第56話 逆恨みに近い『天誅』
甲武の首都鏡都最大の宇宙港『四條畷港』の入国ロビーから一番近い出入り口が見えるビルの屋上で『彼』は待ち続けていた。
『滅私奉公』と記された鉢巻。『彼』は黙ったまま静かに瓶に入れた水を口に含み緊張による口の渇きを抑えた。五厘に刈りそろえた頭を一度なでると、『彼』は静かに手元のボルトアクションライフルに手を伸ばした。そして静かに時が来て同志の指示があるのを待ち続けた。
『彼』は典型的な下級士族の家に生まれ、軍人家庭の長男として育った。幼い時の敗戦の屈辱が今でも思い出される。大人達が慟哭する有様が今の『彼』を支えていた。
そして、その後の他の下級士族達と同じように父が軍を追われ失業すると職を転々としたことが思い出された。そんな転落の人生という言葉がちょうどぴったりくる甲武によく見られるお決まりの転落劇は自分のことながら笑いが出るほどのものだった。
多くの下級士族の没落の原因を作ったと『彼』が信じる西園寺兄弟の遼州圏国家に対する妥協政策は彼をしてここにスナイパーライフルを持ってこさせるほどの怒りを呼び起こすものだった。
武家である士族がこの国を常に守ってきた。いついかなる時でもそれだけは変わらない価値だと信じていた。『彼』から見て身分の卑しい生きるに値しない平民達に権利を与えると言う愚行を行った売国奴であるあのふざけた兄弟のことを口汚くののしる同志達の面差しが頭をよぎった。
四年前の遼州同盟結成時に締結された軍縮条約で僅かな恩給を渡されてようやく入営できた軍を追われた時、『彼』は陸軍の狙撃訓練校の生徒だった。そんな経歴が『彼』に同志達に見込まれての今回の作戦だった。
訓練場の沈黙と今目の前に広がる宇宙港の雑踏に違いなど無いと『彼』は思って手に力をこめる。
ゆっくりとボルトアクションの狙撃銃のストックに頬を寄せ、静かに銃の真上に置かれたスコープをのぞき込む。予想した通りこの場所だけが甲武鏡都の玄関口、四条畷宇宙港の正面ゲートを見廻せる地点だった。ボルトエンドの突起が隆起していることで、すでに薬室に弾丸が装填されていることを示している。
『彼』には大義を知らない宇宙港を笑顔で出入りする愚民を相手に安全装置などかけるつもりも無かった。
「私利に走る佞漢、嵯峨惟基……」
『彼』は一言、ぼそりとつぶやく。その言葉で自分に力がわいて来るような気がしていた。
半年にわたる調査と工作活動が今、実ろうとしていた。同志の数名はすでに投獄されているが、彼等は死んでも今の自分の志を遂げる為に我慢して黙秘を続けてくれると信じていた。そしてこの今、引き金を引こうという指に彼等ばかりではなく甲武の志士達の誇りがかかっていると信じて再びスコープをのぞき込んだ。
自分だけが今没落して死滅の危機に瀕している士族達を救える『救世主』足りえると『彼』は信じていた。