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空を飛ぶ人々

 ジークウッドの街で補給を終えた俺達は、残虐の王ネフィスアルバが潜むオウッティ山脈へと向かう予定だった。
 しかし、ランデルの思考回路が焼き切れてしまった為、一度ジャックス城に引き返すことになった。
 四天王の一人、狂乱の一角獣ライトニングビーストを倒したことで士気が最高潮に達していた兵士達からは、あちこちで不平不満がこぼれていた。

「ランデル殿、(わたくし)ノイマンから一言よろしいでしょうか。今という絶好の機会を逃すのは何故です? ネフィスアルバの首を取って来いというのが王からのご命令であったはずです。勇者殿の輝かしい功績を持ち帰ると同時に、我々は王命に背いた愚かな騎士として罰せられてもおかしくありません!」

 ノイマンと名乗る腕章をつけた騎士がランデルに進言している。
 眉間に(しわ)を寄せた凄みのある表情で、その声は怒気を帯びている。
 深緑色をした長い髪を後ろに束ねた、貴公子とも呼べる若い美青年だ。
 おそらく他の騎士達より(くらい)が上の立場なのであろう。
 次々に湧き上がる兵士達の鬱積(うっせき)を代弁しているのだろう。
 彼の言い分は至極(しごく)真っ当である。
 それを聞いていた兵士達は、声こそ上げないが、小さく(うなず)いて無言の肯定を示している。
 重苦しい雰囲気となってしまったが、俺としては一刻も早く城に戻りたい。
 正直なところ、余計なことは言わないで欲しい。
 俺は城で休み、ランデル達がネフィスアルバを倒すという当初の予定に戻したいからだ。

「おい若造。貴様は、ユートルディス殿の隣にいる女が何者か分かっておるのか?」

「……はい? 勇者殿の恋人では?」

「この愚か者があああああああ!」

「ぐふぇあっ!」

 ノイマンが宙を舞った。

 ランデルが怒声を放ち、青い手甲をノイマンの腹部に深々とめり込ませると、鍛冶師が力強く槌を振り下ろしたかのように甲高(かんだか)く金属質な音が鳴り響いた。
 ノイマンの体はくの字に折れ曲がり、斜め下から繰り出されたランデルの拳の軌道をなぞるように、放物線を描いて空中へと浮かび上がった。
 子供が無邪気に放り投げた人形のように、その勢いのままノイマンは無様に地上を転がっていった。
 砂煙の中、地べたに(うずくま)るノイマンの甲冑(かっちゅう)(きざ)まれたすり(ばち)状の(くぼ)みが、どれほどの衝撃であったのかを物語っていた。
 砂埃(すなぼこり)(まみ)れた顔立ちの整った若い騎士の表情には、何が起こったのか分からないという戸惑いと、何故殴られたのかという(いきどお)りが浮かんでいた。

「あの女は、炎眼(えんがん)の死神アルテグラジーナ。いくら小童(こわっぱ)とはいえ聞いたことくらいあるであろう。この世で最も多くの命を(うば)った存在。気まぐれに地獄の業火を撒き散らし、通った後には残酷な死のみが残される。そんな四天王最強の女が、いつの間にかユートルディス殿と一緒に居るんじゃもん! お前にワシの気持ちが分かるか!」

「……へ?」

 ()(つくば)ったまま、地面に顔を(こす)り付けながら、何か恐ろしいものを見るようなノイマンと視線が合う。
 その他の兵士達も、錆付(さびつ)いて固着(こちゃく)したネジを(ゆる)めるかの如く、ゆっくりゆっくりと俺に視線を向けてくる。

勇太:いや、俺じゃなくね?
コメ:勇太は氏んでよし!
コメ:何がユートルディスだよ、ナメてんのか?
コメ:話しかけんなカス! アルちゃんだけ見てろ!
コメ:自分がアルちゃん専属のカメラマンだって理解してる? 脳みそ足りないんだから、それだけを覚えとけよ!

 何故かは分からないが、コメントは今朝からずっとこの調子である。
 いたたまれない気持ちになった俺は、ふと視線を隣に逃がした。
 目が合ったアルは、両頬に手をあてて少し照れた様子で笑い、誤魔化すようにウインクをした。
 大人びた美しさとあどけない少女を思わせる表情のギャップが可愛らしく、気まずさを緩和してくれるには十分だった。
 張り詰めた空気の中で、唯一俺に癒しを与えてくれたのがこの中で最も恐ろしい存在とは。

コメ:ありがとうございます! ありがとうございます!【二万円】
コメ:アルたそチュッチュ!【五万円】
コメ:天使いたあw【一万円】
コメ:俺にウインクしたぞ!【二万円】
コメ:アルちゃん可愛すぎてつらい。【一万円】
勇太:マネチャありがとうございます!
コメ:(くせ)えから(しゃべ)んな!
コメ:黙ってアルちゃんだけ映しとけ!
コメ:ほら、お前にもやるわ。口で拾え!【二円】

「まだワシに意見のある者はおるか?」

 青い鎧を身に(まと)う老兵の(りん)とした(たたず)まいは、二日酔いでフラフラしていたとは思えない有無を言わさぬ圧倒的な迫力を感じさせた。
 兵士達は、俺とアルを交互に見ながら何か言いたげな様子であったが、誰一人として口を開くことは無かった。

 四天王を討伐するために街へ寄り、一夜明けたら自分達の勇者の隣にもっと凶悪な四天王が居たのだから、兵士達も何が何だか分からないのは当然だ。
 当の本人の俺にだって訳が分からないのだから。
 この状況だって、アルの任務の一環である可能性があるし、俺が何の力も持たない偽勇者だとバレた瞬間に殺されるかもしれない。
 いつ何が起こるか予測不可能だからこそ、俺にはただ流れに身を任せることしか出来ないのだ。
 
 城に戻ってまずやる事は、王への嘆願だ。
 ライトニングビーストを倒した功績を盾に、一方的な要求を通す。
 俺は仕事をしたが、ランデル達は何もしていない。
 次は王国の人達が働かないと体面が保たれないのではないか。
 王としては、魔王討伐を英雄譚としたいはずである。
 勇者抜きで四天王を倒した実績が必要なのではないだろうか。
 完璧なストーリーを持って王と話し合い、俺は楽をさせて貰うのだ。
 青の知将を超えた金の才覚(さいかく)がここに誕生してしまった。

「では、出発するぞ!」

 ランデルの号令で、部隊が一斉に動き出した。
 馬の(いなな)く声を皮切りに、隊列を崩すことなく歩幅を揃えた兵達の行進が始まった。

 今日はいつもと違ってアルが隣に座っている。
 アルは、足を揃えた後少し斜めにずらし、太モモの上に指先を添えるように両手を置いている。
 どこかのお嬢様かと勘違いするほど上品な所作に、女性らしさを感じて思わず緊張してしまった。

コメ:眼福です!【五千円】
コメ:おいカメコ、正面から映せよ使えねえな!
コメ:もっとアルちゃんを映せ!【一万円】
コメ:アルちゃその隣に座るな。タヒね。
コメ:社長令嬢って感じするわ。ちゅ、ちゅき……。【二万円】
コメ:(うるわ)しのアル様へ【十万円】

 馬車が動き出すと、忘れていたお尻の痛みが蘇ってきた。
 擦り傷のようなヒリヒリとした疼痛(とうつう)が馬車の揺れに合わせて襲いかかってくる。
 ランデルが話しかけてくれると気が紛れるのだが、
今日のランデルはいつもと様子が違う。

 アルと向かい合うように座っているランデルは、特に口を開く様子はなく、ただ(いぶか)しげにアルを(にら)み続けていた。
 その姿は、巻藁(まきわら)を切る前の居合術の師範のような緊張感があり、刀を抜き放つその時に向けて精神を集中しているように見えた。
 動いたら斬る、そう言わんばかりの眼差しは鋭く、ゆっくりと大きく呼吸をする様はまさに武人と呼ぶに相応しかった。

 馬車の中という狭い空間に緊張の糸が張り詰めている。
 気を紛らわそうと何か適当に喋りたかったが、それを許さないような雰囲気に包まれている。

「あなた、ランデルさんでしたっけ。見つめるのは構いませんけど、そのような目つきをされると不愉快なのですがっ?」

「いや、これは失礼。勘違いさせてしまったようで申し訳ありませんが、気を紛らわせようと思い、貴殿の美しい顔を見つめておりました。実は、いつ吐いてもおかしくありません」

 衝撃の告白なんだが?
 アルを警戒しているのかと思って感心していた俺の気持ちを返して欲しい。
 ここで吐かれたら馬車が終わってしまう。

「おい、みゃちぇ!」
※おい、待て!

吐け(・・)と? ユートルディス殿はお優しいですな。では、お言葉に……」

「ちぎゃうちぎゃう! おみゃえ、きょきょぢぇはいちゃりゃみゃじぢぇゆりゅしゃんきゃりゃな! ぢゃれきゃあああああ! びゃしゃをちょみぇちぇええええ!」
※違う違う! お前、ここで吐いたらマジで許さんからな! 誰かあああああ! 馬車を停めてええええ!

 俺が騒いでいると、アルが立ち上がった。
 その瞳は、煮えたぎるマグマのように赤熱していた。

「ゴミがっ!」

 ランデルが消えた。

 アルが怒声を放ち、赤いショートブーツをランデルの腹部に深々とめり込ませると、寺院の梵鐘(ぼんしょう)()いたような鈍くて重い金属質な音が鳴り響いた。
 ランデルの体はくの字に折れ曲がり、鋭く水平に繰り出されたアルの後ろ回し蹴りの軌道をなぞるように、馬車を突き破って遥か後方へと飛んでいった。
 据え置き式の大型弩砲から放たれたかのように、青色の弾丸(ランデル)はその勢いのまま視界から消えてしまった。
 どんどん小さくなっていくランデルの悲痛な叫び声が、絶望的な距離の開きを教えてくれた。

 俺達の馬車は、隊列の最後尾を走っている。
 遥か後方に吹き飛んだランデルは戻って来ることが出来るのだろうか。
 何事も無かったかのように、(ひづめ)は軽快なリズムで地面を叩いている。

「勇者様っ。私の(ひざ)を枕にしてもいいんですからねっ!」

 ランデルを星に変えた美女が、何者も抗えない魅力的な笑顔で微笑んでいる。
 薄灰色の柔らかな太モモに頭を乗せると、お尻の痛みが和らいだ。
 今、俺は天国にいる。
 俺に天国を与えてくれているのは、絶対に怒らせてはいけない地獄の門番だ。 

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