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視聴者の様子がおかしい

 初めての経験を終えた俺は、一皮剥けて精神的に成長したような感じがした。
 大人の階段を上った俺には見える景色が違っていた。
 店の外に出ると、歓楽街ならではの喧騒(けんそう)がどこか心地いい。
 乾いた風が肌を撫でると、汗で濡れた体がひんやりと冷たかった。
 深々と頭を下げる店のガードマン二人が俺の背中を見送る。
 振り返らずに右手を少しあげるだけで礼を示した。
 心の余裕を態度で示す、そんなハードボイルドな男になっちまったみたいだ。

 ランデルは、店の入り口近くで待っていてくれた。
 腰に手を当てて一人たたずんでいる。
 全てを出し切ったような、満足そうな顔で夜空を見上げるランデルの顔は、どこか少年を思わせるものがあった。
 ここにも一人、ハードボイルドな男を発見しちまった。

「りゃんぢぇりゅ、おみゃちゃしぇ! ぢゃいびゅちゃにょしんぢぇちゃみちゃいぢゃにゃ!」
※ランデル、お待たせ! 大分楽しんでたみたいだな!

「おお、ユートルディ……おや、そちらの方は? あれ、たしか? いや……そんなはずが……」

 そう、俺には見える景色が違っていたのだ。
 先程まで一緒に愛を育んでいたアルテグラジーナちゃんに手を引かれて、黒いドレスから浮き出る形のいいお尻のシルエットを楽しみながら退店していた。
 俺には、腰の動きに合わせて左右に揺れる可愛いお尻しか見えていなかった。
 ランデル、すまんな。
 俺にも今の状況が理解できていないんだ。

「四天王が一人、炎眼(えんがん)の死神アルテグラジーナです。この度、勇者様の物となりましたので、今は四天王ではなくなりましたが。私のお腹には、勇者様のお子がおります。生涯(しょうがい)()()げる事を決めましたので、これからは幸せな家庭を築いていこうと思いますっ!」

「ああ、そうでしたか。ああ、四天王のね。はいはい、なるほどなるほど……」

 ランデル、お前どこを見ている?
 (うつ)ろな目で遠くを見ているけど、絶対に思考放棄してるよな?
 ついさっきまで幸せに満ちた穏やかな顔をしていたお前は何処に行ってしまったんだ。
 感情が抜け落ちたかのような、口を半開きにして呆然とした表情をやめてくれないか。

「りゃ、りゃんぢぇりゅ……?」
※ラ、ランデル……?

「おお、これはユートルディス殿! さてはそのご様子、いい子に当たったのではないですかな? いやあ、素晴らしい店でしたね。さて、この後もう一件飲みにでも行って、感想を話し合いませんか?」

 駄目だこいつ、完全にイカれてやがる。
 目を見たら分かるが正気じゃない。
 酒で現実逃避しようとしているに違いない。

「ありゅちぇぎゅりゃじーにゃちゃんはぢょうしゅりゅ?」
※アルテグラジーナちゃんはどうする?

「ア、アルと……お呼び下さいっ……」

 なんか照れてる。
 可愛いんだけど?

「おや、ユートルディス殿、そちらのお方は? む、貴様は四天王が一人、炎眼の死神アルテグラジーナではないか! この女は、その紅に光る炎眼の魔力で炎を操り、周囲を一瞬で焦土と化す恐ろしい能力を持っています。ユートルディス殿、ここで戦うのは危険です。一度引きましょう! どこか近くの酒場に避難するのです!」

 ランデルが壊れてしまったんだが。
 なんとか脳内をリセットしようとしたみたいだが、思考のピースが全く噛み合っていないようだ。
 こいつ、これで自分のことを青の知将とか言っていたのかよ。

「りゃんぢぇりゅ……?」
※ランデル……?

「ワ……ワシにだって! ワシにだって、どうしたらいいか分からない時があるのです! だって、その女は本当に四天王が一人、炎眼の死神アルテグラジーナなんじゃもん!」

 いや、キレられても。
 なんじゃもんとか言われても。
 そんな事を言ったら、俺なんてこっちの世界に来てから常にそういう状況なんだが。

 (らち)が明かないので、ランデルの希望通りに近くの酒場に入ることにした。
 ドエロ動物園に入場してから退場するまでにあった出来事を、俺の脳内を整理するためにも全て包み隠さず報告した。
 アルが所々を補足してくれたので、恐ろしい事態が(あら)わになった。

 まず、動物園に入った。
 ボーイに案内されると、体験入店で来たばかりのアルと出会った。
 アルは、狂乱の一角獣ライトニングビーストの気配が消えたことに気付き、その現場から立ち去る俺達を尾行していたらしい。
 この時点で、アルが本当に四天王だと分かり、自分のしたことを振り返って気を失いそうになったのだが、ランデルもおかしくなっているし、俺は何も考えないことにした。
 魔王は勇者が現れた事を知っており、城から一番近くに居たライトニングビーストの潜む、モロンダルの坑道付近にアルを潜伏させていたらしい。
 変装が得意な魔王の手下がジャックス王国内に潜入しているらしく、情報は筒抜けみたいだ。
 元々ランデルの力を警戒していたようだ。
 アルは、勇者を暗殺しようと俺に近づいたが、予想外の展開でいつの間にか俺の物になってしまったらしい。
 その状況はちょっとよく分からないが、俺にも分からないので触れないでおく。
 そのまま俺はアルに手を引かれ、店の外に出ようとしたがボーイがアルを引き止めた。
 アルがそのボーイを睨みつけると、ボーイは尻餅をついて股間を湿らせた。
 アルの「辞めます」の一言を聞くと、ボーイは無言で首を上下に大きく振って肯定(こうてい)したので、店の外に出ることが出来た。
 そして、店から出てきた俺とアルを見て、ランデルが壊れた。

「ちょ、ゆうきゃんじにゃんりゃけりょ?」
※と、いう感じなんだけど?

 ランデルから返答がない。
 ランデルは、酒場の入り口を見つめながら恐ろしい早さで酒をあおっている。
 少し離れていてもアルコールの香りがするくらい度数の高い酒を狂ったように飲み続けている。
 ランデルの顔色が赤から紫に変わり、誰が見ても危険な状態だと分かった。
 ふと隣に座るアルを見ると、(さげす)むような目でその様子を眺めていた。

「おい、りゃんぢぇりゅ!」
※おい、ランデル!

 俺の呼びかけに反応してくれたのか、ランデルと目が合った。
 血走った瞳ではあるが、真っ直ぐに俺を見る両の目からは、意思を秘めた力強さを感じた。
 顔色は悪いが、どこか吹っ切れたような、清々しさのある表情を見せてくれている。
 部隊を率いる将の責任感が表れているように思えた。 
 時間はかかってしまったが、やっとまともなランデルが帰ってきてくれたようだ。

「ユートルディス殿……先に逝きます……」

 ランデルは、盛大にゲロを吐き、そのままテーブルに突っ伏してしまった。
 周りの客は悲鳴をあげ、店員さんは大騒ぎだ。
 俺は、ランデルの吐瀉(としゃ)物を片付けるはめになった。

 汚物の掃除が終わると、アルが店員さんを呼んで会計の手続きをしてくれた。

「次から気をつけてくださいね。こちら、会計になります」

 店員さんの冷たい視線が胸に突き刺さる。
 伝票を貰ったアルが目を丸くしているので、おそらくランデルの酒代が高くついたのだろう。
 ここの勘定は俺が代わりに立て替えておいて、明日水増しして請求してやるとしよう。

「けっきょうしゅりゅ?」
※結構する?

「えっ? はっ、はいっ! アルは、勇者様と……結婚するっ(・・・・・)!」

 ……ん?
 そうじゃないんだが?

「「「うおおおおおおおお! めでてえじゃねえか!」」」

「皆さん、ありがとうございますっ!」

 ……んん? 
 俺は、会計がいくらになったか聞いただけなんだけど。
 おい客、「坊主、一杯奢るぜ!」じゃないんだよ!
 俺の意思とは関係なく物事が進んでいく。

「勇者様、幸せになりましょうねっ!」

「……しょうぢゃにぇ」
※……そうだね

「「「若い二人の素晴らしい門出を祝って、皆で乾杯しようじゃないか!」」」

 アルが、嬉しさ一杯の笑顔を浮かべて抱きついてきた。
 いい匂いがするし、肌が柔らかくて気持ちがいいのだけれど、とてつもなくまずい状況になっているのは理解している。
 でも、(あらが)えるわけがない。
 同じシチュエーションで断れる男が居るのなら紹介して欲しいくらいだ。

 周りの客が全員、優しい顔で拍手を送ってきている。
 さっきまで怒っていた店員までもが、「おめでとうございます!」なんて人の気も知らずに祝いの言葉を投げかけてくる。

 全てを諦めた俺は、会計を済ませてアルと二人で酒場を後にした。
 今は何も考えたくないというのと、ゲロ掃除をさせられたことに少し腹が立っていたのもあり、ランデルは置き去りにしてきた。

 いい大人なのだから自分の足で帰れるだろう。
 明日になれば、いつも通りのランデルに戻っているはずだ。
 勇者と共に魔王を討伐する大隊を率いる大隊長の老兵として、責任感のある言動を見せてくれると期待している。

 宿に戻り、受付に一人宿泊者が増えることを告げて追加の料金を払うと、ダブルベッドがある別の部屋に変更してくれた。
 部屋に入ってベッドで横になると、体中から疲労を感じた。
 精神的な疲労九割、肉体的な疲労一割といったところだろうか。
 隣に潜り込んできたアルと少し会話をしていると、いつの間にか眠りについてしまった。

 朝起きると、久しぶりにベッドで寝たからか清々しい気分だった。
 大きく背伸びをして体を左右に倒してみると、長旅で溜まっていた疲れやコリが取れていた。
 色々ありすぎて配信の事をすっかり忘れていたのに気付いた。
 半日ぶりに配信を再開しようとすると、やけに待機人数が多かった。
 一度離れた視聴者が戻って来る事はほとんど無いに等しい。
 おかしいとは思ったが、配信を始めた。

勇太:おはようございます。
コメ:挨拶はいいからアルテグラジーナちゃんの事を教えろ!
コメ:今日も同じ店に行ってアルテグラジーナちゃんを指名しろ!
コメ:お前みたいな弱小配信者があんな美人とお楽しみだったなんてマジでムカつく! 氏ね!
コメ:お金ならいくらでも払います。アルテグラジーナちゃんとパーティーを組んで下さい。
コメ:それいいな! 一緒に冒険しろカス!

 酷い言われようだ。
 ふと横を見ると、布団から目元だけを覗かせた美しい女がこちらを見ている。
 昨晩の出来事が現実であると再認識させられ、どうしたらいいか分からず頭を抱えてしまった。

「おはようございます、勇者様」

「うん、おひゃよう」
※うん、おはよう

 挨拶をするのは気分がいいものだ。
 今日も俺は現実逃避を貫こうと思う。

コメ:うらやま死刑!
コメ:誰かこいつの所に行って罪を(つぐな)わせろ!
コメ:氏ね! マジで氏ね!
勇太:アルは、炎眼の死神アルテグラジーナという名前の四天王です。
コメ:アル呼び許せん! ふぁっ?
コメ:四天王?www
コメ:お前の冒険滅茶苦茶じゃねえか!w

 一気に視聴者数が伸びて一万人になった。
 登録者数は十五万人を超えている。

 宿から出て、馬車を守る大隊が待つ方へ向かうと、遠くからでも分かるほど綺麗に隊列を組んで待機していた。

「みんにゃ、おひゃよう!」
※皆、おはよう!

「「「勇者殿、おはようございます!」」」

 やはり、挨拶は気持ちがいい。
 清々しい一日の始まりを感じさせてくれる。

「ありぇ、りゃんぢぇりゅは?」
※あれ、ランデルは?

「はっ! まだ見えておりません。勇者殿と一緒だったのでは?」

 騎士の一人が答えてくれたが、あの後ランデルがどうなったのかを俺は知らない。
 何も知りたくない。

 金ピカ鎧に着替えさせられたが、ランデルが現れる気配は一向に無かった。
 しばらくすると、ランデル捜索部隊が結成された。

 街の中から、ランデルを呼ぶ声がする。
 いい歳をした大人が迷子扱いだ。
 酔いつぶれて倒れたハゲジジイを無理やりにでも宿まで連れて帰るべきだったかもしれない。

 自分の行いを反省していると、遠くに、両脇を抱えられた青い鎧の男が見えた。

 ランデルが、真昼間の大通りを無理やり引きずられるようにズルズルと歩いてくる。
 うな垂れた老兵のハゲあがった頭頂部は、鏡のようにキラキラと陽光を反射し、見るも無残な姿であった。
 哀愁(あいしゅう)が漂うその光景を見ていると、なんだか悲しくなってきた。
 昔、親族が集う飲み会で、親戚のおじさんが同じような状態になった時、「人間、ああなったらお終いだよ……」と父親が言っていたのを思い出した。
 ふと隣のアルの横顔を見ると、ゴミを見るような目をしていた。

 隊の近くまで来たランデルは、支えてくれていた両脇の騎士に小さく礼を言い、千鳥足ながらも自分の足でやってきた。

「りゃんぢぇりゅ、ぢゃいぢょうびゅきゃ?」
※ランデル、大丈夫か?

「ユートルディス殿、一度城まで帰りましょう! なんかもうよく分かりませんので、とりあえず王に頼ることにします!」

 ぶっ壊れちまった……。 

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