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 草原をゆっくりと歩いて山の方向に向かう。足が重い。気持ちのせいだろうな。
 向かっている方角は北だ。僕はそれすらも分かっていなかったな。
 北に向かう途中で岩場があるそうだ。そこにいくつか洞穴があるとの事。
 狩猟で遠出した時に邑に帰れなくなった時の夜露を凌ぐために数度利用した事があるとライラさんから聞いたんだ。
 この岩場は獣は住んでいないんだって。だから洞穴で生活しても獣に脅かされる事はないだろうと助言をくれたのだ。
 つまりこのあたりで生活してはどうかと間接的に薦めてくれたのだ。分かりづらかったけど。
 一応僕の事を心配をしてくれたのだと思いたい。でも、ライラさんは直接的な言い方をしないんだよな。
 そもそも僕との接触を極力避けているような気がする。
 理由は分からない。余所者につめたい邑の風習に倣っているのかもしれないけど。事実は分からない。
 助言をくれるくらいだから眼中に無いという事ではないと思いたい。
 でも・・・嫌われているかもしれないな。弱い奴には興味ない感じだったしね。
 
 アイナさんとロッタは僕の事を心配してくれているみたいだ。こちらの好意の理由も不明。
 少なくてもこの二人に安心されるようになりたい。独力でも生活できるようにならないと。
 それが今の僕が頑張れる理由だ。
 
 行動にはなんらかの動機が必要だ。理由はそれぞれ。誰かが見ていてくれるだけでも力になる。
 それほど今の僕には生きていく強い動機がない。なんだかいつでも生きていくことを諦めてもいい気分なんだ。自分でも認識はあるけど本当に投げやりだな。
 だから誰かが心配してくれているというだけでも力になる。少しは頑張れる気持ちになれるんだ。
 
 ・・・自分でも思うけど単純だよな。

 追い出されるまではかなり絶望していたんだ。死ねと宣告されたものだから。記憶の無い僕。戦闘力が無い僕。何者であるかも分からない僕には明確に生きる意思はなかったんだ。
 
 だけど歩きながら考えて頭の中を整理していたら少しは前向きにモノを考える気力が出てきた。少しはポジティブになっているのかも。
 ソリヤ家の女性達にはお世話になりっぱなしだ。特にアイナさんとロッタは本当に助けになってくれた。
 その恩に報いるためにはやっぱり生き残る必要があるのだろう。

 まずは生き残る事が優先。
 これは変わらない。
 
 衣食住だっけ。
 衣はなんとかなっている。もともと僕が着ていた服はあの獣にボロボロにされたらしい。代わりにソリヤ家から貰った一着。綿製のシャツとハーフパンツ。標準的な服らしい。
 住は洞穴を案内されている。そこで暮らせるなら問題ないだろう。
 問題は食だな。数日分は携帯食をもらっているけど。それからどうするかだ。
 木の実が主食になるのか?それだけで生きていけるはずもない。
 肉が食べたいなら狩りをするしかない。でもアイナさん見ていると僕には才能がなさそうだ。近くに川があると聞いているから魚取れないかな。釣り道具ができれば楽に取れるかもしれない。
 やっぱり食事だな。
 もう少し周辺で調達できる食べ物の情報を聞いておくべきだったか。でもあの時にはそんな事聞く余裕もなかった。今更だな。
 
 まずは寝床とする洞穴の確保をする。
 木の実や魚がどこで採れるかを調べるための周辺の調査をする。
 うん。まずはそれからかな。

 足元が険しくなってきたな。
 いつの間にか草や土でなく岩とか石になっていた。
 周囲を見渡すとごつい岩ばかりになっているな。ここが岩場かな?

 邑を出てどのくらい歩いたんだろうか。太陽は既に傾いている。
 一日はだいたい二十四時間らしい。らしいというのは単位が違うからだ。僕も正確に二十四時間が分かるわけじゃない。なんとなくだけど同じかなという感じ。
 そもそもなんで二十四時間を基準と認識しているのかも分からない。記憶が無いのが疎ましい。
 ここでは時間という認識はある。でもちょっと違うんだよな。聞いたけど覚えられなかった。だから僕の感覚で時間は測っている。
 朝には歩き始めたから十時間は経ったと思う。歩きの速度が時速四キロ程度だとすると四十キロは歩いたんだろう。結構離れているな。あの邑からだと日帰りは厳しい距離だ。
 まずはここが当初目的の場所だと思う。
 遠目からも盛り上がった崖のような場所が見える。多分あそこの下に洞穴があるはずだ。
 瓦礫のように崩れた岩が増えてきた足元を気にしながら歩き続ける。

 ここからは十分注意しないといけない。遮蔽物も多い。陰から何が出てくるのかも分からない。

 草原も歩いている時も注意はしていたよ。遠目でスージだっけ?狼の群れが見えた。だから遠回りして避けたりした。うん、一応緊張感は継続している。
 この岩場は視界が広くない。万が一何かに襲われたときに対応できないで死ぬのは間抜けだ。
 一応武器のようなものは作った。
 餞別でもらったナイフを使って槍を作ったんだ。槍の柄となる木はアイナさんから提供を受けた。その先端にナイフを縛り付けて槍とした。何もないよりマシという程度だけどね。
 それを構えながらゆっくりと岩場を歩く。ライラさんは岩場を住処としている獣はいないと言ってくれた。だからそんなに危険は高くないと思いたい。
 でも注意しすぎる事は悪い事ではない。
 なにしろ僕の命がかかっている。少しの油断で高い代償は払いたくない。
 記憶は無いけど一度シッカという獣に酷い目に遭ったのだから。あの時はライラさん達がいたから僕は助かった。でも今は助けてくれる人はいない。油断できるわけもない。
 暫く周辺を歩いたのだけど崖下の洞穴は見つける事はできなかった。どの程度数があるのかは聞いていなかったな。迂闊な所が多いな、僕は。ハハハ・・・。

 結構時間がかかったけど目的の洞穴を見つける事ができた。
 見つけるまで結構な距離を歩くことになった。今日はたくさん歩いた。疲れたよ。早く休もう。
 とか考えていたら目の前の洞穴に何やら大きい何かが入っていった。・・・多分そうだと思う。え?
 洞穴まではまだ距離がある。それに何かの動きも早かった・・・と、思う。
 
 獣か?何だったんだろう?
 
 ライラさんは獣は住んでいないと言っていた。冷たい態度をとるけど嘘は言わない人だ。となるとライラさんの知らない生態の獣がいるのか?
 いや~、これは・・・。
 
 ・・・これって不味くないか?
 
 今見たヤツがあの洞穴で暮らしている可能性があるぞ。
 
 どう考えて安心して留まれる場所じゃないだろ。

 いきなり住が躓いた。

 獣の種類は分からない。分かっても僕では対処できないだろう。まだ怪我だって完全に癒えていないのだし。
 でも太陽もそろそろ沈む。やがて夜になる。この場から逃げるのは良いとして・・・今日の野営はどうする?
 一度獣を見た以上、この周辺にもいる可能性は高いぞ。既に隠れて僕を監視している事も考えられる。
 
 草原に戻るべきだろうか?・・・いや・・・無しだな。草原にはスージの群れがいる。アレに襲われたら絶対に助からない。ヤツらから見れば僕は弱者だ。捕食の対象だろう。
 この岩場で安全な所は他にないかな?
 洞穴も他にないのか?不明・・・。あってもそこにも獣が住んでいるかもしれないし。
 獣を見た以上無理だ。どこか樹上で一夜を過ごすしかない。
 でも・・・そんな高い木は無いんだよね。低木はある。それは樹高は一メートルも無い。これじゃ意味が無い。厳しいな・・・。
 
 ともかくこの場からは立ち去るしかない。
 僕が見間違いをした可能性もある。でも自分の命と見間違いを天秤に掛ける力は僕には無い。
 
 逃げようとした時にどこからか声が聞こえた。遠いような近いような。
 
 どこだ?
 
 これは・・・悲鳴?
 悲鳴だ。
 ・・・・それも女性の悲鳴か?
 
 え?
 
 人が住んでいるのか?

 もう何が何やら分からない。
 マジかよ~。
 
 再度悲鳴が聞こえた気がする。
 声が聞こえたのは・・・・前だ?
 どうやら目の前の洞穴の中ではないかと思う。あの獣らしきモノが入っていった洞穴だ。遭遇した可能性が高い。
 
 どうする?
 
 あの悲鳴が本当に女性だとする。そうなるとさっき見た影はやっぱり獣か。
 
 僕は僕の能力をわきまえている。獣相手に僕の勝ち目は無い。
 悲鳴をあげた女性には悪いけど僕が助かるためには逃げるしかない。
 
 
 そうなんだ。悲鳴をあげた女性は僕には全く関係の無い人のはずだ。
 もしかしたら過去に僕が会っている人かもしれない。これは記憶がないからな。断言できないのが弱い所だ。
 だけど助けにいく義理は全く無いと思う。
 どっちにしても現状の僕の実力を考えたらまともな判断だ。冷静に考えても、他の人が考えても決まっている。木乃伊取りが木乃伊になるだけだ。

 絶対に逃げの一手だ。

 それなのに体は勝手に洞穴に向かって走っている。なんで僕の思いのままに動いていないんだ?理屈ではない何かに動かされているのか?
 
 僕は混乱している。じゃなければこんな無謀な事はしない・・・と思う。
 洞穴に向かうのは死地に向かうようなものだ。
 それも見知らぬ人を助けるために。
 
 分かっている。
 分かっているのに僕は洞穴に入っていく。
 
 どうしてだ?
 
 分からぬまま洞穴の中を進む。
 洞穴は結構狭い。入口が広かったから広大な洞穴を想像したんだけど。幅も高さも小さくなっていった。
 そんな事を確認できたのも最初だけだった。手元に必要な準備ができていない事に今頃気づく。
 洞穴だから暗い。そうなんだ灯りが必要だった。迂闊な僕・・・。
 もう周囲は結構暗い。ソリヤ家の人達に灯りの火種を貰っておくべきだった。
 それでも辛うじて見える。このまま進むしかないか。
 火種はどこかで準備しないといけないなと脇道にそれて考えてしまった。

 案外、僕は冷静だったかもしれない。行動は無謀なんだけど。
 冷静な理由は地面に足跡がある事を確認できているからだ。結構落ち着いているよな、ほんと。
 一つは人の足跡だと思う。多分サンダルの足跡だ。小さいから多分女性。
 もう一つは獣の足跡だ。猫のような足跡か?う~ん。分からん。でも獣を見間違いで無かった事は確かのようだ。
 サンダルの足跡に獣の足跡が重なっている。女性が先に洞穴に入って獣が追いかけてきたのか?
 獣は女性を獲物と考えているのか?
 ペットだったらあんな悲鳴を出すわけがないしな。そもそも獣を飼育している人を見たことも聞いた事もないな。
 
 さっき聞いた悲鳴はもう聞こえてこない。
 
 手遅れだったか?
 
 洞穴は今の所だけど枝分かれはしていない。道を間違う事はないだろう。
 そのままゆっくりと進む。
 
 やがて息遣いが聞こえてきた。
 
 これは少なくても人じゃない。あの獣だろう。唸り声のようなものまで聞こえてくる。
 
 マジか。
 ・・・・。
 
 ・・・確定だ。
 やっぱり獣だ。
 
 結構・・・・近いな。
 緊張しながら慎重に曲がりくねった洞穴を進む。
 
 
 それは唐突にやってきた。
 暗闇に目が慣れてきたとはいえ殆ど灯りはない。
 でも洞穴の壁はなんかのコケなんだろうか。うっすらと光っている。それでなんとか周囲を視認する事ができた。
 その中で何かが突っ込んできたんだ。
 瞬間、体中の毛穴が全部開いたような気分になった。ヤバいやつだとしか考えらえなかった。

 躱さないと・・・・。

 でも・・・足が動かなかった。動け!足!

 躱せたのは偶然だった。
 でも完全には躱せなかった。

 激しい痛みと息が詰まるような重量感のある物体の当たりを受ける。
 僕は弾かれるように吹っ飛ばされた。こんな飛ばされ方ってあるのか?

 あっけなくも、僕の意識は簡単に途切れてしまった。

しおり