4.女の社交場
部屋の中は明かりの魔法が効かない場所なのか、ぼんやりとした燭台の明かりだけが頼りとなっている。
暗闇の中で男がボソボソと呟いていたり、じっと誰かに見られているような気配すらも感じられていた。
(な、何ここ……?)
ようやく人が壁にもたれ掛る者、床でイビキをかいて眠っている者……闇の中で蠢くそれは、真横にあって初めて気づくほど暗く、その度にシェイラは小さく悲鳴をあげてしまう。
そして、暗闇の中でひしめくケダモノ達は、その弱々しい小動物の“鳴き声”を聞き逃さない。
気配を頼りに、その残り香を、その闇に混じる肉体を目や鼻で追うのだった。
「――シェイラ、あまり離れるな」
「う、うん……」
「タダでは手を出して来ないのでご安心を。そんな事したら、う、ふふふ……」
「て、テアさん怖いです……」
「なぁ、帰りはそこの賭場でちょっと遊んで行こうぜ」
奥はカジノとなっており、先ほどまでとは打って変わり『ここは本当に迷宮の中か?』誰もがと疑問に思うほど、ザワザワとした喧騒に包まれる場所となっていた。
だが、それは表向きの顔――ホール内はきわどい恰好をしたホステス達があちこちを歩いており、言い寄ってくる男から、
それを見たシェイラやレオノーラは、ようやくここが『そのような場所でもある』ことを知ったのだ。
薄暗さで誤魔化せているが、二人の顔は真っ赤で、レオノーラに関しては倒れそうなほど刺激が強い。
「……えぇっと、どこかに……」
テアはそこの出であり、二人のような反応はしていない。
ホールを自由に歩けるのは一部のみであり、不人気な者や新米などは、ずっと壁際で待機している。
厳しい戒律を持つはずのエルフの目は、いわゆる“壁の花”と呼ばれるホステスを品評し、俯いている一人のそれに近づいてゆく。
まだここに来て間のなさそうなホステスに目をつけたテアは、何のためらいもなく“女”に短いスカート中に手を滑り込ませ始めた。
「ちょ、ちょっとテアさん!?」
まだ幼さの残る目をぎゅっと瞑り、下着の中でモゾモゾと動くそれに耐えている。
一瞬の間を置いて、女は思い出したように、そそくさと奥へと消えて行った。
「な、何てことをするんだッ! いくらなんでも、あれでは――」
“女”をぞんざいに扱うテアの姿に、レオノーラはテアの行動に抗議の声をあげた。
「あれでいいのですよ。ここでは、“我々”以外は“物”ですから――」
「あ、戻ってきましたっ」
「じゃ、行きましょうか」
頬を僅かに色づかせたホステスは、再び物言わぬ“壁の花”へと戻る。
何事も無かったかのように振舞うその姿に、レオノーラはおろかベルグやカートでさえも、その異様さに唖然としていた。
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店の奥は、何やらドレッサーのような場所であった。ぼんやりと燭台に照らし出された空間には、色とりどりのドレスが並べられている。
その灯りの中で、耳の尖った女が一人佇んでいるのが分かった。ドレスのチェックを行っているようだ。
来訪者には気づいているものの、横目で一瞥しただけであった。
「――相変わらず愛想のない方で」
「普通に呼びなさいよ普通に……今時、“下の手”で呼ぶのって、アンタぐらいしか居ないわよ」
「すみませんね、なにぶん
中々柔らかく可愛い子でしたし、“春の雨”は良いのを与えてやってくださいな」
「ま、アンタがそう言うならね。で、珍しく大所帯だけど、その二人も“ワケあり”なの?」
シェイラとレオノーラを見るそれは、ただの女のそれではない。
商品を見定める“商人”の目に、レオノーラですら冷たい汗を背に感じている。
「違いますよ。何でもかんでも“商品”にしないでください」
「あら? 我が娘の紹介なら、たくさん“色”つけてあげたのに」
その女はテアの母であり、この“社交場”の女たちの母でもあった。
普通では会えないのだが、先ほど“壁の花”のスタートの中に手を潜り込ませたのは、下に手――“仕立て”と、『仕立て屋に繋げ』の意味なのである。
物言わぬ“壁の花”は壁に根を張る。入ったばかりの“
「やっぱり、あの女たちは“ウォッチャー”か――」
「ちゃんと真面目な“お仕事”もしていますよ、ふふ」
カートは、このエルフの母娘の会話を全て理解していた。
春の雨は花散らしを意味し、ワケありは借金などの問題を抱えた事。
色を付けるは、男を優先的に回し、借金など返済を早めさせる事であった。
ベルグもそれとなく知っているが、そんな世界を一切知らないシェイラとレオノーラにとっては、ちんぷんかんぷんな話で、全く理解していない。
「え、え?」
「女は目で男を殺す、と言うことだ」
ベルグはどこか訝しむような目を向けながら呟いた。
「ふふ……で、珍しいお客様ですが、何かお求めですか?」
「何でも、あのスロネットが“ハサミ”探してるようで。
うちの店に長期滞在の女ばっかで渋いですし、少し協力をお願いしたくてですね」
「あー……そう言えば、あの男が来てたわね。
スロネットが“ハサミ”か……クソッタレが作ったハサミとかじゃないのでしょう?」
テアの母の目は、チラりとベルグに向けた。
その“断罪者”を見る目は艶めかしく、興味で満ちている。
「うむ、違うと言っていた」
「く、くそったれって、何のこと……?」
エルフがこのように表現するのは、大抵ドワーフの事である。
ここは“欲と金”が全ての場なため、遊ぶ金欲しさに売買を持ちかけてくる者が多い。
身分も何もない、“自由な場”であるのを良い事に、何人かのドワーフは、勝手に預かり屋や研ぎ屋などを開き、足を踏み入れた冒険者の武器防具を強引に剥ぎにくるのだと言う。
少し考える素振りを見せたテアの母親は、一つ頷いた。
「なら、スロネットの探しているそれは、地下水路の【防腐の安置所】にあるそれでしょう」
「ふむ……」
「な、名前からして凄い不安なんだけど……」
「ゾンビパラダイスになってない事を祈るしかねェな」
カートのその言葉に、レオノーラは全身の血の気が引いて行くのを感じていた。
「……い、行かなきゃならない、のか?」
《ゾンビ》と言った類のモンスターは、一体、二体程度であれば問題ない。
だが、安置所と言うからにはやはりそれ相応の数がおり、それこそ言葉通りの、“パラダイス”となっている可能性が高いのだ。
「虎の穴に入らなければ、虎の子を得られませんからね。
その入口の壁にくぼみがありますので、こちらのレリーフをはめ込んで下さい」
「む――うむ。分かった」
「――ですが、これだけは警告しておきます。【絶対に無理はしない】で下さい。
無理だと感じたら、すぐさまそこからの撤退を。退くこともまた勇ですし」
そこは魔法封じの結界までも張り巡らされているので、何かあっても救援を送る事も叶わない場所であるらしい。開放したままには出来ないため、『絶対に全滅する事だけは避けて』と言う。
ベルグは、“ハンマー”が刻まれたレリーフを眺めながら『なるほど……』と、呟いた。
「魔法が使えないとなると、私の出番がないので……宿屋でお留守番になりますね、はい。
いくら物理で殴る方が楽とは言え、非力なエルフの腕力では限界がありますから」
「仕方あるまい。レオノーラも共に控えておいてくれ」
「は、はいッ。御心のままに!」
思わぬ言葉に、レオノーラの声が弾む。
行かずに済むこともあるのだが、それよりも事情を汲んでくれたことが何よりも嬉しかった。
ベルグは、彼女が浮かぬ顔をしていたのもあるが、“万が一”に備えてのつもりであった。
この母親とテア――エルフの言葉には、どこか眉をひそめる物があると感じている。