2−5: イルヴィン・フェイガン
イルヴィンは帰宅し、端末を前にエリーと話していた。
「テリーから聞いたが、そういう研究所なんだな」
「そういうって?」
「つまり、」
つまり、どうなのだろうとイルヴィンは思った。物好きの集りということか、それともエージェントがいるということなのか。だが、エージェントなどということも、考えてみればテリーに担がれているのかとも思った。
「物好きの集りなんだな」
「あぁ」
エリーはどういうことなのかを察したようだった。
「テリーに担がれていると思ってるのね」
エリーは端末の向こうで笑った。その言い方は、またイルヴィンを混乱させた。テリーが言った一つめの流派は、研究所のジョークなのだろうか。新しく参加した者を洗礼するジョークなのだろうか。まだ研究所の内容はわからないものの、名称やエリーとテリーから聞いた話では、洗礼となっているジョークだとしてもおかしくないと思えた。
「でも担いでいるわけじゃないの。上級研究員になれば運営に関する資料も見れるからわかるけど」
そこでエリーはまた笑った。
「もちろん、こういう研究所だから、どこまで本当なのかはわからないわよ。論文以外はね」
運営に関する資料にまで冗談が入っているのかともイルヴィン思った。それでも論文だけは真面目だということかとも。
イルヴィンは溜息をついた。悪い冗談だ。論文だけは真面目だとしても、それが本当に真面目なのかすら判断がつかないのではないだろうか。
「アシスタントに基礎資料から教えてもらうといいわ。冗談しか言っていないように思えるかもしれないけど。基礎の資料と論文は本当に真面目なものよ。私も教えてあげられると思うし」
エリーに教えてもらうのも悪くはないが。エリーの性格から考えると、あるいはテリーののめり込み方を見ると、デートが講義になるのではないかとも思った。
「教えると言えばだが。明日の晩、来るって言っていただろう?」
「えぇ。それまでに基礎資料の最初のあたりだけは目を通しておいてもらえたらと思うけど」
「テリーも来ていいかって言い出してな」
「あら、そうなの? 上級研究員二人からリアルで講義を受けられるなんて、そんなに機会があることじゃないわよ」
エリーは楽しそうに言った。
やっぱりとイルヴィンは思った。
「いい? 研究そのものは真面目なものよ。テリーたちの流派と私たちの流派はね」
「それで、どう見ておけばいいんだ? 基礎資料以外は」
「そうね……」
エリーは一旦端末から目を逸らした。
「テリーの資料が分類されていたでしょう?」
「あぁ、『現代の怪談』と『根拠がありそうに見える不可解な話』だな」
「それね。アシスタントに『根拠がありそうに見える不可解な話』を基準に、知能サービスについての都市伝説と論文の分類を頼めばいいわ」
だが、イルヴィンはそこで気になったことがあった。
「研究所のアシスタントも知能サービスを利用しているんだろ? 何か干渉が入るってことはないのか?」
エリーは右頬を人差し指で突いていた。
「あるかもしれないけど。その結果も明日私とテリーが見るわよ。ともかく最初の手がかりが必要なだけだから。何か意図的な排除がなされていたら、手がかりとして強いくらいのものね」
「そういう見方もするのか。面倒そうだな」
「そう、面倒なの。だから上級研究員二人に講義してもらえるのをありがたく思って」
そう言ってエリーはまた笑った。
* * * *
エリーとの通話を切ってから、イルヴィンはコーヒーを淹れ、ソファーに座り、端末から研究所のアシスタントに基礎資料の閲覧を頼み、またテリーの『根拠がありそうに見える不可解な話』に基づいて知能サービスについての噂の分類も頼んだ。
基礎資料の最初の部分は面白くもあった。テリーによる『根拠がありそうに見える不可解な話』も、『現代の怪談』も含んだ、いくつかの都市伝説にも目を通した。基礎資料の範囲ではそれらは分類されているわけでもなかった。ただ、テリーや他の研究員による、分類タグが付されてはいた。タグを参考に、テリーによる二つの分類がどういうものなのかを理解しようとした。
エリーの立場にせよ、テリーの立場にせよ、都市伝説をどのように読めばいいのかとの説明もあった。だが、どちらの立場にせよ、都市伝説をどのように読めばいいのかが理解できたわけではなかった。都市伝説をそのままとして読めばいいのではなかった。都市伝説はその発生が不明であるとともに、伝播によっても変形するようだった。そのまま読むのでは、何も分析できず、何も理解できるものでもなかった。
そうして資料を読みふけっていると、イルヴィンの手から端末が落ちた。
イルヴィンはソファーに座ったまま身をかがめ、端末を拾おうとした。端末に手が触れ、掴もうとした。だが、イルヴィンの手から端末は擦り抜けた。何回か、掴みかけては擦り抜けた。
イルヴィンはそこで気付いた。右手が痺れている。
「トム」
そう呟いたが、イルヴィンにはそれ以上の変化はなかった。ただ、右手が、肘の先から痺れていた。