天地の擾乱編 1
空気が凍り付く。
熱気と殺気が沸騰していたはずのこの戦場で、俺は目の前の光景になぜかそんな印象を受けた。
いや、俺だけではない。
ただ2体の魔族を除いて、戦場全体がにわかに静まり返りやがった。
その2体とは当然フォルカーさんとマユー将軍。
両軍のトップが逢いまみえることで、その影響が戦場全体にまで広がったんだ。
もちろんこんな状況は極めてまれだ。
戦闘が激しさを増す中、よりにもよって将軍同士が顔を合わせるなんてな。
いや、仕組んだのは俺たちなんだけど、まさか本当にフォルカーさんまでここに来れるとは……。
そりゃこんな雰囲気にもなるさ。
しかもだ。戦場が静まり返ったことで、逆に両将軍同士の一騎打ちのような気配さえ漂い始めている。
こんなことって本当にあり得るんだな。
唯一、少し離れたところで指揮をしていたドルトム君が早速我に返り、脇に控える部下に何かを伝えていたので、おそらく対マユー将軍用の作戦を伝えているのだろう。
しかしその指示を受けた魔族も今はまだこれといった動きを見せないため、やはりここはドルトム君ですら傍観を決め込んだようだ。
なら俺も同じ。
どちらかの将軍がなんかしらの言葉を発した瞬間に両軍の戦いが再開されてもおかしくはない状況であるが、そんな一触即発状態も警戒しつつ2人を見守ろうではないか。
「怪我はどうだい? うちの部下からだいぶひどい目にあわされたようだが?」
まず口を開いたのはフォルカーさんだ。
よりにもよって俺たち鉄砲部隊を引き合いに出しつつ、マユー将軍の身を案じるかのような言葉を投げかけた。
なんでここで敵の身の心配を?
いや、この状況でそれはない。これはむしろ軽く探りを入れているのかもしれないな。
先日鉄砲部隊の集中砲火をもろに食らったマユー将軍。
その怪我からの回復具合を探っているのだろう。
対するマユー将軍もその意を察知し、あえて不敵な笑みを浮かべた。
「心配させて申し訳ないね。でももう大丈夫だ。
それにしても……君のところは面白い“おもちゃ”を持っているようだね……?」
ほう。俺と人間たちが数年がかりで開発し、同じく部隊のみんなもその扱いを数年がかりで必死に学んだ鉄砲を“おもちゃ”だと?
言ってくれるじゃねぇか。
いや、これもマユー将軍の強がりか。
そう考えると……実際問題、マユー将軍とフォルカーさんのどちらが強いかは知らんけど、この状況で無理矢理強がりを言わなきゃいけないマユー将軍の方が分が悪い。ということか。
いや、精霊の援護を失ったとしても地の利は敵側にあるし、この戦場を中心にした敵の波状攻撃でこちらもそれなりに戦力を失っている。
なにより戦場においては甘い考えなど禁物だし、西の国との戦いで突如対勇者戦を強いられた俺がそれをよく知っている。
今は決して有利な状況などではなく、ましてや余裕など見せている場合ではない。
下手をすると、ここで突如登場したマユー将軍にこそ何らかの策があるのかもしれないな。
「ふっ。その“おもちゃ”にこっぴどくやられたようだが?」
マユー将軍の挑発に、フォルカーさんが反撃を仕掛ける。
俺の気持ちを代弁してくれているようなのでちょっと嬉しい気もしたが、にんまりと笑っていい状況ではないので、俺は真剣な表情を維持する。
真剣な表情を維持したまま――空気がどんどん張り詰める2人の会話を見守った。
しかしながら、フォルカーさんとマユー将軍はそんな俺たちの視線を無視するかのように2人の世界に入っていた。
「覚えているかい? あの約束を……」
そう。おそらくは2人だけが知っている話。
マユー将軍が口にした“約束”とやらのせいで会話の流れが唐突に見えなくなったため、俺は視線をバーダー教官やアルメさんに移す。
しかしバーダー教官たちは俺の視線に気づくことなく、かつ、2人も微動だにせず状況を見守っていた。
どうやらバーダー教官たちですら会話の内容が理解できていないらしい。
マユー将軍……いったい何のつもりだ?
わけのわからないことを言って、相手の心を揺さぶるつもりか?
そりゃ2人はかつての友人とのことだし、2人にしか分からないこともあるだろう。
しかし百戦錬磨のフォルカーさんがそんな揺さぶりに慌てるわけもないし、つーかその“約束”とやらの内容ぐらい説明し……
「あぁ。当然だ。今日は君を僕の配下にするべくここに来た」
……
……
ちょっとまて。どういうこと?
え? え?
「何を戯言を……フォルカーよ。君の方こそ我が国に戻る時ではないのか?」
「え? ちょっと待ってください。どういうこ……ぬおっ!」
んでこういう時に割り込んじゃうのが俺の悪い癖な。
いや、アルメさんに慌てて止められたけどさ。
びっくりした。大きな肉球がいきなり俺の顔面を覆って、思わず前に歩き出していた俺の体を後ろに押し戻したんだもん。びっくりした!
でもこの狼野郎! さすがに無礼すぎねぇか……!?
――と思ったのもつかの間。俺はアルメさんが俺を慌てて押し戻した理由を理解する。
俺のすぐ目の前に、マユー将軍の雷系攻撃魔法が落ちた。
「タカーシ様。それ以上前に出てはなりません。マユー将軍の間合いに入ってしまいます」
まじか! 俺の知らないところで、そんな緊迫した魔法空間が広がってたのか!
いや、それなら納得ッ! ほんっとーにありがとう、アルメさん!
お礼に今日の夜たっぷりと可愛がってあげるわ!
……なんてほのぼのしたこと考えてる場合じゃねーよ!
なんだその魔法力! 今俺の前に落ちた雷、致死量だったんだけどぉ!?
そんな魔法空間でこの2人は相対しているのかよ!
「じゃあやはり……あの約束は今ここで果たすべきなのだろう。いいかい、マユー?」
「ふっ。まさか本当にこんな日が来るとはね。……いいだろう。君こそ覚悟はいいかい?」
んでもってそんな俺を無視して会話を進める2人。
んー……どうやら俺もなんとなくフォルカーさんたちの言う“約束”とやらがわかってきたぞ。
この2人。よりにもよって将軍級でありながら“負けたほうが勝者の部下になる”的な約束してたんじゃね?
それで、それを今この場でマジで果たそうとしてんじゃね?
でもさ。さすがにそれはさ……責任ある立場としてやっちゃいけないことなんじゃ……?
ほら、お互い軍を率いる身だし。この戦争を私物化してるみてーじゃん?
「ふん!」
「やっ!」
しかしながら2人はやはり本気らしい。
双方短い掛け声を発しながら威嚇の魔力を味方に放出し、俺たちを後ずさりさせる。
フォルカーさんのとてつもない魔力を受けた俺もびっくりして数メートル後方に退避しちゃったけど、この行為が『黙って俺たちの戦いを見ておけ』という固い意思表示に思えたため、それに従うしかなかった。
「ふっ。あの2人、どうやら本気でやり合うらしい。用意しとけよ、タカーシ。勝負がついた瞬間こそ、俺たちの戦闘再開の瞬間でもある」
挙句はこの状況を飲み込み終えたであろうバーダー教官から、こんな指示を受ける始末。
「ふふふっ。面白くなってきましたね」
例によってアルメさんはすでに観戦者の立ち位置に立っていやがるし。
いやぁ……まじかぁ……。
まじでそんなことするの? つーかこんな2人の決闘、バーダー教官たちは許せるの?
そりゃ確かに2人は将軍だから両軍の指揮系統の頂点にいるわけで……だから誰も2人に命令できる立場にないわけで……でもだからこそ2人はその役目をしっかり果たすべきで……。
うん。やっぱりこういう子供じみた決闘は今すべきじゃないと思うんだ。
「ふう」
しかし俺がどうこうできる状況でもない。
なのであきらめを決めた俺はなぜかここで体中の緊張が抜け、軽く息を吐く。
つーかさ。
気を抜いて考え直してみると、1つ気づいたことがあるわ。
長年続く東の国との闘い。
その戦場にフォルカー軍の一部隊長として出陣して以来、俺は深夜に敵陣に忍び込んだり。んでもってマユー将軍に見つかって、目をつけられたり。
その件ではフォルカーさんから怒られたりもしたけど、別件において、俺は我が国の将軍クラスによる冷戦じみたつばぜり合いも見てきた。
あの時さ。マユー将軍との仲をソシエダ将軍やアレナス将軍から責められたとき、フォルカーさんは鈍い反応を見せていたんだけどその理由がわかったわ。
あれさ。フォルカーさんは別にマユー将軍を討ち取るつもりなんて毛頭なかったんだ。
打ち取るわけではなく――命まではとらない一騎打ちをすることでマユー将軍を自分の部下に……っていうことだったんだな。
だからあんな反応を見せていたんだ。
そこまで理解してみると、やっぱりこの戦争の……とりわけフォルカー軍とマユー軍の戦いは一種の茶番だったんじゃねぇか?
部下に戦わせてないで、はなから一騎打ちしろよ。
と言いたくなるのも当然だ。
だけどお互いの部下がいかにして敵軍の戦力を削り、そんでもって将軍の力を削いだうえで一騎打ちに持ち込むのも部下の役目と考えたら、やっぱり2人の一騎打ちは両軍全体を巻き込んだ大きな一騎打ちともいえる。
フォルカーさんとマユー将軍の一騎打ちに水を差すこととなった唯一の誤算は、マユー軍の仕掛けた波状攻撃を1つずつ丁寧にはじき返したこちらの指揮官の存在。
あと、もしかすると“ちょっとした子ネズミ退治”程度に思っていた敵の斥候排除時に、思わぬ反撃と重症を食らったマユー将軍の計算間違い。
いわゆるドルトム君と俺のことだけど、そんな俺たちの功績もこの状況を生んだのかもしれん。
まぁマユー将軍の内情はわからんけどな。
なにはともあれ、焦って戦線に飛び出してきたマユー将軍とそれを迎え撃つべく出陣したフォルカーさん。
やはりこの一騎打ちはフォルカーさんに分があるとみていいだろう。
俺の鉄砲部隊がマユー将軍に与えた傷だって完治はしていないだろうしな。
じゃあさ。戦場の私物化とか思ってた俺が悪かったよ。悪かったから俺のことは気にせず、心ゆくまでサシで戦えよ。
「では尋常に。いいかい、フォルカーよ」
「うん。お互い全力を尽くして闘おうではないか」
かくして高校球児なんじゃねーかってぐらいに清々しい会話をかわしつつ、2人の決闘は幕を上げた。
と思ったの束の間。
エールディとの連絡を受け持つ伝令役――俺も何度か会話をしたことがあるあの鳥の獣人が、空高くから突如現れ、フォルカーさんの背後に着地した。
泥だらけで血だらけの姿。あの鳥人さん、何かに追われていたのか?
「やっと見つけました。王都から急報! ビブリオ大臣による国王暗殺の計画が実行に移され、その結果、国王が消息不明に!」
もうさ。こっからは俺の直感だ。
軍略の天才ドルトム君といえども政争には疎いため、この状況を即座に飲み込むことができない。
もちろんバーダー教官やアルメさんすら硬直し、直接報告を受けたフォルカーさんも動けずにいた。
唯一、前世で人間社会の汚さや醜い政争を見てきた俺。そしてバレン将軍からいろいろと物騒な情報を仕入れていた俺だからこそ、反応できたんだろう。
「フォルカーさん! すぐにマユー将軍に勝って! そしてマユー将軍を部下に加えてください!
そしてすぐに撤退です! バレン将軍の領国までフォルカー軍を撤退させないと!
でないと……」
「でないと王子を守り切れません!」