には見えない』と口走ってしまったのです。決して他意は無かったので、変な誤解はしないで下さい」
「分かりました」
そうして神妙にミレーヌに頭を下げたラウールは、シェリルに向き直って再度軽く頭を下げた。
「その……、シェリル、すまなかった。やっと王宮に引き取られる事になったばかりなのに、俺のせいで嫌味を言われる羽目になって……。君からしたら、俺は相当な疫病神だな」
苦笑混じりにしみじみとそんな事を言われ、シェリルは慌てて彼を宥めた。
「そんな事! 私に王族に相応しい教養が不足しているのは確かだし、的外れな非難じゃ無いわ!」
「ですが、まず謙虚に自分を見詰める事から成長は始まると言いますし、そう心配しなくとも、シェリルはいずれ非の打ち所のない王女になれると思います。ディオン殿はどう思われますか?」
その問いかけに、ラウールが力強く頷く。
「誠に、王妃様が仰る通りです。シェリルは立派に王女としての務めを果たす事ができるでしょう」
そこで見た目云々の話は終わり、別な話題でミレーヌとラウールが和やかに会話を続けた為、シェリルは胸を撫で下ろした。それから少しして一足先にラウールが辞去し、シェリルと二人でテーブル越しに向き合ったミレーヌは、静かな声で問いかけた。
「シェリル、彼をどう思いましたか? あなたの率直な意見を聞かせて下さい」
「ええと……」
そこでシェリルはどう言えば良いか迷いながらも、感じた事をそのまま口にしてみた。
「妙に貫禄はあるし礼儀正しいし、如何にも王族って感じがします。偽者と知っていなければ、王子だと言われても十分納得できると思います」
「そうですね。レオン殿と十分張り合えそうな容姿や能力の持ち主である、ああいう都合の良い人材を、ラミレス公爵はどこからどうやって見つけ出してきたのやら」
「それで……、あの人自身は、それほど悪い人ではないかもしれないと思ったのですが」
ミレーヌが彼の存在を苦々しく思っているのは分かっていた為、彼を擁護する事を口にしたら怒られるかもと恐る恐る口にしてみたシェリルだったが、予想に反してミレーヌは優しげに顔を緩めた。
「私も、彼があなたを気遣ってくれた言葉に、嘘は無いと思います。これは単なる予想ですが……。彼は、恵まれた境遇で育ってはいないのではないでしょうか?」
「そうですか?」
「幼少期に余所で育てられた貴族の庶子とかが、長じて父親の屋敷に引き取られてから、相応しい教育を受けたかもしれません。その手の話は良く聞きますし。それで似た様な境遇のシェリルに、予想外に肩身の狭い思いをさせてしまって、良心が咎めたとか」
「なるほど。そういう事ですか」
先程の彼の反応について、一応納得ができる説明をされて、シェリルは真顔で頷いた。しかし続くミレーヌの言葉に、瞬時に顔を引き締める。
「シェリルに対する謝罪の言葉に、嘘は無いでしょう。ですが、殊勝なふりをして初対面から探りを入れるのはどうかと思います。これが僅かに反応していました」
そうして自分に向けて差し出されたミレーヌの綺麗な右手に目をやったシェリルは、その薬指に嵌った指輪を見て、不思議そうに目を瞬かせた。
「ミレーヌ様……、その薬指の指輪の石の色は紅、でしたよね? でもなんだか今は、中心だけ紫っぽく見えますが……」
「ええ、ターライズですから元々の色は紅です。実はこれには、身に付けている者に対して、外部から何らかの魔術の干渉を受けた場合、あらゆる魔術を無効化する術式が施されているのです。それが発動した証拠として、微量の発熱と変色が見られます」
「あ、そう言えば!」
「シェリル?」
いきなり叫んだかと思ったら、椅子を引いて座ったまま横を向き、何やら上半身を屈めてスカートの裾をめくり始めたシェリルにミレーヌは面食らった。更に壁際で待機しているカレンからも、鋭い叱責の声が飛ぶ。
「シェリル様! 何をなさるのですか!?」
「すみません! すぐ直します!」
何事かとミレーヌが驚いていると、足首にアンクレット替わりに付けておいた首輪を外し終えたシェリルが、身体を起こしてテーブル越しにそれを差し出す。
「実は私もさっき、足首が何となく温かいと感じていました。でもお義父さんからこの首輪を貰って以降、誰かに術をかけられそうになる事なんか皆無で、すっかり忘れていました」
そう説明を加えた首輪の紅いガラス玉の中心が、指輪の石同様に紫がかっているのを見て取ったミレーヌは、納得して頷いた。
「そういえば、この指輪は陛下と婚約した時に贈られた物ですから、その首輪と同じく、当時王宮専属魔術師長であったアーデン殿の手による術式だと考えるのが妥当でしょうね」
「王妃様。そんな悠長な事を言っている場合ですか。あの偽者が王妃様とシェリル様に対して、何かの術を起動させようとしたのですよ? 由々しき事態ではありませんか!」
「そう怒らないで。仮にもれっきとした王妃と王女なのよ? まさか魔術に対して、全く無防備だとは考えていないでしょう。あっさりかかって貰えれば上々位の考えで、試してみただけよ」
「試されてうっかり術にかかったりしたら、どうなさるおつもりです!?」
カレンは益々顔付きを険しくし、他に控えている侍女達も強張った表情になったが、ミレーヌは彼女達の心境になど構わず、笑顔を消さないまま言ってのけた。
「私はこれまでの経験で、この指輪の効果は信用していますから。それにこれで、あの偽殿下本人が魔術師なのが判明しました。自分自身に姿変えの術式をかけての実行犯……、なかなかの度胸と自信が有りそうですね」
「王妃様……。剛胆でいらっしゃるのも、時と場合によります」
楽しそうに笑う主を見てカレンはうんざりした表情になったが、シェリルもミレーヌの剛胆さに舌を巻いた。
(さすが王妃様。だけど確かに私に害意は無さそうだけど、あの人は偽者一味の首謀者に近い人なのよね。気を付けないと)
尚もくどくどと苦言を呈するカレンと、それに苦笑しながら応じるミレーヌを眺めながら、シェリルは偽ラウールに対する警戒心を新たにしたのだった。