第十三話:ドラゴン教育論①
「クリムゾン・ドラゴンは――気性が荒いからね……」
「それはもう聞いた。なんとかする方法はないんですか? 知能が高いのにカヤに敵対し続けているっておかしいだろ」
一月ぶりに会った所長は、以前と同様、酷く悪い顔色で答えた。ぼさぼさの髪に目の下の隈は研究者の印象としてはある意味しっくりくるが、誰か指摘しないのかとも思う。はっきり言って不安になる。
カヤは少し後ろで、心配そうな表情で俺と所長のやり取りを聞いていた。
家においてきた朱里が心配なのだろうか?
だが、カヤにすら懐かない朱里をここに連れてきたら問題を起こすかもしれない。研究所だけあってドラゴンも沢山いるんだろうし、ドラゴン同士の喧嘩なんて起こったら責任持てん。
「んー……まぁまだ一月じゃ、子供だからねぇ。感情の制御が効かないのかもしれないねぇ。大人になったらある程度抑制できるようになるんじゃないかな?」
「どれくらいで大人になるんだ?」
「んー……前も言ったと思うけど。種類にもよるからなんとも言えないけど、一年もすれば自立するんじゃないかなぁ」
ドラゴン研究のプロであるはずの所長は間延びした気の抜けるような声で役に立たない事を言うと、右手に持ったコーヒーカップに口をつける。
ドラゴン研究って本当に進んでないのな……。
しかし、分からないと答えられた以上どうしようもない。所長の他にドラゴン研究のプロに知り合いがいるわけもなく。
どうすべきか真剣に悩んでいると、カヤがどこか不安と期待がないまぜになった声をあげた。
「あの……先生」
「んー? なんだい?」
「その……藍に、会いたいんですけど、ダメですか?」
藍って誰だ?
一瞬そんな疑問が浮かんだが、すぐに思い出した。
そう言えば海ドラゴンを預ける寸前に名前付けたんだった。どうでもいいことだったからすっかり忘れていた。
しかし、カヤの奴……俺はお前の安全のためにこうして相談にきてるというのに、自分だけ楽しみやがって。
まるで深刻そうにしている俺がバカみたいじゃねえか。
所長はカヤの言葉に一瞬固まり、すぐに困ったように目尻を下げる。
「んー……まだ面会は、無理、かなぁ。今大事な時だからねぇ」
「そ……そうですか……元気でやってますか?」
「あーあー、元気でやってるよぉ。ドラゴンは頑丈だし、野良ドラゴンは養殖ドラゴンよりも強いから、その辺りは心配しなくていいよお」
その答えにほっとしたように胸に手を当てるカヤ。
その胸元にはあの日以来肌身離さず身につけているロケットが光っている。
しかし大事な時って、何やってるのだろうか。
俺は爪の先程も気にならないが、朱里を育成する参考に出来るかもしれない。
「大事な時って何やってるんだ?」
研究所の所長が言う大事な事だし、機密とかで教えてくれないかもしれないな。
そう思いながら出した問いに、所長はあっさりと答えた。
「あぁ……教育だよ。クジョ―君のところの朱里ちゃんもやればいいんじゃないかなぁ」
「教……育?」
なにその本当に大事そうな響き。
思わぬ言葉に絶句する俺に、所長が続ける。
「勉強させるんだよお。ドラゴンは人間よりも頭がいいからねえ、教養って大切だよお?」
「その間延びした声やめろ――じゃなかった……教……養?」
俺の中でドラゴンはドラゴン以上でも以下でもない。
頭がいいのは知っていたがよもや教養などという言葉が出るとは……。
カヤも知らなかったようで、俺の内心を代弁してくれた。
「教養って……何するんですか?」
「まぁ、本を読み聞かせたり人と同じように授業やったりだねえ。話しかけたりするだけでもだいぶ違うと思うよお?」
「ドラゴンが……授業を受ける?」
ぜんっぜん想像できねえ。
何? ドラゴンが黒板見てわからない所で挙手したりするわけ?
違和感ありすぎてやばい。てか、うちじゃできないな多分。
……だが朱里に教養が足りないのは間違いない。教養っていうか最低限カヤに襲いかからないだけのモラルが欲しい所だ。
万感の思いを込めて所長に聞いた。
「それ、うちの朱里にも受けさせる事できないか?」
「無理だよ。気性が荒いからねぇ……親でもない人間の言う事を聞くわけがないよぉ」
気性が荒いってそういうもんだったっけ?
激しく疑問に思う俺を置いて、所長が続ける。
「やりたいならクジョ―君が手ずから教えるしかないんじゃないかなあ」
俺にそんな才能はない。
そんな才能はない……が、本を読み聞かせるとか話しかけたりするだけでだいぶ違うと言ったか?
なるほど、確かに奴は俺の言った言葉を理解している節がある。カヤに襲いかかるなとは既に何度も言ったはずだが、根気よく更に言い聞かせれば気性も改善するかもしれない。
何しろ、クリムゾン・ドラゴンはかなり珍しいようだし、所長の言葉もどこまで本当かわかったもんじゃない。
手間ではあるが、取り返しのつかない事になってからでは遅いのだ。
§ § §
帰り道。本屋で何冊も本を買い込む。
書籍は高価だ。子供向けの本でも結構な値段がするが、背に腹は代えられない。
とりあえず絵本を含めた低年齢の子供向けの本をメインに買い込み、帰り道を歩いている途中にカヤが言う。
「クジョ―、やる気だね」
「……まぁな」
誰のためだと思っているんだか。マイペースだとは思っていたが、カヤは大概大物である。
つい数日前に朱里に襲われかけたばかりだというのに、その表情には陰がない。
右手にぶら下げた紙袋に、カヤが視線を向ける。
「持とうか?」
「いや、いい」
「朱里、頭よくなるかなぁ」
「さーな」
頭は良くならなくてもいい。どうせすぐに野に放つのだ。
必要なのは気性改善だけ。本も情操教育に良い物を選んで買ったつもりである。
……なんでペットへの教育について頭を悩ませなきゃならないんだよ。
「朱里……まるで人間みたいに賢いよね」
「人間みたいに大人しくて人間みたいに貧弱だったら良かったんだけどな」
朱里が人間だったらカヤに襲いかかる事もなかったろうに。
隣を歩いていたカヤがその足をやや早め、呆れたような表情で言う。
「もう……またそういうこという」
「そりゃ言いたくもなるだろ。もともと望んで飼ってるわけじゃないしな」
「それ、朱里の前で言っちゃダメだからね?」
俺は襲われたりしないからまだいい。
何故襲われたカヤがそんなことを言えるのか、その気持ちがさっぱりわからなかった。
まぁ、そういう性格もカヤの美点の一つなのかもしれないが……幼馴染としてはとても心配である。いや、本当に。
カヤはしばらく思案顔でいたが、ふと手をぱちんと合わせた。
そして、穏やかな笑みを浮かべて言う。
「そうだ。クジョ―、いつか子供を育てる時の予行練習だと思えばいいんだよ。そうすればちょっとは違うんじゃないかな?」
「子供……ねぇ」
考えたこともない。まず人間は哺乳類なので相手がいないと子供はできないのだ。
ドラゴンは拾ってくればいいが子供は拾ってくるわけにもいかない。
王国の平均的な結婚の年齢は二十代前半と聞く。まだ時間はあるが、このまま家に引きこもってたら無理だろうなぁ……。
そんな思いが浮かび、少しだけ陰鬱な気分になる。なんで朱里の教育の話してたのにそんな話になるのか。
俺の仏頂面がおかしかったのか、カヤがくすりと笑った。
「あ。クジョ―まさか、相手がいないんだよなぁとか思ってる?」
流石幼馴染である。読心の精度たけえ。
そのしたり顔に少し悪戯心が湧いてくる。なんともなさそうな表情を作り、答えてみた。
「……残念ながらいるんだよなぁ」
カヤの身体がびくりと震え、その足が止まる。
眼が点になる。ぱちぱちと瞬き不思議そうな表情をする。そして、みるみるその顔色が赤くなった。
面白い。
あちこちに忙しなく視線を向け、最後に震える声で悲鳴をあげる。
「……え!? ええええええええええええ!? だだだ、誰さ!? も……もしかして……わ、わた――」
「この間、朱里の逆鱗を鑑定してもらいに行った店で知り合った子がいてな」
「ぇッ!?」
逆鱗一枚で身体を差し出そうとした女だ。恐らく朱里本体を差し出せば結婚くらいしてくれるに違いない。
朱里には俺の幸せのために生体素材になってもらおう。
……我ながらクズいなぁ、色んな意味で。
カヤが真っ青な表情で尋ねてくる。今にも倒れそうな表情。手が何かを求めて空中で開閉していた。
「だ……誰さ?」
「顔が可愛くて胸が大きくて金持ちなんだ。家事出来るかどうかは知らないし知り合ったばかりだが、そのあたりはこれから埋めていけばいい」
「……ほ……本気……?」
「いや、冗談だけど?」
「…………え!?」
カヤが呆けた表情を俺に向ける。その表情が面白くて、手を伸ばしてその頰をつまむ。
「お前、とんでもない表情してるぞ」
「ひゅ……ひゅひょー?」
大体、俺と共にいる時間は家族を除けばカヤが一番長い。そこまで関係の深い異性がいないことはわかるはずだ。
むにむにと頰をつまむ。片手が本で塞がっていなかったら両手で出来たのに、とても惜しい。
道行く人が俺たちの方を呆れたように見ている。カップルにでも見えているのだろうか。
「ひ、ひほ――」
カヤがジト目で俺を見上げる。
何ごとか話しかけ、頰をつままれている事を思い出したらしい。俺の手を振り払うと、眉を顰めて彼女にしては強い語気で抗議してきた。
「ひ、酷いじゃないか! クジョ―! 嘘つくなんて! び、びっくりしたよ――心臓が、止まるかと……」
「知り合ったのは嘘じゃないが?」
「え!?」
嘘じゃない。嘘は言っていない。
顔が可愛くて胸が大きくて家が金持ち。だが、そのどの要素もクウリよりもカヤの方が上だ。
それにそもそも、好感は必ずしもそれらの要素と直結しない。少なくとも俺にとってそれらの要素はあくまでおまけだった。
「まぁ、そういう関係じゃないな。今のところそういう相手はいない」
「そ、そうだよね。……よ、よかったぁ……今まで興味なさそうだったのにいきなり変な事言いだすからびっくりしたよ」
「興味がなかったわけじゃない。機会がなかっただけだ」
また、カヤがいつも近くにいたせいで彼女が欲しいとかそういう欲求がほぼなかったのもある。
カヤが誰かとくっついてたらきっと、それによって生じた喪失感を埋めるために必死になっただろうが幸いな事に今までそういうこともなかった。
行動しなくても女が寄って来るほど家柄がいいわけでも顔がいいわけでも金があるわけでもない。
そこで、行動しなくても男が寄って来るほど家柄がよくて顔があって金もあるカヤに尋ねる。
「カヤはどうなんだ?」
「……え?」
「いや、俺も答えたんだからお前も答えるべきだろ」
カヤがぱちぱちと不思議そうに瞬きする。
そして、やがて何を聞かれたのは理解したのか、僅かに頬を綻ばせ答えた。
「私も‥…いないかな。機会がなかったんだ」
「そうか」
知っている。在学中、カヤは何人もの男に告白された事を。
そして、その全てを断った事も。
もちろん、その理由も……なんとなく分かる。
カヤがそれを知っているかどうかは知らない。だが、感づいてはいるのではないだろうか。
何しろ……互いに言葉に出さずともその思考を読み取れるくらいに付き合いが長いのだ。
「……でも、いつかは……子供、欲しいかな。ずっと先の話でもいいから」
カヤが何故かどこか寂しそうな表情で言う。
その表情に、俺はもう一度からかう事にした。
「俺は二年後くらいに欲しい」
「ぇえ!? は、はやッ!? ……わ、よく考えたら、私も、そのくらいには、欲しいかな」
「じゃー俺の子供とカヤの子供は上手くいけば幼馴染になれるわけだ」
「ええ!? ま、まぁそれは――いやいや!?」
「よし、そうと決まれば互いに相手を見つけるのを頑張るか」
「く、クジョ―……? わ、私から言うのもとってもあれなんだけどさぁ……もっと手っ取り早い方法、有ると思わない?」
「カヤ、手っ取り早い方法には大概落とし穴があるもんだ。やめておいた方がいいと思う」
「えぇ!? 君、そんなキャラじゃないよね? ちょ……クジョ―ッ!?」
顔を真っ赤にして叫ぶカヤを置いて歩くのを再開する。
こいつ、俺のどこが好きなんだろう? いや本当に。