3つめの手紙と1通の電報
三、刀根理子から檜皮和洋への手紙
今朝早く、樫井豹真君が訪ねてきて、檜皮さんが町を出ていくということを知らされました。
なんでも樫井さんはこの朝にでも親戚の方の家を出て、一人で生活するということでしたが、神楽の当日に音響係の仕事をしなかったことを詫びておくよう町内会長さんに言われたというのがその用件でした。
私は余り気にしていなかったのですが、去り際に手紙を押し付けられて、正直ギクっとしました。自意識過剰と笑われるかもしれませんが、あの状況下で渡される手紙といえば、そういう類のものとしか思えなかったのです。
それでも中身が気になって封を切ってみると、たった一行。
「あいつをどう思ってるか知らないが、いなくなったら一生、後悔する」
檜皮さんが町を出ようとしているのだということは分かりましたが、どう思っているかと言われても困ります。だって、知り合って一週間ぐらいしか経っていないんですよ?
あなたと樫井さんがどのような立場の人かというのは、あの河原で察しがつきました。
私も、普通の人間ではないからです。
ノロやユタと呼ばれる人たちをご存知でしょうか?
太古から、天地自然の神々を体の中に感じ、その言葉を伝える業を受け継いできた人たちです。現在でも、まだ奄美辺りや沖縄にいると聞きます。
私にも、その血が流れています。
神楽を守り、神楽を支える人を守り、その暮らしを守ること。
刀根の家の女がすべて、それができる者とは限りませんが、素質があると見なされれば、天地自然と一体となる術を物心つく前から教え込まれるのです。
私も、その一人です。
幼い頃は何とも思いませんでしたが、年月が立つほどに、他の子供たちとの違いを感じるようになりました。
言霊というものを使う人がこの町にいたらしいということも母から聞きましたが、いつのことかも分かりませんでしたし、そもそも互いに関わるものではないと言われてもいたので、気にすることもなく、ひたすら母に従って、この家に伝わる業を学んできたのです。
仲間と遊ぶこともせず、母について山を歩き、川に沿って歩き、たまに海に行けば人目につかないところで水を浴びて天に向かって叫ぶ……。
そうすることで、私の体の中には自然の動きと共にある泣き笑いが生まれてきました。
想像もつかないことかと思いますが、これは恐ろしいことでもあります。
私が自然と共にあるということは、自然が私と共にあるということでもあるからです。
自然の変化は私の感情を豊かにしてくれますが、私の感情は自然を豊かにはしません。
私が笑えば山も笑い、草花も芽吹くかもしれませんが、怒り、泣けばそれらは枯れ果ててしまうかもしれません。
それに気づいたとき、私は泣き、また笑うことをやめました。
笑っていればいいと思われるかもしれませんが、喜びは悲しみを知らなければ生まれてこないものです。逆もまたしかりで、泣くのをやめれば、笑うこともできなくなるものです。
この町を出て、母から、家から離れれば、そんな思いをしなくても済むかと思うようになりました。それを実現するためには、母に物を言わせるわけにはいきません。
私は、神楽を完全に仕上げて、その上で家を離れるのを主張しようと考えていたのです。
私の、私だけの、かけがえのない心を解き放つために。
しかし、河原で樫井さんの暴言に声を荒らげたとき、私は自分の気持ちが実際に自然を動かすことを知りました。一瞬、空が陰った時の恐ろしさといったら!
私はあのとき、泣き出しそうになるのを一生懸命こらえていたのです。もし泣いてしまったら、きっと嵐になるだろうということは分かっていました。
それでも、自分の身体に突然火が付いたとき、私は己を失いました。こらえればこらえるほど、怖さや怒りや情けなさや、そういったものがまぜこぜになって、あんな嵐を呼んだのです。
土砂降りの雨は、私にとっては恵みの雨でした。
思いっきり泣けるからです。
あのとき、もう怖くはありませんでした。怒りも情けなさも、どこかへ行っていました。
沸き起こる気持ちを抑えなくていいのが嬉しかったということもありますが、そのとき、自分の身体に火が付いた理由を考える余裕ができたのです。
もしかして、樫井さんは言霊使いではないか。
すると、彼と言い争っていた檜皮さんも?
自分と同じような人たちがいると思ったとき、涙があふれてきました。それで余計に雨がひどくなったかとも思いますが、過ぎたこととして、どうか許してください。
檜皮さんが神楽を断ったと知ったときは、胸が痛みました。事情は分かりませんでしたが、きっと言霊使いにしか分からない苦しみがあるのに、私がそれを知らずに追い詰めてしまったのではないかと思ったのです。
あの夜道を一緒に歩いたとき、そして檜皮さんが神楽の練習に来てくれたとき、私の心を縛っていたものがほどけていくような気がしました。冷たくしてごめんなさい。ああしないと、神楽の前に春の嵐が桜の花を全部吹き散らしてしまうかもしれないと思ったのです。
檜皮さんと樫井さんの関係がただならぬことになっているのは何となく感じていましたが、言霊使い同士、そして男同士のこと、私が立ち入ることもできないまま、神楽の当日を迎えてしまったことは、本当に申し訳なく思っています。何かできたなら、いえ、何かしていたなら、こんなことにはならなかったかもしれません。
檜皮さんが堂々と祝詞を上げたとき、きっと樫井さんとの間で決着をつけようとしているのだろうと思いました。そうなれば、ますます私の入り込む余地はありません。しかし、私の身体だけでなく、檜皮さんの身体に火が付いたとき、もう放っておくことはできませんでした。
心の中で暴れ出した気持ちに任せて、雨風に身体を委ねたのです。
だから、桜を全て吹き散らしてしまったあの嵐は、私の檜皮さんへの気持ちです。どう書き表していいか分かりません。恐ろしい女だと思われても構いませんし、忘れてもらったほうがいいかという気もします。
進学のことを心配して下さってありがとうございます。私は、有馬高校へ行こうと思います。この地と共にあった刀根の家のことをくどくどと書いておいて何だと思われるかもしれませんが、出て行かないのが妥協の限界です。
この先、檜皮さんがどうされるか私には想像もできませんが、お元気でいてください。
個人的な見解を述べさせていただくなら。
やってきたかと思ったらいきなり出て行ってしまう檜皮さんという人間は意味不明です。
もうちょっと自分をしっかり持ってください。
かしこ