第44話
「うん、なぜギルドがレイヴンを狙っているのかについては、国を挙げて考察し、場合によってはギルドへ直談判を試みるとのことです」
モサヒーからそういった報せが届いたのは、彼と実際には分かれてからしばらく時が経った頃だった。
「そうか。ありがとう。国にもそう伝えておいてくれ。それから」レイヴンは少し間を開け「可能ならば、ぼくの家族にも──すべて順調にいってるから心配しなくていいと、伝えてもらえると嬉しい」
「うん、承知しました」モサヒーはしなやかに対応してくれた。「うん、じゃあレイヴン、アカギツネには気をつけて」最後に彼はそう言った。
「うん」レイヴンは返事をした後また少し間をおいて「アカギツネ?」と訊き返したが、その後モサヒーからの連絡は途絶えていた。
アカギツネ──
つらつらと考えつつも先へ進む。気をつけろ、とは、どういった意味を含んでの忠告なのか。
まず、無論アカギツネというのは、イヌ科だということもあるだろう。とはいえ他のイヌ科と比べると、牙を剥いて威嚇しないだとか縦長の瞳孔を持つだとか、なんといっても悲壮な鳴き声だとか、どちらかというとネコ科に似ている種族だ。人間とは、関わりを持つものもあるようだが人生を共に歩むという親密さではなさそうだ──
以前対話を持ったフェネックギツネと同様に、一定の距離と礼節を忘れなければレイヴンに深刻な影響を及ぼすことはないだろう。
では次に、アカギツネの何に気をつけろと敢えて注意喚起してきたのか?
ちらりと収容籠を見る。
コス、キオス、オリュクス。彼らをアカギツネに捕まえられないように、ということか? 無論そのリスクに対してはアカギツネに限らず、肉食の動物と接する際には全神経で油断なく警戒しなければならない。それはレイヴンの任務上、いちばん基礎に敷かれてあるコンセプトだ。
ならなぜ、敢えてアカギツネに、とその種族名を出すのであるか?
ごっふぉおおおおお
その時、遠くから何かの音が響き渡ってきた。
はっと音のした方を見る。
砂漠がつづくだけで特に何もいないようだ。だが、
ふぐぉおおおおおお
再びその大音響は大気を震わせ走り抜けてきた。
「な、なんだ」レイヴンはいささかたじろいだ。
「うへえ」背後で突然声がした。「きた」
「えっ」びっくりして振り向く。
茶色の羽毛を持つ大型の鳥が、二本足で大地の上に立っていた。エミューだ。
ぶぉおおおおおおん
大音響はさらに続く。
「うーん」エミューは佇んだまま首を傾げた。「どうすっかなあ」
「あ」レイヴンはおずおずと声をかけた。「こんにちは」
「ん」エミューはレイヴンの存在に気づいた。「ああ、どうもっす」気さくにうなずきながら挨拶を返す。
ぐぼっふぉごおおおおおぅ
大音響はもはや、何かに対する大きな怒りを帯びたような音となりますます大気分子たちをおののかせた。
「あ、あの、これ、は……」レイヴンは、特に怖れをなしている様子でもないエミューなら何か知っているのではないかと思い訊ねた。「何の音なんでしょう?」
「あ、これ? うちの種族の女性の声」エミューは大音響が走ってきた方向を嘴でつついた。「誰か結婚しろって言ってるんだよ」
「けっこ」レイヴンは息を詰まらせた。「つまり、あの、プロポーズ?」確認する。
「うん。そう」エミューは片足で大地をちょんと蹴った。「でもねえ……うーん」
「なにか、懸念があるんですか?」レイヴンはエミューの様子をみながら訊ねた。
「ははは」エミューは少し苦笑した。「うちの種族の女性たちってさ、プロポーズする時はすごく積極的なんだけど、いざ卵産んだあとは全部こっちに丸投げするんだよね」
「あ」レイヴンはまたしてもたじろいだ。「そう、なんですね」
「そう」エミューはもう一度地面を軽く蹴った。「卵産んだら、またプロポーズにいそしむのよ」
「え」レイヴンは思わず大音響の聞こえてきた方向を見た。「また? 誰に?」
「別の奴にさ」エミューは少し首を傾げた。「男の方は、孵化から子育てまで大分時間を使う必要があるからね。まあ種族保存のためとはいえ、やっぱり覚悟を固める必要はあるのよ」
「そ」レイヴンはエミューに目を戻した。「それは、そうですね」
ごぼほおおおおおお
「うん……まあ、ここで捕まるのが俺の運命ってことだな。行くよ」エミューはついに覚悟を固めたらしく、大音響の方へ一歩踏み出した。
「あっ、あの」レイヴンは大急ぎで声をかけた。「アカギツネは、ご存知ですか?」
「ん」エミューは立ち止まり振り向いた。「ああ、もちろん。あいつら雛を喰おうとするから、要注意生物だよ」
「ああ」レイヴンは頷いた。「そうか……そうですよね」
「アカギツネがどうかしたの?」エミューは親切にもレイヴンの事情を汲み取ろうとしてくれた。
「あ、ええ……仲間から、アカギツネに気をつけろと言われたんですが、どういう意味でそんなことを言われたのかが今ひとつわからなくて」
「ふうん」エミューは少し間を置いて「君、レイヴン?」とだし抜けに確認してきた。
「えっ、あっ、はい、レイヴンです」レイヴンは驚きつつも自己紹介をした。
「動物探してるんだっけ」エミューは訊く。
「そうです」レイヴンは大きく頷く。
「それは、哺乳類?」エミューはまた訊く。
「──」レイヴンは一瞬戸惑ったが「ええ、地球の動物でいうと、哺乳類がいちばん近いです、ね」と肯定した。
「なら、あれじゃないか」エミューは上空に漂うレイヴンをじっと見上げて言った。「狂犬病ウイルス」
「あっ──」レイヴンは硬直した。それは彼の考察の範疇外にある項目だったのだ。
「ま、あいつに頼めばいいんじゃない」エミューはくるりと背を向けつつ助言する。「ディンゴにさ」
「ディンゴ?」レイヴンが訊き返した時、すでにエミューは大きく踏み出しはじめていた。
「あいつら、なんかアカギツネのこと毛嫌いしてるっぽいからさー」張り上げられるエミューの声も、あっという間に小さく遠ざかっていった。
ふぉぐおぉおおおおおお
彼を呼ぶ『プロポーズ』は、彼の最後の挨拶の声を完全にかき消した。