決断
ベッドで横になればすぐに眠れると思った。
目を瞑れば楽になれると考えていた。
部屋に戻ってきた時は、頭の中が真っ白だったのに。
その白は、白い文字の塊だった。
少しずつ脳が冷えてくると、パズルが崩れるように今日の会話が蘇ってくる。
言葉のピースが溢れてくる。
どれだけ試しても、決して完成しないパズルだ。
途端に思考の渦に飲み込まれた。
ナタリアの友達は、魔王ディアブラ・サイクスだった。
魔王は、ナタリアと結婚する為に誓を立てた。
俺が魔王と戦うまで、この世界は平和である。
そこに、新しいピースが加わる。
この世界に来てからの会話、見た景色、食べ物、色々な思い出が混ざりあって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
もう眠りたいのに。
俺の頭はそう言っている。
でも、心がそれを許してくれない。
パズルを完成させろと急かしてくる。
王様と出会い、ランデルと冒険に出た。
初めて見た魔法はとても美しかった。
ミノタウロスに殺されかけた。
四天王の一人、狂乱の一角獣ライトニングビーストを倒し、世界が平和に近づいた。
そして、アルに出会った。
優しさ、怖さ、愛らしさ、アルという最愛の人を知った。
そして、ナタリアという天使が産まれた。
ネフィスアルバが死に、闇皇帝が消えた。
魔王さえ倒せば、この世界は平和になる。
もう分かっている。
あと一つピースをはめればパズルは完成する。
公園で魔王が契約をした時点で気付いていた。
ただ、考えたくなかっただけだ。
早く眠らせて欲しい。
この苦しみを和らげたいだけなのに。
「ただいまー!」
ナタリアが帰ってきた。
目に入れても痛くない、俺の天使。
「にゃちゃりあ、きょっちにおいぢぇ?」
※ナタリア、こっちにおいで?
「どうしたの?」
首を傾げたナタリアが、不思議そうに歩いてくる。
俺はベッドから立ち上がり、ナタリアを抱きしめた。
たくさん遊んできたのだろう。
お日様と砂埃の匂いがした。
「ダディなんか変! ディーはあたしが叱っておいたから、もう大丈夫だよ?」
「うん、わきゃっちぇりゅよ……」
※うん、分かってるよ……
込み上げてくる熱い物が溢れないように、感情を押し殺す。
この温もりを、柔らかさを、匂いを、体と心に深く刻み込んだ。
俺は、ナタリアの両肩を掴んだ。
真っ直ぐに見つめると、ナタリアも見つめ返してくる。
「じーちょにゃきゃよきゅぢぇきしょうきゃい?」
※ディーと仲良く出来るかい?
「うん、友達だもん!」
さも当たり前のように返事をするナタリアの頭を撫でると、俺の天使は花が咲いたように笑った。
俺もアルも疲れていたので、早めに寝ることにした。
最近は外で食事をとっていたが、今日は城のご飯をお願いした。
風呂に入り、パーカーとジーンズに着替えると、味の薄いパッとしないご飯を食べた。
さて寝るぞという時に、俺はアルにお願いをした。
「ありゅ、あしちゃおうしゃみゃにみゃおうにょきょちょをちゅちゃえちぇきゅりぇにゃい? きぇいやきゅにょきょちょちょきゃ」
※アル、明日王様に魔王の事を伝えてくれない? 契約の事とか
「あらっ? 一緒に行くかと思っていたのですが。何かあるんですかっ?」
「うん、ちょっちょにぇ。おにぇぎゃいしちぇいい?」
※うん、ちょっとね。お願いしていい?
「パパのお願いなら断れませんねっ!」
今日はアルとナタリアが一緒に寝ている。
電気を消し、俺もベッドで横になった。
勇太:みなさん、地球に帰ろうと思います。
コメ:は?
コメ:何で?
コメ:え?
勇太:この世界の脅威は魔王だけです。俺が居なくなれば、契約によって魔王は人間に手出し出来なくなります。
コメ:いや、そうだけどさ。
コメ:逃げるのか?
コメ:アルちゃんとナタリアちゃんは?
勇太:一年も経てば、俺の事なんて忘れますよ。一緒にいたのって一ヶ月くらいですから。逃げると思われても構いません。
コメ:本気で言ってるの?
コメ:人の心が無いんだな。
コメ:それでも父親か?
勇太:俺の気持ちは捨てました。アルとナタリアには申し訳ないですが、世界を救うにはこれしかないと考えました。
コメ:言ってる事は理解出来るよ? でもね……。
コメ:勇太のくせに考えてんじゃねえよ!
コメ:見損なったわ。俺は、お前の事を勇者より勇気がある変な奴だと思ってたのに。
勇太:俺みたいな何も出来ない奴からすれば、ベストなエンディングだと思います。だってそうでしょう? こんなスキルで四天王を倒して、みんなを守れて、これ以上無い結果じゃないですか!
コメ:もういいよ。勝手にしろ。
コメ:お前のはベストじゃなくてベターな? 俺は本当のベストなエンディングってやつが見たかったよ。
コメ:この世界が大事なのか? ナタリアちゃんとアルちゃんと比べて、本当にそう思ってるならお前は男のクズだ!
コメ:今のお前は英雄気取りの偽勇者だ。俺はまた勇太が見てえよ。
アルとナタリアの寝息が聞こえてくる。
音を立てないように、ベッドから抜け出す。
クローゼットの中にある着丈が長いシャツの胸ポケットの中に、左手薬指の指輪と真紅の宝石がついた首飾りを入れる。
そっと扉を開き、部屋から抜け出した。
ヒューコンの超長距離間ワープの座標を地球の自分の部屋に設定する。
勇太:これで俺の冒険を終わります。今までありがとうございました。
ワープを起動する。
これでパズルが完成した。
光に包まれ、体が宙に浮いたように感じた。
すぐに足裏が地面を捉える。
久しぶりに自分の部屋に帰ってきた。
殺風景な部屋がとても懐かしく感じる。
ヒューコンからメッセージが届いていた。
「あなたの体は正常です」
スキル『絶望的な滑舌』が無くなったようだ。
俺の冒険は、本当に終わったんだ。
ベッドに入り目を閉じると、涙が溢れてきた。
自分で決めたはずなのに、後悔すると分かっていたはずなのに。
様々な感情が爆発している。
たまらずうつ伏せになり、枕に顔を埋めた。
叫びそうになるのを堪えたが、
「あら勇太、帰ってたの? 何か作っておくから、起きたら食べなさい」
母さんの声で目が覚めた。
どうやら泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。
軽くストレッチをして目を覚ます。
リビングへ行くと、テーブルの上には母さん手作りの朝食が用意されていた。
いつもは抜群に美味しいはずなのに、今日はなんだか味がしない。
天気がいいのに気持ちが沈んでいる。
食事を終えたら歯磨きの時間だ。
歯ブラシは極細毛で硬めというこだわりがある。
強烈ミントの歯磨き粉で歯を磨く。
俺は、毎朝シャワーを浴びる。
お気に入りのフローラル系の香がついたボタニカルシャンプーで髪を洗うと、アルを思い出した。
アルから首飾りを貰った時の記憶が蘇ってくる。
鏡の前で髪を乾かして、自分の部屋に戻る。
ヒューコンで貯金の残高を見てみると、二億五千万円を超えていた。
タイキンさんのように大金持ちになろうと始めたキャスターだったが、何故だか少しも嬉しくない。
コメ:あれ、まだやってるの?
そういえば、配信を切っていなかった。
コメ:勇太、鏡見たか? どうせゴブリンみたいな顔してるぞ。
鏡はさっき見た。
自分の顔とは思えない生気のない顔をしていた。
コメ:ユートルディス! ユートルディス!
もうそれは終わったんだ。
俺はただの
コメ:お前、後悔してないのか?
後悔してないわけ無いだろうが。
俺だって足りない脳みそを使って一生懸命考えたさ。
みんなの幸せを考えて、考えて、考えて……。
コメ:アルちゃんとナタリアちゃんに幸せになって欲しいよ俺は。
俺だってそうだよ!
でも、仕方ないじゃないか!
誰かが犠牲にならなきゃいけない事だってある!
コメ:ユートルディス殿、出発しますぞ!
結局、ランデルは魔王を探しに行ったままそれっきりだったな。
最初は俺とは合わない嫌な奴だと思ったけど、下ネタで盛り上がってから仲良くなった。
ランデルのおかげで、俺はアルに出会えたんだ。
気のいい爺さんて感じで面白い奴だったな。
コメ:何で泣いてるんだ?
俺が泣いてる?
あれ、本当だ。
何で泣いてるんだろう。
止まらないや。
勇太:自分でも分かりません。何でか分かるなら教えて欲しいよ!
コメ:やり残した事があるから。
コメ:お前は宝物を置いてきた。
コメ:後悔するくらいなら立ち向かえ!
やり残した事?
そりゃあるさ。
アルとナタリアとずっと一緒に居たかったよ。
立ち向かえるならそうしてるよ。
でも、あんなスキルでどうやって……
勇太:俺、ベストを尽くしてませんでした。
コメ:お?
コメ:ユートルディスきたか?
勇太:作戦があります!
コメ:待ってました!
コメ:急に不安になってきたw
コメ:勇太が帰ってきたな!www
超長距離ワープの座標を指定する。
場所はラドリック。
ジャックス王国の俺たちの部屋の前だ。
勇太:また一緒に冒険しましょう!
俺は光に包まれた。
もうこの感覚にも慣れてしまった。
目を開けると、
ヒューコンから通知が来ている。
「体に異常を検知しました。スキル『主人公』により、モンスターを倒すとレベルが上がります。モンスターを倒した実績により、現在の勇太様はレベル四四八です」
この国に来て初めて作戦が成功したみたいだ。
部屋の扉を開くと、ナタリアとアルが出掛ける準備をしていた。
「ただいま!」
「パパっ! おかえりなさいっ! 今までどこに……ってあら? その声というか喋り方? というか」
「ダディおかえりー!」
飛びついてきたナタリアを抱きしめる。
石鹸のいい香りがした。
俺は帰ってきた。
これから俺の冒険が始まるんだ。
「二人とも、俺の話を聞いて欲しい」
END