第10話 月の鐘、鳴らすのは兎①
月曜日。
俺の気分は最高潮に達していた。
「昨日のハクアたんとかるなちゃまのコラボ配信さいっこうだったな~」
天空ハクア。6期生の風紀委員的存在。
かるなちゃまとはまるで姉妹のような絡みを見せる(もちろん、姉がハクアたん)。見てて癒される至高のコンビなのだ。
昨日の配信を頭の中で再放送しつつ廊下を歩いていると、
「ねぇねぇ青空ちゃん! 放課後、俺たちとカラオケいかない?」
ナンパ現場に遭遇した。男3人でアオをナンパしている。
朝っぱらからお盛んなことだ。
「前も断ったでしょ? 私、忙しいから」
「そんな毎日忙しいってことはないっしょ」
「一日でいいからさぁ」
「中間テストも近いし……」
「あ! じゃあ俺たちに勉強教えてよ! 俺、英語全然ダメでさ~」
まったく、こんな堅物のどこがいいんだが……。
とりあえず、ナンパ男Aのケツを蹴り飛ばす。
「いてっ!」
ナンパ男たちは怒りの形相で振り返ってくる。
「なにしやが――兎神くん!?」
ナンパ男Aは俺を見て、冷や汗をだらだらと流した。
「暇してんなら俺が相手してやろうかぁ? あぁん?」
「ひぃ!」
「いやぁ、そ、そういえば俺たち放課後は塾で忙しいんだった!」
ナンパ男たちは走り去っていく。無様、という言葉がこれほど似合う後ろ姿もない。
「こら」
パタン。とバインダーで後頭部を叩かれた。
「暴力は駄目でしょ。こんなことしてるといつまで
「助けてやったんだから、もっと可愛らしい反応をしてほしいもんだな」
「穏便に助けてくれたら、そういう反応をしてあげるわよ」
顔を赤くして、上目遣いで『ありがとね……』と礼を言うアオを想像してみる。
「……それはそれで気持ち悪いな」
「む」
アオはむすっとした後、カバンを開き、中から一枚の紙を差し出してきた。
「なんだこれ?」
「反省文、放課後までに提出してね」
「え、ガチ?」
「ガチ」
アオは笑顔で言う。
まずい……長年の付き合いでわかる。この笑顔をする時のアオはマジギレ一歩手前だ。
「わ、わかった」
おとなしく原稿用紙を受け取った。
ふん! と鼻を鳴らし、アオは自分の教室へ帰っていく。
ホント助け損だったな……。
「……まったく、ウチの風紀委員がハクアたんだったらいいのにな」
もしハクアたんだったら反省文20枚にラブレターをトッピングするのにな~。
怒る幼馴染の背中を見てそう思う俺であった。
---
「『ハクアたんが風紀委員だったら良かったのに』……?」
「そうだ」
昼休み。
俺は後ろの席の綺鳴に願望を口にした。
「そうすりゃ俺は品行方正で律儀な男になるぜ。いや……逆に校則違反して叱られるのも悪くない、ってこれじゃ卑猥なモン持ってきてた連中と同じ思考回路だな」
綺鳴はいちご大福を咥えたまま静止している。
「どうした?」
「いや、その願望は……半分、叶ってるような……」
綺鳴はぼそぼそと喋る。よく聞き取れなかった。
「え、えと……ちょっと気になったんですけど、アオちゃんって兎神さんがVチューバーのファンだってこと知らないんですか?」
「知ってるよ。そもそも俺にVチューバー勧めたのあいつだしな」
「そうなんですか?」
「ほら、俺が不登校だった時にさ、アイツが『これからエグゼドライブっていう事務所から5人の女の子がデビューするの。見たらきっと元気出るから、一度でいいから見てみてよ!』ってさ。あの時のアイツの顔がやけにマジだったから見たんだよなぁ~。
「……」
なぜか綺鳴はビミョーな顔をしている。
拍子抜けしているような、覇気のない目つきだ。やれやれ、とでも言いたげな顔だ。
「兎神さんはもっとアオちゃんに感謝した方がいいと思います」
「え? なんで? 十分感謝はしてると思うけど」
「……アオちゃん、かわいそう」
なんで俺が悪い感じになってるんだ……。
そんなあいつに対してなおざりな態度をとったつもりないんだが。
「それはそれとして、お前勉強は大丈夫か? 昨日はバイトがあったから教えられなかったけどさ」
「バッチリです! ……数学以外」
「数学はできないやつは本当にできないよな。うし、明日はバイトないから教えてやるよ」
「それは嬉しいです! そうだ、兎神さん、私あれやってみたいです。ファミレスで勉強会! 青春アニメの定番じゃないですか!」
「いや、ファミレスはあまり居座ると店員に睨まれるし、定期的に注文しないと駄目だしであまり勉強には向かないんだが……」
勉強道具広げただけで場所によっては嫌な目で見られる。
「少しの時間でいいからやってみたいです!」
綺鳴はキラキラとした目で見てくる。
俺はため息交じりに、
「わかったよ。ファミレスな」
「はい!」
この笑顔には勝てないな。
◇◆◇
放課後。
兎神はバイトのため足早に帰り、麗歌も仕事で事務所に寄っていくため、綺鳴は1人帰路についていた。
(明日はファミレスでお勉強会……楽しみだな)
綺鳴が校舎から出ると、
「あれぇ? 綺鳴ちゃんじゃん!」
化粧の濃い女子が綺鳴を呼び止めた。
綺鳴はその声を聞いて、全身を凍らせた。聞いたことのある声だった。綺鳴は瞬時に声の主の名を頭に浮かべる。
――
「あ、うっ……」
震える綺鳴などお構いなしに、楠美は取り巻きの2人に綺鳴を紹介する。
「楠美~、誰この小動物?」
「中学ん時同じクラスだった子。コイツさ、声めっちゃ面白いんだよね」
「へぇ~、どんなん?」
3人は綺鳴を囲い込み、逃げられないようにする。
「ほら、喋ってよ綺鳴……」
楠美は綺鳴をにらみつける。
逃げることもできず、断り切れない綺鳴は小さく口を開いた。
「え、その……こんにちは……」
「うわっ、すっげぇ声高っ! アニメかよ」
「嘘!? 今の地声?」
「マジ地声なんだよこれで! それでさ、合唱コンクールの時、コイツの声バッカ目立ってウチのクラス落選したんだよね~。マジ面白かったわ」
綺鳴の脳裏に、いつかのトラウマが蘇る。
合唱コンクールの練習の時、わざわざ1人で歌わされ、笑いものにされた記憶。
勝手に号令係にされ、『起立』、『礼』の号令を口にする
綺鳴の声は特徴的だ。高くて、猫なで声で、響く声をしている。それは聞く人によっては男に媚びているようにも思え、不快に聞こえるかもしれない。ただ綺鳴は意識的にその声を出しているわけではない。
麗歌も同じ声質だが、彼女は声の高さを調整できる技術があるので、いつもは低めの声を出すことで誤魔化している。だが綺鳴にそれはできない。
声優でも七色の声を出せる人間もいれば一色の声を巧みに操って魅せる人間もいる。綺鳴はどちらかと言うと後者の人間だ。どれだけ演技しても元の声質を隠しきれない。
「ねぇ! 明日さ、クラスの男子とうちらでカラオケ行くんだけど、一緒に来てよ。アンタの声で演歌とか歌ったら絶対爆笑するわ~」
「お、それいいね~。男6女5でバランス悪かったし」
「綺鳴だっけ? コイツ乳袋でけぇから男子も盛り上がりそうじゃね」
綺鳴は頷きも首を横に振ることもしない、できない。
完全に硬直してしまっている。
そんな綺鳴を見下ろし、楠美は勝ち誇ったように笑った。
「言っとくけど、拒否権ないから」
念押しにそう言い残し、楠美たちは去っていった。