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 ねえ、テオさん。
貴方はあの子を救い出したあと、船を港に届けるだけ届けて、あたしの方なんて見ずに行ってしまったわ。
本当に、ひどい人。

 だけど、あたしはそれでもよかった。それでもよかったのよ。
 あたしの方なんて見なくても、それは寂しいかもしれないけれど、貴方の隣にいられるのなら、それはどんなに幸せなことだろうと。
そんなことを夢想するくらい、あの時あたしは、貴方にのめり込んでしまったの。

 貴方の旅路にさえ着いていこうとしたわ。
どんなに迷惑がられても、街が見えなくなるくらいまで離れてしまえば、貴方はきっと、あたしを放り出すことはしないだろうなんて。

 そんな甘えた考えを本気で夢想しながら、あたしは洒落たトランクに、洒落着や化粧品を詰めていたわ。
 貴方の過ごす旅路と、あたしの想像した旅路は、天と地ほどの差があるくらい違っていただろうに、あたしはただ旅行に行くかのような気楽さで、鼻歌さえも歌いながら荷物を詰めていたの。

 貴方はきっと、気がついていたのね。
だから、出立日を早めて、この地を去ってしまった。
西か東か、あるいは北か。
どこに行くかも告げずに、ふらっと霧のように消えてしまった。

 あたし、悲しかったのよ。
追いかけようにも、どこを目指して歩けばいいのか分からないから。
途方に暮れて、夕日を何度か見送ったあとも、あたしは結局、街から出なかった。
出る勇気がなかったの。
あたしの想定していた旅路も、その先も、テオさんを助けるつもりで、その実助けてもらうことばかり考えていたから。

 この時からだったかしら。
宿に来る旅人さんの話に、耳を傾けてよく聞くようになったのは。

 それで知った、旅行とは違う旅の話。
長い期間旅をするだけあって、溢れるほどの財力がないときは、経費を削れるところはとことん削ることも多いと言っていたし、野宿になることも多いって聞いた。
 野宿も野宿で、洒落た様子は欠片もなくて。
如何にして、寒さや野生動物やその他のものから、自身の身を守ることを考えられるか。
ただ、それに尽きると、その人は言った。

 あたしは、あたしの考えが甘すぎたことを、その時知ったわ。
それから、急に恥ずかしくなったの。
あたしの無知と、容姿を鼻にかけて驕っていた過去が。
あたしの美貌は、実は街を出れば、平均的な顔立ちになってしまうほど、世界にはきれいな人が多いことを知った。
……いいえ、それは正しくないわね。
きれいな人もいるけれど、なにより、きれいに見せられるだけの財力がある人が、たくさんいることを知った。

 それからあたし、美貌にこだわるのは辞めたの。
その代わり、一生懸命働いたわ。
一人で生きていくのは難しくても、悪いやつに引っかかることのないように。人を見る目も磨いたの。
 そうしたらね、自然と人からの視線も変わっていったの。
今までの、色恋にしか興味のなさそうな、軽い付き合いがなくなっていった代わりに、あたしを叱る人が増えたの。
嫌で、嫌で、泣きたくなったこともあったけれど。
それでも、ちゃんと食いしばってきたら、少しずつ、前へ進んでいく感覚がしたの。
叱ってくれる人ってことは、あたしのためを思ってくれる人だって、その時ようやく気付いたの。

 あたし、あの時貴方に助けてもらえて、本当に、良かったわ。
あの時助けてもらえなかったら、こんなことすら分からなかった。

 ねえ、テオさん。
あたし、今日、結婚式を挙げるの。

 相手は宿のお客だった旅人さん。
テオさんみたいな銀髪も、仮面に隠されたミステリアスさもない、平凡な旅人さん。

 だけど、彼の作るスープはとっても美味しいの。
舌がとろけちゃうほど美味しいとは言えないんだけど。
でも、なんだか懐かしくって、ほっとする。
そんなスープを作る人。

 きっかけは、もうとっくに忘れてしまったわ。
それでも、彼の隣にいると、刺激的なときめきは全くないのに、何でかほっとするの。

 彼はこの港町に留まって、あたしの働くお宿で料理人見習いをするそうよ。
 料理人の人も、そろそろいいお歳だから。
後継者が欲しいってボヤいてたもの。ちょうどいいタイミングだったのよ。

 ねえ、テオさん。
あたし、本当にあなたのことが好きだったの。
 あたし、貴方じゃない違う人と結婚するけど、この恋心は嘘ではなかったって信じているの。

 ああ、そういえば、つい数日前噂を聞いたわ。
リガルド王国で革命軍が蜂起したって噂を。

 ねぇ、テオさん。
リガルドから来た、旅人さん。
あれから何年も経っているけれど、貴方のことが心配です。

 この祝福の鐘の音に乗せて。
貴方の旅路が、幸福であることを願います。

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