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 レゾンが呆れとも感嘆ともつかない言葉を吐いた直後、しびれを切らしたペストはヴィオレを狙って尾を振った。体に比べてかなり細いとはいえ、人間の骨を折るには十分以上の速度と重量が乗っている。

 ヴィオレは地面を蹴り弾き、尾を飛び越えることで回避。着地したあとすぐさまペストへ接近し、がら空きになった後肢を砕こうとさらに跳躍する。

 狙うは右大腿骨。

 分厚い筋肉を無視し、奥にある骨を意識して、力場をまとった右拳を叩きつける。

 声を武器として使うペストの悲鳴は、意外なことに他のそれとなんら変わらなかった。がむしゃらに振り回される腕や尾をいなし、ヴィオレは距離を保ちながらペストの背後に位置取りする。

 本来なら方向転換に使う前肢を狙うべきなのだが、それだとあまりにも顔──というよりも喉に近すぎる。指向性など無視して先ほどの「叫び」をあげられれば、物理的なダメージはなくとも耳に支障が出る。

「音は防げそうにないか?」

 レゾンの声は、少し遠くなっていた。

 抜けかけたイヤフォンを片手で直し、ヴィオレは足を止めないまま答える。

「さすがに空気への干渉は、私の呼吸にも関わるから」

「なるほど。──私が気を引いてみよう」

 どうやって? と問う暇もない。

 なにかを叩くような音が、ヴィオレとは全く違う方向から聞こえてきた。ペストの耳は過敏に反応し、前触れなく現れた音へ意識が向いている。

 ヴィオレは咄嗟に足を踏ん張った。

 回避に向けていた動きを攻撃へ転じ、慣性を捻じ曲げてペストの前肢へ接近。拳を振りかざしたところで、ペストは唐突に前足を引いた。

 ぞ、とヴィオレの背筋を悪寒が走り抜ける。しかし、すでに無茶な姿勢移動を行った体は、これ以上の制動を許さない。振り回された内臓も支え続けた骨も悲鳴をあげながら動いている。

 命の危険を感じたらしい脳が、処理速度を限界まで上げているようだ。緩慢にも見える動作でペストは口吻をヴィオレに向け、威嚇するように顎を開く。その後ろで、発達した耳がぴったりと、それこそ頭蓋に貼りつくように倒れている様すら視認できた。生態系の頂点に立つ肉食性特有の、息の獣臭ささえ感じている暇がある。

 ──咆哮。

 時計の針が速度を取り戻す。

 大音声が壁となってヴィオレに叩きつけられる。

 衝撃はヴィオレの呼吸すら止めた。防御姿勢もとらず、超至近でくらった音の壁は、ちっぽけな人間の体などたやすく吹き飛ばす。

 背中でガラスを割り、並べられたテーブルセットをめちゃくちゃにしながら、ヴィオレはようやく地面に投げ出された。咳き込みながら呼吸をしている間に、痛覚神経がにわかに働き出す。聞き慣れた声が聞き慣れた名前を何度も呼んでいるような気がするが、いつまでたっても明瞭にならない。

 それでも、幸運だったと言わざるを得なかった。背後に大きく窓をとった飲食店がなければ、コンクリート製の壁に叩きつけられて即座に追撃されてもおかしくない状況だ。いまペストの追撃がないことだって、周囲に生物がヴィオレしかいないことを考えると不自然極まりない。

「返事をしろ! ヴィオレ!」

 合成音声らしからぬ声量で、レゾンが叫んでいるのがようやく耳に入った。

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