【原神】からかい上手のナヒーダさん #16 - 花と石板と【二次創作小説】

何とか窪地を脱出することができた。出口は思ったよりも狭く、最後の瞬間、ナヒーダを引き上げる際には、再び彼女との距離が近づき、心臓がバクバクと鳴った。だが、それももう慣れたものだ。
「ふう、やっと抜け出せたな」
すると、進んだ先で驚くべき光景が広がっていた。地底洞窟とは思えないほど色とりどりの花が密集している一帯だ。青や紫、赤や黄色の花々が、この暗い洞窟の中で美しく咲き誇っている。それだけでなく、花々は柔らかな光を放ち、周囲を幻想的に照らしていた。
ナヒーダが興味津々で近づき、指先で花びらを軽く撫でた。彼女の瞳には純粋な喜びが浮かんでいる。草元素の神である彼女にとって、こんな場所は特別な意味を持つのだろう。
「嘘みたい……こんな深い場所で、どうしてこんなに美しい花が咲いてるのかしら」
彼女の声には感嘆の色が濃い。普段は知性と冷静さを備えた草神も、この光景の前では素直に驚きを表現している。
「本当に不思議だな。洞窟の湿気と、わずかな光源でも育つ花なのかも」
俺も同様に花畑を見渡す。地上ではめったに見られない種類のように思える。この花々が地下深くでどのように生育したのか、科学的な説明は難しいだろう。
花びらからの甘い香りが周囲に漂い、ナヒーダも花々の間を歩きながら、その香りを楽しんでいるようだ。彼女は一輪の花に近づき、手で花の蜜を少しだけ取った。そして、何の躊躇いもなく、その指先を口に運ぶ。
「ん……甘い。まるで上質な果実を食べたみたい」
彼女の表情が満足げに緩む。だが、俺は少し心配になった。未知の植物の蜜を何の警戒もなく口にするなんて…。
「おいおい大丈夫か? 毒とか、変な成分とか……」
心配を口にすると、ナヒーダは首を横に振った。
「平気よ。感じられる限りは植物性の甘味だけみたいだわ」
草神として、植物に関する知識は誰よりも豊富なはず。その判断を信じるしかない。
だが次の瞬間、不意にナヒーダがふらりと俺のほうへ寄りかかってきた。予想外の接触に、思わず体が強張る。
「わっ!」
俺は慌てて彼女を支える。足元がふらついているのか、それとも別の理由があるのか…。ナヒーダは口元に薄い笑みを浮かべ、少し力なく呟いた。
「……何だか酔ってきちゃったかも……」
その言葉に、一気に心配が高まる。やはり花の蜜には何か作用があったのか。
「大丈夫か!? 毒じゃないとか言ってたのに……」
俺が動揺して声を上げると、ナヒーダはさらに体重を預けてきた。その顔は俺の胸元に近づき、心臓の鼓動が早まる。
「ふふっ、どうかしら。もしかして私、変な成分にあたったのかも……転びそうだから少し支えてもらっていい?」
無邪気な甘え声に、俺の心臓は爆音を立てる。彼女の体温が伝わってくるほどの近さに、思考が混乱し始める。
だが、少し冷静さを取り戻して彼女の様子をよく見ると、ナヒーダの瞳はしっかりしていた。顔色も正常で、どうも「嘘を装っている」ような気配を感じる。
「お前、酔ってないだろ! またからかってるんじゃ……」
疑いの目を向けると、ナヒーダは無邪気に微笑んだ。
「さあ、どっちかしら。あなたがどうしたいのか、私に教えて?」
その言葉と表情には、明らかな挑発が含まれている。彼女は俺の反応を楽しんでいるのだ。
「な、何を言って……落ち着けって!」
彼女が俺の腕をしっかりとつかんでくるので、思わず顔が赤くなってしまう。この状況をどう対処すればいいのか、まったく分からない。
そんな俺の困惑を確認したかのように、ナヒーダはくすりと笑って体勢を戻した。彼女は普通に立ち、何事もなかったかのように花々を見渡す。
「ごめんなさい、ちょっと遊んでみたくなっちゃったの。あなたがどんな反応するか気になったのよ。花の匂いで本当に酔うわけないじゃない?」
やはり、からかいだったのか。安堵と同時に、少し腹立たしさも感じる。
「……やっぱり、わざとだったか……!」
心臓のドキドキを返せとばかりに文句を言う俺に、ナヒーダは悪びれずに応じた。
「あなたの驚いた顔が見られたから満足よ」
何とも言えない複雑な感情に襲われつつ、とりあえず毒ではないことがわかって胸をなで下ろすしかなかった。だが、こうも簡単にからかわれてしまうのは、少し悔しい。
「まったく…いつもからかってばかりで」
呟きながらも、花々を見て回る。その美しさは確かに特別なものだ。特に、この地下深くで、どのように光合成しているのか不思議でならない。
「でも、本当に美しい花畑ね」
ナヒーダの声が柔らかく響く。彼女は一輪の花を丁寧に観察している。
「草の神として、こういう植物に興味があるんだろうな」
自然な会話に戻ったことに安心しながら、俺も花畑を楽しむことにした。その美しさは、これまでの洞窟探索の疲れを癒してくれるようだった。
花畑を後にし、洞窟をさらに進む道中、俺は床に落ちていた古い石板に気づいた。それは半分ほど土に埋もれていたが、表面にはうっすらと文字らしきものが刻まれていた。
「これは…」
好奇心から石板を拾い上げる。岩の表面は風化し、文字の多くが消えかかっているが、何かの記録であることは間違いない。
そうして拾った古い石板をナヒーダに手渡し、「読めるか?」と尋ねた。やや汚れがついているが、古代文字の痕跡がうっすら残っている。草神であり知恵の神である彼女なら、解読できるかもしれない。
「どれどれ……」
ナヒーダは真剣な表情で石板を受け取り、じっと見つめる。彼女の指が文字をなぞり、何かを読み取ろうとしている。
「じっと見てみるわね。文字をなぞって……これは……」
彼女は少し考えるような素振りを見せた後、突然声を上げた。
「『永遠の愛を誓う』……かしら?」
「えっ、ええっ!?」
あまりにストレートな意味合いに、俺はぎょっと声を上げる。まさかそんな大層なものだとは思わず、心臓が一気に高鳴った。
「って、そんなつもりで拾ったんじゃないからな!」
慌てて弁解する。ただ古代文字に興味があって彼女に見せただけなのに、まさかこんな内容だったとは。
ナヒーダは下唇をきゅっと引き結び、少し意地悪な表情を浮かべた。
「ふふっ、どういうつもりで私に渡したのかしら? 永遠の愛を誓ってくれるの?」
その言葉に、頬が熱くなるのを感じる。これもまた、彼女のからかいなのか。それとも本当にそう書かれているのか。
「ち、違う! ただ読んでもらおうと思っただけで……!!」
顔が熱くなって何も考えられなくなる。周囲の気温が一気に上がったかのような錯覚すら覚える。
そんな俺を横目に、ナヒーダはからかいの続きを楽しむように小声で囁いた。
「そっか……。じゃあ私たち、本当に誓っちゃう……?」
彼女の表情には悪戯心が満ちている。よくも悪くも、いつものナヒーダだ。
「やめろって! そんなわけないだろ!」
必死に否定するが、その言葉は空回りしているような気がする。俺の慌てようが余程面白かったのか、ナヒーダはまたしても笑みを浮かべた。
そして、彼女は石板を裏返して光に透かしてみる。すると、少し表情が変わり、「あら?」と首を傾げた。
「ん……これ、表面の汚れで文字が変わって見えてるみたい。実際の意味は『通行注意』ですって」
その言葉に、一瞬何が起きたのか理解できなかった。
「な……なんだよ、それ!」
さっきまで「永遠の愛」だのと散々からかわれていたのに、結局ただの警告文だったのか。拍子抜けしたのと同時に赤面がまだ冷め切らず、俺は呆然としながら石板を取り戻す。
「……最初からわかってたのか?」
疑いの目を向けると、ナヒーダは首を横に振った。
「ううん、ちゃんと確かめないとわからなかったわ。でも勢いで言ったら面白いかなと思って」
要するに、完全に見当違いの解釈を、わざとしていたわけだ。
「面白いかなって……まったくもう、勘弁してくれよ!」
激しく動揺している俺に満足そうに微笑むナヒーダ。その表情を見ると妙に悔しいけれど、怒りが湧くわけでもない。単なるからかいだとわかっていても、心臓の高鳴りはすぐには収まらない。
束の間の脈打つ騒動を収めつつ、石板を置こうとすると、彼女は軽く肩をすくめた。
「冗談よ。あなたが本気で驚く顔、可愛かった」
またしても「可愛い」と言われ、言葉に詰まる。
「……っ! もう二度とこんな石板拾わないからな……!」
居心地の悪さとほんのりした甘さが混在して、俺は足早にその場を離れる。ナヒーダもそんな俺の後を、くすくすと笑いながら追ってくる。
さらに洞窟を進み、新たな通路に入ると、景色がまた変わり始めた。壁面の岩肌がより滑らかになり、人工的な造りが増えてくる。どうやら、また別の遺跡エリアに近づいているようだ。
「ね、旅人」
黙々と歩いていると、ナヒーダが声をかけてきた。
「なんだ? また変なからかいじゃないだろうな」
警戒心を露わにすると、彼女は少し真面目な表情を見せた。
「ううん、そうじゃないわ。さっきの花畑も、この洞窟も、本当に美しいところね」
彼女の言葉には、からかいの色は含まれていない。純粋に感想を述べているようだ。
「ああ、確かにな。死域もあるけど、こんな場所が地下に眠っていたなんて」
「あなたと一緒に探索できて、嬉しいわ」
突然の言葉に、また心臓が跳ねる。だが、今回は彼女の表情に悪戯心は見えない。素直な気持ちを口にしているように思える。
「俺も…君と一緒で良かったよ」
自分でも驚くほど素直に返事をしていた。恥ずかしさもあるが、この洞窟探索で感じた様々な感情を思い返すと、確かにナヒーダがいてくれて良かったと思う。
彼女は満足げに微笑んだ。その笑顔には、からかいの後の満足感とは違う、穏やかな喜びが浮かんでいた。
「さあ、先へ進みましょう。まだまだ探索は続くわ」
そう言って、ナヒーダは軽やかに歩き始めた。彼女の後ろ姿を見ながら、俺は不思議な気持ちに包まれる。
死域の浄化という任務中にもかかわらず、こうして洞窟の美しさを共有し、時にからかわれ、時に心を通わせる。それが不思議と心地よく感じられるのだ。
花と石板のエピソードは、この洞窟探索の一部に過ぎない。だが、それらの記憶は、他のどの冒険よりも鮮明に心に残りそうだ。
死域が完全に浄化されたら、この旅も終わる。そう考えると、少し寂しさも感じる。だが今は、目の前の探索に集中しよう。
俺たちの洞窟探索は、まだまだ続いていく。