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【原神】からかい上手のナヒーダさん #20 - 霧の中の接触【二次創作小説】

 
挿絵


池を渡り終え、さらに奥へと進む二人。洞窟の空気は次第に変化していった。湿り気を帯びながらも、どこか重たさを感じる。

 ナヒーダが足を止め、周囲を警戒するように見回す。彼女の表情には、これまでにない緊張感が浮かんでいた。

「死域が近いわ。この感覚……かなり強力な死域ね」

 草神としての彼女は、禁忌の知識の残滓である死域の気配を俺よりも敏感に感じ取ることができる。そして彼女の反応から判断すると、この先には、これまでとは違う強さの死域が存在するようだ。

「最後の死域か…」

 俺も剣の柄に手をかけ、警戒を強める。これまでの経験から、死域には強力な魔物が潜んでいることが多い。最後の死域ともなれば、さらに危険な敵が待ち構えている可能性が高い。

 さらに進むと、空気の変化が目に見えるようになってきた。うっすらとした霧が、洞窟の通路を埋め始めていたのだ。最初は薄い靄程度だったそれが、前に進むにつれて徐々に濃くなっていく。

「死域の影響ね。通常の霧とは違うわ」

 ナヒーダの声には警戒感が滲む。彼女は草元素の力を纏い、両手の親指と人差し指を使って長方形の形を作る指フレームのポーズをし、カメラのファインダーを覗くような仕草で周囲を観察している。

「この霧は、死域から生まれたもの。気をつけて」

 俺もうなずき、一歩一歩慎重に進む。靄は次第に濃度を増し、視界を遮り始めた。最初は5メートル先まで見えていたものが、3メートル、2メートルと徐々に視界が狭まっていく。

 死域に近づくにつれ、霧が一層濃くなっていった。最初はぼんやりとした白い膜だったそれが、次第に重たく絡みつくような靄へと変わる。触れる気配すら感じるほどの濃密さだ。

 ナヒーダは俺の前を歩いていたが、濃くなる霧の中でその姿が次第に不鮮明になっていく。

「視界が悪くなってきたな…」

 俺が呟くと、ナヒーダは足を止め、振り返った。

「ええ、この霧は普通じゃないわ。元素の力を使っても、完全には晴らせないみたい」

 彼女の言葉通り、彼女が草元素の力で霧を払おうとしても、一時的に周囲が晴れるだけで、すぐに霧が元通りになってしまう。

「手を繋いで進みましょうか」

 ナヒーダがそう提案してきた。彼女の表情は真剣で、いつものからかいの調子はない。純粋に安全のための提案だ。

「それがいいな」

 俺も素直に同意し、彼女の差し出した手を取る。小さくて柔らかな手だが、その中に確かな力強さを感じる。草神としての力が宿っているのだろう。

 手を繋いで数歩進んだその時、突然、霧の濃度が一気に高まった。まるで壁のように立ちふさがる白い靄に、視界が完全に遮られる。

「……ナヒーダ?」

 不安を感じて彼女の名を呼ぶが、返事はない。驚いたことに、繋いでいたはずの彼女の手も、いつの間にか離れていた。

 振り向いてみたが、既に数歩先すら見えない。ナヒーダの姿も、完全に霧の向こうへと消えていた。まるで白い壁に隔てられたように、彼女の存在を感じることすらできない。

「ナヒーダ! どこだ!」

 焦燥感に駆られ、手探りで前に進む。あまりの視界の悪さに、方向感覚すら失いかけている。

(やばい、これは想像以上に視界が悪い……!)

 足元に何か障害物があっても気づけないレベルだ。一歩間違えれば、穴に落ちるかもしれない。慌てて歩くのをやめ、膝をついて慎重に周りへ手を伸ばす。

「……旅人?」

 かすかに聞こえた声に、心臓が大きく跳ねた。彼女の声だ。まだ遠くには行っていないようだ。

「ナヒーダ! どこだ!」

 少し大きめの声で呼びかける。その声に反応があるのを祈りながら。

「すぐ近くよ」

 彼女の声が確かに聞こえる。それほど遠くないようだ。手探りで前へ進むと、指先が何かに触れた。

 ――ふわり。

(……え?)

 驚くほど柔らかい感触が指先に伝わる。布の上から感じる感触だが、その下には柔らかく、弾力のあるものがある。

 洞窟の岩壁ではありえない感触だ。これは…何だろう?

「…………」

 一瞬、何に触れたのか理解できずに固まる。そこは、思っていたよりも弾力があって、温かくて……しかも、丸みを帯びた形状で…。

「……そこは、私のおしりよ?」

「~~~~っ!!?」

 その言葉で、一気に状況が理解できた。俺の脳が、瞬時にフリーズする。信じられない事態に、思考が完全に停止した。

「な、ななななっ……!!」

 慌てて手を引っ込めるも、全身の血が一気に頭に昇るのを感じる。顔が火照り、心臓が耳元で激しく鼓動するのが聞こえるほどだ。

「ご、ごめん!! 本当にわざとじゃなくて!!」

 パニックになりながら、必死に弁解する。これは単なる偶然、視界が効かない中での不運な接触だ。そう説明しようとするが、言葉が上手く出てこない。

 しかし、霧の向こう側にいるナヒーダは特に怒る様子もなく、むしろ、くすっと笑う声が聞こえてきた。

「ふふっ……本当に慌てているのね、旅人」

 彼女の声には、怒りよりも面白がっている色が強い。まるで、この状況を楽しんでいるかのように。

(いやいやいや!! 普通慌てるだろ!!!)

 俺は顔を両手で覆いながら、頭を抱えたくなる衝動を必死に抑える。こんな偶然が起きるなんて、何という悪運だろう。

 そのまま両手で手を振って霧を払いのけると濃度が少し薄れ、ナヒーダの姿がうっすらと見えてきた。彼女は特に困った表情もせず、むしろ微笑みさえ浮かべている。

「……別に、気にしていないわよ?」

 彼女の声は意外なほど冷静だ。だが、その冷静さが逆に俺の動揺を深める。

「い、いや、俺は気にする!!!」

 必死で主張するが、ナヒーダは余裕たっぷりに微笑んでいる。彼女は霧の中を歩み寄り、俺の方へすっと顔を寄せると――

「でも……触るなら、もっと優しくしてね?」

「~~~~~~っ!!??」

 耳元で囁かれた言葉に、完全に思考がショートした。彼女の息が耳に触れ、言葉の意味よりも先に、その感触に震えが走る。

(ちょっ……ま、待て!! 今のセリフ、どういう意味だ!!?)

 どう解釈しても危険な言葉だ。ナヒーダはいつものからかいのつもりなのだろうが、今回はあまりにも直球すぎる。

 俺の混乱をよそに、ナヒーダはしれっとした顔で霧の中を歩き出す。まるで何事もなかったかのように。

「……さて、先へ進みましょう?」

 彼女は振り返り、自然な笑顔を見せる。その態度は、さっきの発言とあまりにも釣り合っていない。

「お、おい!! 待て!! さっきの説明を!!」

 俺が抗議するも、ナヒーダは振り返らず、「ふふっ」とだけ笑った。その後ろ姿には、明らかな満足感が滲んでいる。

(……もうダメだ……心臓がもたねぇ……)

 顔の熱をどうにかしようと、俺は必死に霧の冷気を感じながら、ナヒーダの後を追いかけるしかなかった。

 霧はまだ濃いものの、ナヒーダの姿は見失わないようにしている。もう一度迷子になれば、また予測不能なことが起きるかもしれない。それだけは避けたい。

「急いで。死域の中心に近づいているわ」

 ナヒーダの声が前方から聞こえる。彼女は先ほどの出来事を既に忘れたかのように、任務に集中している。さすが草神、切り替えが早い。

 俺もなんとか動揺を抑え、前を向こうとする。しかし、まだ頬の熱は引かない。先ほどの柔らかな感触と、彼女の囁きが、何度も思い出されてしまう。

(集中しろ、俺…!)

 心の中で自分を奮い立たせながら、霧の中を進む。だが、霧の抵抗は思ったよりも強く、まるで水中を歩いているかのようだ。

「この霧、ただの水蒸気ではないわ」

 ナヒーダが立ち止まり、手を伸ばして霧を掴もうとする。もちろん、実際に掴めるわけではないが、その仕草には意味がありそうだ。

「死域の力が霧に混ざっている。だから、私の草元素の力でも完全に晴らせないのね」

 ナヒーダの分析に、俺もうなずく。死域の力は、草神である彼女の力と相反する性質を持つ。そのせいで、通常なら簡単に操作できるはずの自然現象も、制御が難しくなっているのだろう。

「じゃあ、どうやって進めばいい?」

 俺の質問に、ナヒーダは少し考え込む様子を見せた。

「死域の核を見つけて、それを浄化すれば霧も晴れるはず。でも…」

 彼女の言葉が途切れる。何か懸念があるようだ。

「でも?」

「この霧の濃さを見ると、死域の力はかなり強いわ。これまでの死域とは比べものにならないくらい」

 ナヒーダの表情に緊張が走る。いつもの余裕さえ感じられない。それだけ、この死域が特別なのだろう。

「だからこそ、二人で力を合わせて浄化しなきゃね」

 彼女は強がるように笑顔を見せたが、その目には確かな不安が浮かんでいた。これまでの死域浄化でも苦戦することがあったが、最後の死域はさらに強敵になりそうだ。

「ナヒーダ」

 俺は彼女の名を呼び、真剣な表情で向き合う。

「心配するな。俺たちは、これまでも幾つもの困難を乗り越えてきた。この死域も必ず浄化してみせる」

 その言葉に、ナヒーダの顔に少し安堵の色が浮かんだ。彼女は小さく微笑み、頷いた。

「ありがとう、旅人。そうね、あなたと一緒なら、きっと大丈夫よ」

 彼女の言葉に、俺も勇気づけられる。先ほどのからかいの件は一旦脇に置き、目の前の任務に集中しなければ。

 二人は再び歩き始め、霧の中を進んでいく。視界は依然として悪いが、ナヒーダとの距離を保つことで、迷子になることは避けられそうだ。

 徐々に、霧の性質が変わり始めた。単なる白い靄から、赤黒がかった色味を帯び始める。これは明らかに死域の影響が強まっている証拠だ。

「近づいてきたわ…」

 ナヒーダの声が緊張を含んでいる。俺も手に剣を構え、いつでも戦闘態勢に入れるよう準備する。

 前方に、薄暗い光が見え始めた。霧の向こうに、何か大きな空間が広がっているようだ。二人は足を止め、その入り口のような場所で立ち止まる。

「ここが、死域の中心…」

 ナヒーダの呟きに、俺もうなずく。ここから先には、最後の死域があり、そして浄化すべき核が存在するはずだ。

 二人は一瞬、目を合わせ、無言の意思疎通を交わす。これまでの洞窟探索で培った信頼関係が、言葉なしでも通じ合うほどに深まっていた。

「行くぞ」

 俺の言葉に、ナヒーダは静かに頷く。彼女の瞳には、神としての威厳と、戦いへの覚悟が宿っていた。

 二人は深呼吸をして、霧の向こうへと一歩を踏み出す。最後の死域との決戦が、今、始まろうとしていた。

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