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「目標、沈黙」

 ヴィオレの報告は簡潔だった。

 荒くなった息がマイクに入らないよう、静かに呼吸を整える。どうせノイズに紛れるのだから必要ないのだが、無線の相手に弱みを見せるのはなんだか気に食わない。

 耳に挿したイヤフォンからの言葉は、そのほとんどを聞き流した。きちんと聞き取るだけの意味も、価値もない、規定通りの定型文ばかりが、無線の波を往復している。

 相手がそうやって話すから自分も簡潔に話すようになったのか、それともその逆だったのか、ヴィオレはもう覚えていない。

 目の前に転がる巨大ネズミの死体から目を反らし、ヴィオレは背後を仰ぎ見た。

 そこに建っているのは、素っ気ないコンクリート製の塔だ。

 木の一本どころか草の数本生えるのがやっとの景色の中で、その影は際立って高い。外壁に装飾などはなく、ただ屋根から伸びる雨どいと、四方に設置された定点カメラ、高所にある出入り口へ続く外階段だけが陰影を作っている。

 塔は、地下都市・浅間の目であり、弱点だ。

 元々は低地から集まった人々を浅間へと収容する出入り口だった建造物で、保護するために増築を繰り返した結果がこの塔の姿である。

 高所からの展望によりペストの早期発見は可能になったが、同時にネズミ型のペストが歯を削るために外壁をかじる危険性は増加した。塔に穴が開けば放射能で汚染された大気が浅間に流れこみ、さらにはペストの侵入を許すことにもなる。

 ペストが高所に現れること自体がレアケースではあるものの、今の世界ではどのようなことが起こってもおかしくはない。現在の森林限界が、たとえば半年後も通用するとは限らないからだ。

「──ペストのDNAサンプルを回収後、速やかに帰投してください」

「了解」

 事務的な受け答えを最後に、ヴィオレは首に巻いたマイクのスイッチを切った。

 同時に地下からの通信も切られたようで、イヤフォンから聞こえていた声や砂をこするようなノイズもぷつりと途絶える。

 ヴィオレはため息をついて、上着のポケットに手を入れた。取り出したのは、密閉可能な構造のビニール袋だ。中には持ち手の長い綿棒が入っていて、それを使ってペストの口内細胞を採取する。

 ペストのDNAデータは、そのままハイジアの開発に使われている。

 女神の名は冠しているものの、その実態は人体改造を受けた少女たちである。ペストのDNAを持ち、ペストと戦う兵器として扱われるその名は、信仰や憧憬よりも恐怖と嫌悪の対象と成り果てている。

 しかし、戦力の補強は浅間に住む人間にとって必要不可欠だ。多様なデータがあるだけ浅間の対ペスト戦力は多様化し、適応できる人間が生まれるだけ増加する。今回のネズミ型ペストのDNAが使われれば、新しいハイジアは炎を操る能力が得られるはずだった。

 ヴィオレは手順通りにペストの細胞を採取すると、綿棒をビニール袋に入れて密封し、手に持ったまま塔へ向かった。詳細は聞かされていないが、ペストの死体はいま浅間を留守にしている他のハイジアが処分するのだろう。

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