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―弐―

 そして俺達は本日、ここ西校舎三階にある、一年F組の教室に居る。
 時刻は既に六時前。いつもならば、まだ部活動の生徒達が居残っている時刻だが、折からの悪天候により既にほとんどの部が解散してしまっている。

 そんな中、たまたま用があってこの階を通りがかった俺は、廊下に忘れ物のタオルが落ちていることに気がついた。そこで閃いたわけである。
 ファンシーなキャラクターの描かれたスポーツタオルから察するに、恐らくこれは女生徒の物。本日この場で雨天時の室内練習を行っていた、女子テニス部の誰かの所持品と思われる。このまま落し物預かりに持って行っても構わないが、もし落とし主が気が付いたのなら、すぐさま取りに戻ってくるのではないだろうか、と。

 男子生徒ならいざ知らず、年頃の女生徒なら、自分の所持品が見知らぬ誰かに拾われる事を気にする者も多いだろう。戻ってくる可能性は相応に高いと予想される。そう思い立って近くの窓から見てみれば、案の定、この校舎に向かって歩いてくる女物の傘が目に入った。
 全くの別人が、まるで違う用事でここ西校舎に入ろうとしているという恐れはある。だが、やはりこの落し物を取りに来ているという線は捨て切れない。

「早くもチャンスが来たようだぞ。お前の出番だ『トイレの花子さん』」

 故に俺は、このところ校内のいたる所でちょっかいをかけてくる、俺にしか見えない不条理存在に向かって言ったのだった。




「まず、訂正させてもらいたいのじゃが……」

 教室のドアに張り付いて、タオルの落とし主が戻ってくるのを待っている俺達。決して廊下から見られぬように、腰を落として待ち構えていると、コイツはいきなり話しはじめた。

「あの汗拭きが、女子の物じゃと指摘したのはワシじゃよな? それに、取りに戻ってくるかもじゃからそのままにしておけと言ったのも、確かにワシじゃったと思うのじゃが」

「非論理的存在のクセに、妙に細かいことを……」

「ナニ偉そうに言っとるんじゃ、この戯け。オヌシが他人の手柄を掠め取るような、みみっちいマネをするからじゃろうが」

「それでも、脅かすチャンスだって気付いたのは俺の方だったろうが。最終的には俺の発案だ」

 ……そう。俺達がこんな場所で女生徒が戻ってくるのを待っているのは、なにも落し物がきちんと回収されるかに心を痛めてのことではない。この妖怪コケシ頭が、学校の怪異としての本分を発揮するまたとない機会だと判断したからだった。

「もう一度聞くぞ? お前の目的は、ウチの生徒達に自分を認識させること。それも出来れば、生徒自身の実体験によるものが望ましい。だったよな」

 生徒達に認識される事で力を得ているコイツ等は、とにもかくにも噂に上がらなければ始まらない。そしてそのきっかけとして、生徒の誰かに自分達を体験してもらうことが必要なのだという。
 最終的には『友達の友達が見たらしい……』のような伝聞の伝聞になるのだろうが、最初の誰かには、自分の体験として語ってもらった方が都合が良い。説得力が違うのだそうだ。

「そこまでは良い。で、具体的な行動なんだが……お前はいわゆる『トイレの花子さん』なんだろう? それって、詳しく言うと何をする妖怪なんだ?」

「フンッ。聞いて驚けよ、でもしか教師。トイレの花子さんとは、本邦に古くから伝わる由緒正しき学校妖怪。学校の怪談と言えば、まず第一に名前が挙がるのがこのワシじゃ。物の話では、あまねく学校妖怪どもの頂点に君臨し、その秩序を保つとまで言われておるのじゃ」

「なるほどな。……それで、詳しくは何をするんだ?」

「それはオヌシ。決まっておるじゃろうが。こんな夕暮れのトイレに、のこのこ一人で訪れたおろか者を脅かすのよ」

「ふむ。脅かす、と。……で?」

「で? とはなんじゃ」

「いや、だから。脅かして、その後はどうするんだ?」

「えっ? いや、どうするもなにも……。それで終いじゃが」

「はぁ? それだけっ!?」

 俺は思わず大声を上げていた。慌てて耳を澄ましてみたが、未だ人の気配は近くにない。だが、それでも用心に越した事はないのだ、我知らず大きな声で口走ってしまった事を反省する。
 それでも、いま少しは時間に余裕があると判断。俺は先ほど同様に、僅かに空気が震える程度の小声で話を続ける。

「おい、妖怪変化。それで終いってお前、脅かして終わりなのか? 何もしないのか? 祟りがあったりとか呪われたりとか、続きが色々とあるだろうよ」

「アホなことを抜かすな。ワシ等は生徒の心の平穏の為に居るのじゃぞ? 祟りだの呪いだのと、そんなおっかないマネをするわけが無いじゃろうが!」

 それもそうだった。本質的には学生達を守る立場にいるのが、コイツ等、学校妖怪というものなのだ。生徒に危害を加えるようなマネはするはずが無い。
 だからといって、それではオバケ屋敷と変わらない。ちょっとびっくりさせたとして、果たしてそれだけで噂になるものなのだろうか。


「昔はのぅ……それで上手いこといっとったのじゃ。じゃが、最近の若いのにはそれだけじゃ足らんのかのぅ。やはりピコピコとかで刺激に慣れとるのじゃろうか」

 時代においていかれたおもちゃメーカーみたいな呟きをしている。今時ピコピコはないだろうに。
 とはいえ、確かに最近じゃ、世に蔓延するホラーモノなどで耐性ができているのかもしれない。そもそも話に聞く妖怪というヤツラは、何がしたいのかイマイチわからない奴が多いからな。妖怪枕返しとか、何の意味があるのかさっぱりわからない。

「まぁなんにせよこれまでは、ワシ等の存在をちぃっとも信じとらん生徒ばっかりで、気配を感じさせる事すら叶わんじゃった。じゃが、今はオヌシが居る。ワシの声を聞くどころか、触れることすら出来るオヌシが側に居れば、自然と存在力が上がっとるはずじゃ」

「なるほど、俺に手を貸せといったのは、そういう意味もあったのか。……ってオィ。ということは、これまでお前がちょっかいかけてきた時、周りのヤツラにもお前の姿は見えていたということなのか?」

 それは不味すぎる。いくらコイツが超常現象そのものだとしても、ハタから見れば着物を着た女の子でしかないのだ。そんなのに纏わり付かれている様など見られていれば、速攻でロリコン教師のレッテルが張られかねない。
 PTA集会、校長呼び出し、懲戒免職のコンボが思い浮かんだ俺は、一気に血の気が遠のいた。

「安心せい、ワシはあくまでもトイレの妖怪じゃ。それ以外の場所では基本的に知覚されん。のべつ幕なしワシを見つける、オヌシの方が異常なんじゃ。そもそも、そんな簡単に見つけてもらえるのじゃったら、ココまでワシ等は苦労しとらんわ」

「そうか……。いや、正直肝が冷えた。流石にこんな意味不明な理由で職を失うなんて、どだい納得できたものじゃないからな」

「とはいえアレじゃな。たとえばオヌシが用を足しとるところに、ワシが後ろから抱きつきでもすれば、その場に居る者には見えるかもしれんけどな」

「淫行教師どころじゃないだろうが! ……やるなよ? 絶対やるなよ?」

「フリかの?」

 否定するまでも無く違いすぎる。

 そうこうしているうちに、向こうから小さく足音が聞こえてきた。リノリウムの擦れるこの音は、生徒が使う上履き特有のもの。教師の誰かではないだろう。

 俺は自然と、身動きをとることすら控え、足音の主が目当ての誰かであることを祈った。
 腰をかがめた姿勢をとっていることで目線の高さにあるこのつんつる頭も、騒いだところで聞こえるはずもないのに黙りこくっている。着物の裾を器用に折りたたみ、小さく体を屈めていた。

 そして、忘れ物を見つけた女生徒の「あったあった」という声が廊下に響いた。


 こちらの予想は上手いこと当たっていたようで、落ちていたタオルは女生徒の忘れ物で間違いなかったようだ。そして今度は、上手いことトイレに誘導しなければならない。
 噂の妖怪ちんちくりんは、自分に任せておけと言っていたが……。

「で? これからどうする。何か策が――」

「ちょっと待つのじゃ。集中が大事でな」

 隣に目をやると、コイツはその……なんだ? 何やってんだ?
 俺の眼前で中腰になり、いきなりはっしと両手を合わせたかと思うと、なにやら真剣な表情でけったいな踊りを始めた。合わせた両手を顔の前に置き、指先をグッと廊下にいるであろう女生徒の方へと突き出す。そのままぐねぐねと揺らしては、手のひらごと前後に動かしている。コレは……宗教的な何かか?

「そのような物と一緒にするでない。これはワシの百八ある特技の一つ『急にトイレに行きたくなる舞』じゃ」

「まごう事なき呪いだろうが」

「戯け。女性にとって、シモの詰りは即ち美容の大敵。そこをスムーズに解消させるコレは、いわば神の祝福とも言うべき奇跡じゃぞ。もしもコレで商売始めれば、あっという間に門前に市が立つわ」

 それは確かにそうかもしれないが……。そういえば、本屋に行くとやたらトイレに行きたくなる時がある事を思い出した。もしかすると、アレもコイツのせいだったのだろうか?

「うんにゃ、アレはまた別の妖怪の仕業じゃな。そもそもワシは、学校以外には出歩けんからのう。……と、見よ。早速効果が現れたようじゃぞ」

 そのクソ迷惑な妖怪について詳しく話を聞かせてもらいたいのはやまやまだが、どうやらそんな余裕は無いようだ。ドアの向こうに居いる女生徒が、階段方向に歩き始めたようだった。
 真っ直ぐ帰路についているようにも思えるが、下り階段の横には女子トイレもある。ここから下駄箱までのルートで道沿いにあるトイレはあそこだけだし、おそらくはそこを目指しているのだろう。

 俺達はゆっくり頷きあい、物音を立てぬよう苦心しながら、女生徒の後を追った。

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