9.執行
その日の夜――宵闇が町を包み込んでいた頃。
ベルグ達は《コボルド》と共に山を下り、宿屋で息子と待っていたマッシャ―婆さんに事情を説明していた。
全てを知ると、ニマリと笑みを浮かべ、野菜を盗んだ事を許しただけでなく、何と畑の一部まで与える温情まで見せたのである。
「あたしも年だからねぇ、あの広さはそろそろ腰に来ていたんだよ」
友好的なモンスターなので、任せても問題と判断したのだろう。それに《コボルド》はウォンウォンと吠え、礼を述べた。
これにてベルグ達の任務は終了、とはいかず『これで帰っては後味が悪くなる』と、《コボルド》の依頼――《キングクラブ》のヌシの討伐も受ける事になったようだ。
最初は反対していたカートであったが、報酬にエメラルドを出されては断る理由もない。
「確証はないが、あのカボチャの言う通りであれば、シェイラの“独裁”で何とかなるはずなのだが……」
「となれば、残る問題は、取り巻く雑魚と防具か……」
武器はある。だが、最大の問題はヌシの方ではない。
戦闘・戦争は数が全てであり、それを守る取り巻きが厄介なのだ。僅か三人で、その数すら把握出来ていない敵を相手にすることは、無謀極まりない。
そして、《キングクラブ》は脚の腱を狙ってくるため、それを保護するための鉄製のグリーブは絶対に必要な防具であるのだが――
「ひゃっひゃ。防具はないが、一箇所に集める方法ならあるよお」
横で話を聞いていたマッシャ―婆さんは、待っていたとばかりに、厨房に置かれているタルをポンと一叩きした。
「あいつらハサミしか
それに、動くモノ・生臭ものの匂いに引き寄せられる。このタルにそれを入れて吊るし、下にタルの落とし穴を作れば、勝手に落ちて行ってくれるんだよぉ」
「な、何でばァさんがそんな事知ってんだよ!?」
「年の功ってやつさね。昔取った杵柄……とも言うかもねぇ、ひゃっひゃ」
「昔取った……?」
カートは、厨房に掲げられている旗にふと気が付いた。意識して見ていなかったが、その旗印――“交差するハンマーとドクロ”に、どこか覚えがある。
「――ま、まさと思うが、マッシャ―って、“スレッジハンマー”の……」
「おや、懐かしい呼び名だねぇ――けど、海に恋した”キャプテン・レディ・スマッシュ”はもう死んだんだよぉ。ひゃひゃっ」
「ま……マジかよ……」
「え、え、え? ど、どう言う事?」
「……うむ。半世紀前、海を荒らしまわった女海賊が、陸に上がって飯屋を営んでいる……って所だ」
「全部言ってるじゃねェか……」
「ひゃっひゃ、あたしの脛の傷はそこまでにして……スケル、準備するんだよ!」
「な、なんだって!?」
まさかの飛び火に、マッシャ―婆さんの息子・スケルは、素っ頓狂な声をあげた。
自分は関係ない話だ、と何処吹く風だったのだ。
「あんたは、この“断罪者”様に包丁向けたろ!
本来なら、あたしがクラーケンの餌にしてるところだよッ! それを詫びるには行動で示しな!」
「だ、だけど……」
「嫌ならいいさ、“断罪者さま、このカットラスで孫の首をスッパリいってくだされ」
「む、むぅ……。シェイラ、早速“独裁”試してみるか……?」
「何でそこで責任丸投げしてくるの!?」
「分かったッ、分かったよ! やりゃ良いんだろ、畜生ッ!!」
老いてもなお……と言わんばかりに、かつての姿を彷彿とさせる勇ましさ、威圧感にスケルは渋々承諾するしかなかった。
「だが、敵の数が未知数……その方法では、多数のタルが必要になるな」
『ある程度なら、防ぐ方法ありやすぜ』
すると今度は《コボルド》は、自信に満ちた目でウォウウォウと唸り始めた。
犬の群れを移動していると、《キングクラブ》の群れとぶつかる時があり、そのたびに揉めると言う。
・
・
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翌朝。雨を知らぬと言った空から、太陽がさんさんと大地を照りつけていた。
その光を受け、キラキラと輝く湖のほとりから、一人の男が駆け抜ける――。
「ヒィィィィィッ――!?」
囮にされたスケルの悲鳴が風に乗り、草木や木々の合間を抜けた。
身体中に生肉・生魚をくくりつけ、必死の形相で全力疾走している。
口から涎、鼻から鼻水、目から涙……流れ出るもの全て流れているが、今の彼には恥も外見も無い。
転んだら死ぬ――スケルの頭には、この言葉しかなかった。
――餌だ、餌だ
――追え、追え
その後ろを、大中小の無数の《キングクラブ》が、カシャカシャと音を立てながら、スケルを追いかけていたのだ。
小さな音であっても、それが幾多にも重なれば、森を囀る小鳥も飛び去るほどの騒々しさを醸し出す。
ふらつく足を必死で踏ん張りながら、細い渡し板がかけられた、町のある場所に向かっている――。
「よしッ、そのまま来るんだよ!」
昔取った杵柄――かつての海賊服を身に纏った、祖母であるマッシャ―婆さんが叫んだ。
その配下の子共達も、今日だけはその孫の贖罪と成長を応援している。
「た、助けてぇぇぇぇぇッ!!」
細く、人一人がやっと通れるような橋をダンダンッと駆け抜け、町の中に転がり込んだ。
祝福してやりたいのは山々であるが、町の者みなが思わず皆が鼻を摘まんでしまったので、地面に突っ伏しているスケルに、息を堪えながら『よく頑張った』と言うしかない。
それの後ろで、追いかけて来たカニがどんどん橋の下に落ちてゆく。
「よしッ、湯をぶっかけなッ!」
橋の下には、木の板で囲われた巨大な穴――木枠で作られた巨大な鍋、巨大な風呂である。
近くでは大釜で油混じりの湯が煮立っており、その湯を浴びたカニが一気に赤く色づいてゆく……それに気づかないカニ達は、どんどんと熱湯に向かってダイナミックな身投げをはかっていた。
◆ ◆ ◆
『あいつら、目先の物しか見てないんで、ああやると簡単に罠にかかるんでさ』
湖の近くで潜んでいたベルグ達は、カニの一行が通り過ぎたのを見計らい、茂みから姿を現した。
海賊は主に船の上でカニの襲撃を受ける為、タルに吊るして穴に落す方法を取る。
《コボルド》は身軽で素早いため、囮のランナーと要所に用意した罠にかけてゆく方法である。
海賊の知恵、《コボルド》の知恵は共通点があり、それぞれが融合した罠を編み出していたのだった。
そして……そこにシェイラが、
『カニが一杯食べられそうっ!』
と思わず叫んでしまったため、追い打ちをかけるように、穴に落ちたカニに熱湯をぶっかける方法になったのだ。
遠くから聞こえる、掛け声にカートは呆れた顔をシェイラに向けた。
「……ったく、食い意地はりやがって。恥ずかしいったらありゃしねェ」
「だ、だって美味しかったんだもん……」
「『油を張った湯は冷めにくい』とか、俺でもカニに同情するぞ」
「あ、あはは……とろみがついたらもっと冷めにくいよ?」
拷問か、と言うカートの横でベルグはじっと湖の方を見つめている。
鳥が飛び立ち、森の生物が消えたような静けさの中、さらさらと木の葉が擦れる音の向こうに、ヌシが手下を連れて姿を現したのだ。
人間の目にも、次第に大きくなってくるそれが見えた。
「お、おっきく……ない?」
シェイラは口をあんぐりと開けたまま、その巨大な“王”を見つめている。
サイズは三百センチ近くあるであろうそれは、異様なまでの風格と威圧感を持っていた。
カニの目は、その先で睨みつける《ワーウルフ》と対峙している。
「シェイラ、出来るか――」
「う、うん……」
ベルグは手にした“天秤”を掲げた――。
片方には“メダル”を、もう片方は空のままである。メダルは必要かどうか分からないが、念のために皿の上にそれを置く事にしている。
「き、《キングクラブ》の王よ。あなたは町を襲い、《コボルド》の住処までも奪った。
この許されざる行為は酌量の余地はありません。よって、あなたは――し、“死罪”とします!」
本来であれば、モンスターには“メダル”による“裁量”は効果がない。
だが、シェイラの――罪を告げる“裁断者の宣告”は天秤の皿を落とす。
彼女はそれ以上何も言えず、それ以上何もできないでいる。
目を血の色に染めた“弟”は、普段とはまるで違う“存在”だっからだ――
(これが……あのスリーラインなの……?)
狼頭の神が君臨した、とすら感じている。
その“狼”が、頭をもたげ咆哮をあげた――。
「オォォォッ――!!」
獣の雄叫びと共に駆けて来た“
しかし、それは“断罪者”には通用しない。地面を強く踏みしめ、それを避ける事なくカニの爪を掴んだベルグは、返す刀にそのまま思いっきりカニの顔に叩き返した。
ガンッ――と口にぶつけられたそれは大きくよろけ、口からブクブクと泡を吐く。
その痛みに、“ヌシ”は“狼頭の処刑人”に怒りを露わにしているようだ。
ダンッダンッと両手の爪を連続で叩きつけるも、地面を叩いただけだった。
カニその物が巨大化したような身体であるがゆえ、懐に手が届かない――爪を突き立てても、振り抜いても、腹や手の届かない死角に滑り込り込まれてしまうと、もうどうしようもないのだ。
旋回するにも小回りが効かず、地団駄を踏むかのように幾多もの脚をバタつかせながら、敵がいるであろう場所に大回りせねばならない。
俊敏なベルグが相手では、その巨体が完全にアダとなってしまっていた。
「――ヌンッ!」
獣の唸りと共に、鈍く光る斧の刃がカニの脚関節を切り落とす。
頑丈な甲羅であっても、それは薪を割るかのように、容易く切り落とされていた。
旋回して一本、また旋回して一本……と八本あったその屈強な脚は、もはや四本を残すだけとなっている。
ついに旋回すらもままならなくなった|《キングクラブ》は、照りつける太陽の光に身体が乾き、力なくハサミを振り回すだけであった。
――“裁きの宣告”を受けた者は、“断罪”から逃れられない。
《キングクラブ》は、水位の上昇によって棲家を離れざるを得なかった。
その方法がいけなかったものの、彼にとっては新たな居住地を求めただけに過ぎないのだ。
それを感じたシェイラは、
(私の“選択”は、正しかったの……?)
と、自問していた。
必要であったとは言え、人間の……己の身勝手な“宣告”によって、一つの命が消える罪悪感は否めない――。
「お前も自然災害の被害者だ。酌量の余地は十分にある。しかし……分別を弁えぬ行いは、決して許される行為ではないのだ。
このベルグ・スリーライン・ミュート――“断罪者”の名において、裁きを下そう!」
天に振りかざされた、断罪者の斧はブンッと音を立て、鈍い音が辺り一面に鳴り響いた――。
シェイラは、その“極刑”から一切目を背けなかった。
その目には、罪を告げた者の責任を全うするかのような、強い“意志”が込められてる。