1.魔女姉妹
運命の分かれ道であった。
空が茜色に染まり始めた頃、人気のない鬱蒼とした山道に、ガラガラと荷車を引く音が響き渡っている。
荷車を引くのは、牛や馬ではない。色あせた黒いローブと面覆いをした、二人の姉妹――コソコソと大荷物を運ぶ姿はまるで夜逃げであった。
「ちょっと姉さんっ! また力抜いてるでしょっ!」
「いえー? 私はちゃんと押してますよ?
それより、フィーちゃんの力が弱いんじゃないですか?」
「手添えてるだけでしょっ!?」
荷車を引く妹・セラフィーナは、覆面から覗く狐のような目を姉に向けた。
彼女の言葉通り、後ろから荷車を押す姉・ミラリアの垂れ目には、余裕すら窺える。
「とにかく。早く休む場所を探さないと、今日は野宿になりますよ?」
「それ、引っ越す原因を作った人が言うセリフ……?」
乾いた砂利道の起伏に合わせ、荷車に積まれた生活用品が、ガチャガチャと音を立てた。
実際、ほぼ夜逃げだ。時間・恰好・場所……どれもが引っ越しに相応しくない。
ここ【レゴン国】のふもと町・シスターズにあった、古い空き家に隠れ住んでいたのがバレ、この姉妹は大急ぎで逃亡して来たのである。そうなった原因が、姉のミラリアにあった。
「はぁ、何でよりにもよって、町長の息子に惚れられるような事するかなあ……」
「あら、私は別に何かしたわけでもないですよ?
外でお茶していたら、じっとこちらを見ていたので、挨拶しただけですし」
「その顔でニッコリ微笑まれたら、童貞はコロっとイクに決まってるじゃない。
ただでさえ、
まさかボンボンの特権フル活用して、『あの家の女が欲しいんだ!』なんて言って来るとは思いもしなかったわ……」
「それを言うなら、フィーちゃんもですよ。
少し前も、酒場で引っかけた男の人からお金盗んだでしょう?
お姉さんは、何でもお見通しなんですからね」
「うっ……だ、だって生活費が底をつきかけてたし……」
セラフィーナの言葉の通り、彼女たちは普通の人間ではない。
魔女の家に生まれた彼女たちは、成人と共に集落を離れ、各地を転々と渡り歩いて生活していた。
シスターズの町はずれにあった空き家に住み始めて半年――そこの町長の息子がミラリアに一目惚れし、嫁にしたいと父親に相談した事から、二人の不法滞在が発覚してしまったのだ。
「まぁ別に捕まって、イロイロされても問題ないんだけどさ……」
「私たちには、“
女は眼で殺すと言う。特に彼女たち魔女の瞳は、男を操り人形のようにしてしまう力を持つのだ。
真っ黒なローブ・覆面姿のため分からないが、二人は道行く男たちが思わず振り返ってしまうほどの、美貌とスタイルを兼ね備えていた。
特に、ミラリアに見惚れる者は多い。彼女の艶めかしい唇で微笑みかけられた男は、たちまち魅了され、その気になってしまうのだ。
方や、妹のセラフィーナは対照的である。
日焼けした健康的な褐色の肌と、銀色の髪――その見た目に、彼女のサッパリとした性格が相まって、心惹かれる男も多い。
また、控えめな性格の姉に対し、妹は身体の一部が“控えめ”である。しかし、それが良いと声をあげる男も多くいる。
「空き家どころか山小屋すら無さそうだし、このままだと本当に野宿だよ……」
セラフィーナは、藍色のグラデーションを広げ始めた空を見上げながら、ポツリと呟いた。
彼女たちは今、この国を治める【レゴン城】に通じる旧街道を抜けようとしている。
新街道が出来てからと言うものの、まったく人通りのない道となっているため、逃亡にはもってこいの道だった。
……だが、人が通らないのにも相応の理由がある。この旧街道には、廃坑を根城とする盗賊団による、追い剥ぎや人さらいが頻出するようになっているのである。
そんな危険な場所で女二人が野宿することは、無謀極まりない選択だろう。
(襲って来るのはウェルカムなんだけど、死体の後始末に時間かかるのがなぁ……)
もっとも、これは“普通の女”に限った話であり、彼女たち魔女には何の問題も無い。
道の脇には人の腰丈ほどの雑草が生い茂っており、セラフィーナは『確かに山賊行為には持って来いの場所だ』と呑気に考えている。
盗賊団の末端はただのゴロツキだが、上にゆくほど剣の腕が立つ猛者ばかり――そのせいで、レゴン国は殲滅に乗りだせず、ずっと手をこまねいている状態だった。
魔女潜伏の報せは既に届いているだろう。今もし盗賊に襲われれば、死体はそのまま遺棄してゆくしかない。……が、そうすれば彼らの仲間が、しつこく後を追って来る可能性がある。
悠長にしている時間がない。道を急ごうとする妹の横で、姉のミラリアが顎に人差し指をあてながら、ずっと思案に耽っていた。
「うーん……そうですねぇ……」
「姉さん、さっきからどうしたの?」
「よしっ、私にいい案がありますっ」
「え、なになにっ? 何かこの先の計画でも――」
「もうどうにもならないので、諦めてここでティータイムにしましょう♪」
あまりにズレた答えに、セラフィーナは乗出した身体をガクッと崩してしまった。
ミラリアは合わせた手を左頬につけ、にこやかな笑みを浮かべ続けている。
「じゃ、フィーちゃん、お湯を沸かしておいてください。
私は、その間におしっこしてお花摘んできますので」
「隠語の意味ないじゃない……ってか、おしっこはいいけど、お茶は我慢して!
この大荷物を持ってどこまで行けるかも、この先に何があるかも不透明なんだし、せめて休めそうな場所見つけるまでは我慢して!」
ミラリアは、何かと理由をつけてはティータイムに入ろうとする。
今は悠長にしている時間がなく、セラフィーナは少しでも先に進みたいのだ。
「むぅ……。仕方ないですね……」
ミラリアは唇を尖らせ、ガサガサと茂み掻き分けながら森の中に消えてゆく。
その背中を見送ったセラフィーナは、はぁ……と深いため息を吐き、木の根本に腰を下ろした。
路銀も殆どない。お金さえあれば、どこかで空き家を借りて腰を据えられるが、彼女たちはその日暮らしするのがやっとの状態である。
今の彼女は、とにかくお金が欲しかった。マイペースな姉との旅は嫌ではないし、楽しいものの、明日の食事すら分からない状態からは脱却したかった。
(いい加減、どこかで腰を据えてゆっくり――ん?)
ぼうっと空を見上げていたセラフィーナは、ふいに離れた茂みに目を向けた。
視線を感じたような気がしていたが、群青色のとばりに阻まれている。
確かめに行こうかと思った時――ミラリアが茂みをガサガサと掻き分けながら戻って来た。
「あ、姉さん遅いよ」
「あら……そんなに時間かかってましたか?
いえ、気になる場所があったので、少し探検していただけですよ?」
「誰も何してたまで聞いてないよ……で、気になる場所って?」
「周りをよく確認しながらローブをまくり、下着をおろしてしゃがんだ時――」
「姉のトイレ報告なんて、誰も聞きたくないわよっ!?
そんな前置きはいいから、その場所を見つけた所から話してっ!」
「あら、そうですか?
じゃあ、用を足し終えると、ふと後ろに道が広がっているのに気づいたのです。
獣道のようでしたが、その先に何かあるような感じでした」
「道って……ここは一本道のはずよ?」
「ええ。地図に記入し忘れたのか、はたまたあえて記入しなかったのか――」
「なるほど……寄り道になりそうだけど、行ってみる価値はありそうね」
セラフィーナはそう言うと、ミラリアと共に草木を掻き分けながら、暗い
彼女たちのこの寄り道が、大きな運命の分岐点となったのである。