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宵滴






暗い雲が空一面を覆い、黒い雨が冷たく地を濡らしていた。

雑草がところどころ伸びた墓地には、古びた墓石が乱雑に並び、雨を受けて鈍い輝きを放っている。空気には湿った土と苔の匂いが漂っていた。そんな静まり返った空間に、一輪の白い傘が咲き、まるで闇の中で輝く小さな花のように際立っていた。

黒いパンプスが濡れた石畳を叩き、静寂をわずかに乱しながら響く。

片側にまとめられた金色の髪が歩くたびに揺れ、雨のしずくを纏いながら淡い光を放つ。
紺色の制服を着た少女が傘を軽く傾ける。彼女の金色の瞳が見つめる先に、墓石の前で雨に濡れながら、静かに立つ金髪の女性の姿があった。帽子のつばからは、しずくがぽたりぽたりと絶え間なく垂れ、後ろにまとめられた長い髪も濡れ、長いスカートにはり付いていた。

ふいに白い傘がふわりと揺れ、少女の声が弾むように響いた。


「お姉ちゃん!」


呼び声に気づいた帽子の女性がゆっくりと振り返り、かすれた声で応えた。


「ネル……」


ネルと呼ばれた少女は、雨に濡れた地面など気にも留めず駆け寄る。


「お姉ちゃんも来てくれたんだね。」


姉の濡れた姿を見て、ネルは傘を差し出すように手を伸ばした。しかし、姉の言葉がその動きを止めた。


「ネル。私、お父さんを探しに行く。だから一緒には暮らせない。」

「……え?」


ネルの手が止まり、小さく震え始める。


「待って、卒業したらって……約束したよね?」


その言葉に姉の表情が曇る。ネルの声が掠れ、胸の奥から絞り出すように響いた。


「ひとりで暮らすなんて無理だよ……私がドジだって知ってるでしょ……」


その瞬間、姉の瞳が冷たく鋭く光る。


「もうあんたの面倒見るなんて嫌なのよ。」


ネルの息が詰まり、喉が震える。けれど、彼女はなおも諭すように傘を差し出しながら続けた。


「二人だけの家族なんだよ……お父さんは、きっと帰ってくるよ!」


しかし、姉は静かに持っていた刀の柄で叩くようにネルの手を振り払った。傘が宙を舞い、地面に落ちる音が雨にかき消される。


「いい加減にして!あんたのせいでお父さんはひとりで行ったのよ!」


姉の怒声が静寂を破り、ネルの足元をすくった。傘を拾おうとする間もなく、姉はきびすを返し歩き始める。


「わ、分かった!私も一緒に探すよ……だから!」


ネルは必死に姉の背中へ向けて叫んだ。

しかし、姉は振り返ることもなく、雨の中を静かに歩き続ける。遠ざかるその背中を見つめる中、雨音がふと弱まり、灰色の空に微かな光が差し込んだ。姉が足を止め、ポツリと呟く。


「その髪…私を真似てたわね。」


ネルの胸に一瞬、希望の火が灯る。

しかし、鯉口を切る鋭い音が切り裂いた。雨が完全に止み、一筋の閃光がネルの瞳を貫く。吹き抜けた風が彼女の髪をさらい、金色の長い束が宙を舞い散った。

その瞬間、ネルの脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。姉の優しい手が丁寧に自分の髪を結ってくれたあの日──

ネルはその場に崩れ落ち、肩を震わせながら自分の髪に手を伸ばす。そこに残っていたのは、無残に短く切り取られた髪だけだった。

姉は刀を静かに鞘へ納めると、一度も振り返ることなく歩き去った。ネルは涙で濡れた顔を上げ、立ち上がろうとするが、足に力が入らず、ただその場に座り込む。


「待って……ひとりにしないで……」


冷たい雨が再び降り始め、彼女の震える声も世界に掻き消されていった──







暗い寝室で、一人の男性が静かに眠っていた。

突然、枕元に置かれたスマートフォンが音楽を鳴らし始める。男は目を覚まし、慌てて手を伸ばして電話を取る。


「──レイだ。こんな時間にどうした?」


部屋には射撃大会や剣術大会のトロフィーが並び、黒い警察官の制服が壁に掛けられている。電話の向こうで聞こえる声に顔をしかめ、レイはベッドから飛び起きた。


「探すってお前たちの親父は……!今どこにいるんだ!?」


クローゼットを開けながら、片手で素早く服を着替えつつ叫ぶ。


「郊外の墓地だな!お前もそこにいろ、三人で話し──」


だが、スマートフォンの画面を見ると通話が切れていた。レイは歯を食いしばり、吐き捨てるように言った。


「くそ、パトリシア……親父にそっくりだ。」











雨が降りしきる墓地に、ひとりの女性が立ち尽くしていた。

「どんな手を使ってでも……悪魔に魂を売ることになっても、必ず見つけ出す……」

そう呟いた彼女は、手にしていたスマートフォンの電源を切ると、無造作にそれを放り投げた。冷たい雨が降り注ぐ空を仰ぎ、目を閉じたままその冷たさを受け止める。そして、決意を秘めた表情で再び歩き出す。


彼女の背後では、降りしきる雨音が徐々に重く響いていった──






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