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後輩

 翌日、僕はいつも通りの時間に、いつも通りの公園に辿り着いた。そしていつもと変わらず、南沢霞はベンチに腰掛けて僕を待っていた。

 僕の姿を見たところで、南沢はとても柔らかな微笑みを浮かべてくれた。

 僕は頭の中をもう一度整理した。家を出る前にも整理をしたけれど、どうにもまとまらなかった。南沢霞に伝えようと思ったのだ。恋について。

「あ! ゲンゴちゃん! ねえねえ、早くこっちに来て! 私ね、すごいことに気付いちゃったの! 早くきてくださーい!」

「焦るなって。ちゃんとそっちに行くからさ」

 今日もやっぱり『ゲンゴちゃん』か。でも、もう慣れた。この子はちょっとおバカだけど、愛すべきおバカだ。呼び方くらい、大目に見てやろう。

「どうしたんだよ、そんなに急かして」

「あのね、あれから帰ってからずっと考えてたの! それで気付いちゃった!」

 待ち切れないとばかりに、南沢はワクワクしながら僕に言う。そんな彼女を、僕は可愛いらしいと素直に思えた。

 そして僕もベンチに腰掛ける。南沢と肩を並べて。

 だけれど、彼女の言葉が、僕が伝えようとしていたことをかき消した。あまりにも予想外なことを言うものだから。

「あのねあのね! 私ってゲンゴちゃんに恋をしてるみたいなの!」

 ――え?

「ええーーーー!!?」

 ビックリしている僕を気にせず、南沢はどんどん話を進めていった。ちょ、ちょっと待ってほしいんですけど。頭の中ごちゃごちゃなんですけど。

「なるほどー、これが恋ってやつなんですね。ふむふむ。ようやく理解ができました。私はゲンゴちゃんに恋をしてたから、会うたびに、話すたびに、胸がドキドキしていたんですね。なーんだ。私ってちゃんと恋することができてたんだ」

 そうだったんだ。南沢は僕に恋してくれていたんだ。すごく嬉しいよ。

 すごく嬉しい。だからこそ、すごく悲しい。

「なあ、南沢。ちょっといいか?」

「はい! 何でも言ってください! でもその代わり、私のお願い事も聞いてほしいです! 約束してくれます?」

「ああ、ちゃんと聞いてあげるよ、そのお願い事やらを。僕に出来ることならね。それじゃあ、先に僕が訊きたいこと。いや、教えてほしいことか。南沢、お前って本当はもう亡くなってるんだろ?」

 そう、南沢はもう亡くなっている。故人なのだ。今日、途中で学校を早退し、図書館の資料室で昔の地域新聞をくまなく調べてみて分かった。見つけた記事は本当に小さなものだった。まるで、誰にも読ませないようにしていると思える程に。

 そして、分かったこと。

 南沢はどうやら登校途中に事故に遭ったらしい。

 そしてもう一つ分かったこと。藤崎第五中学校は僕が通っていた中学校だった。どうして今まで気付けなかったのかというと、僕が入学するだいぶ前に二つの学校が統合していたのだ。そして統合するにあたり、学校名も変わった。つまり今、南沢が着ている制服は、統合する前の物ということになる。

「あ、やっぱりバレちゃったんだ。そうなんですよねえ、私ってもうとっくに死んじゃってて。まあ、でも、今が楽しいからいいか。あははっ」

 ええ……僕はこの話をすることでシリアスな展開になると思っていたのだけれど、ここって笑うところ? それに、やけに軽すぎるんですけど。

「はい、じゃあ今度は私のターンです。お願い事を聞いてくださいね」

「あ、ああ。聞く聞く。約束は守るよ。で、どんなお願い?」

「はい! ありがとうございます! それでは今から私とキスしてください!」

 ――は? いやいや、違う。何かが違う。そういう展開は全く予想していなかったから余計に思う。って、おい!

「ちょ、ちょっと待て南沢!」

 気付いたら、僕は南沢に押し倒されていた。普通逆だろ!

「待ちませんよ。死神さんに言われたんです。私が成仏できない理由を。『大きな心残りがあるから』って言ってました」

「つ、つまりだ。その『大きな心残り』ってやつが、『恋』をすることってわけなんだな? でもな、だとしてもだ。キスをするのは僕の了承を得てからにしろ!」

「えー、なんでです? 大丈夫ですよ、優しくしてあげますから」

「それも逆! たぶん女子じゃなくて男の言うセリフだから!」

「あ、そうだ。あと死神さんが言ってました。『サラリーマンは辛い』とか、『給料が少ない』とか、『サービス残業なんてしたくない』とか」

「そんな死神さんの愚痴なんて聞きたくないわ! というか、死神さんがサラリーマンだとか、そっちの方がビック――」

 僕の口を塞ぐようにして、南沢は僕に唇を合わせた。とても優しくて温かい、南沢の全ての気持ちを詰め込んだ、不器用なキスだった。だけど、伝わった。この女の子は、僕に本気で恋をしてくれたのだと。

 僕が伝えるまでもなかったんだ。

 片想いでも、それは立派な恋であること。素敵な恋であること。大切で、何ものにも代え難い、そんな恋であるということを。

 南沢霞は、それら全てを気付いていたんだ。

「キス、しちゃいました……」

 南沢は僕から唇を離した。

 ゆっくりと、別れを惜しむかのようにして。

 そして、一筋の涙が彼女の頬をつたった。

「あははっ。泣くつもりなんてなかったのに。ゲンゴちゃんには泣いているところを見せたくなかったのに」

「……そうか」

「もう無理です、涙が全然止まりません。あーあ、恋ってこんなに辛いものだったなんて、知りませんでした」

 そう。確かに恋は辛い。片想いは辛い。けれど、南沢にとっては、僕が思う以上に辛いはずだ。だから、上手く言葉にしてあげることができなかった。

「ぐすっ……もう……嫌です! 別れたくない! ゲンゴちゃんと離れたくない! 消えたくない! 成仏なんて、できなくてもいいから!!」

 彼女の心の叫びだった。一筋だった彼女の涙は、幾筋もの涙になり、そしてあっという間に、その涙ははらはらと、ポロポロと、落ちるようにして流れていった。

 そして嗚咽を上げ、慟哭して泣き叫んだ。

「嫌だ!! なんで……なんで私だけ!! うああーーーーんっ!! 恋なんて、恋なんてしなきゃよかった!! 一生、ゲンゴちゃんとこのままでいたかった!!」

 両手で顔を隠すようにして、声を出しながら大きく泣いた。

 ありったけの感情を込めて、解放した。

 僕はそんな彼女に、頭を撫でてあげた。

 そして、僕も素直な気持ちを言葉にした。

「南沢、好きになってくれてありがとうな」

「ぐすっ……ねえ、ゲンゴちゃん。私にしっかり顔を見せてください。絶対に、絶対に、ゲンゴちゃんの顔を忘れないようにするために」

「ああ、いくらで見ろ。でもな、心配するな。もし南沢が忘れてしまったとしても、僕はお前の顔を一生忘れたりしないから」

「――ありがとう、ゲンゴちゃん」

 言って、南沢は僕の顔をしっかりと見つめる。

 頭ではなく、心の中に残すかのように。刻み込むかのように。

 そして、まるで霧が晴れるかのように、彼女は消えていった。

 彼女の言う、大きな心残り。そして以前言っていた『条件』。それは『恋をする』ということ。それが叶ったのだろう。でも、南沢にとって、それはあまりにも残酷だ。残酷すぎる程に、残酷だ。

 恋をした瞬間、恋が終わった。

 辛かったよな、南沢。でも、よく頑張ったよお前は。

「しかし、別れの挨拶はなし、か。アイツらしいや」

 ふと、夜空を見上げた。南沢霞と過ごした、短くも大切な時間を思い出しながら。

 *   *   *

 今夜もまた、両親は大喧嘩をしていた。だから僕はまた外に出る。そして歩きだし、到着した。あの、いつもの公園に。

 いつものベンチに腰掛けてみたけれど、今夜は隣に南沢はいない。アイツは今、どこでどう過ごしているのだろうか。自分でも無意識に探してしまう。南沢霞という一人の中学生の姿を。

 初めて出会った時のように、突然、また同じように僕の前に現れたりしてくれないかな、なんてことを考えながら。

「ゲンゴちゃーーーーん!!!!」

「え!? って、ぐわあーー!!」

 いきなり僕の胸に飛び込んできた。否。これ、ほとんどタックルだろ! 一体、誰が飛び込んで来たのかって? 説明するまでもない。

「み、南沢!? お前、成仏したはずじゃ」

「あー、それがですね。追い返されちゃいました。どうも私、もうひとつ大きな心残りがあるみたいなんです。だからまたここに戻ってきました」

「……して、その大きな心残りとは?」

「ハンバーガーが食べたいんです!!」

「ガッカリだよ! お前の中では僕に恋をしたのと、ハンバーガーを食べることが同列ってことじゃないか!」

「あ、そういうことになりますよね」

 あまりにあっけらかんと言うものだから、僕は口をあんぐりと開け、そのままぽかーんとしてしまった。

 そして、心の底から笑った。

「あっははははは!!!! もうさ、お前ってめちゃくちゃだよな」

「どうして笑うんですか!? 感動の再会シーンじゃないですか!」

「分かった分かった、ハンバーガーな。でもさ、そんなもの、いつでも買ってきてやるから今は別にいいだろ」

「そうですね、そうしましょう。あ、買ってきてくれる時はポテトとナゲットとコーラも忘れないでくださいね」

「そんなに食べたら太るぞ?」

「う……じゃあアップルパイも追加で」

「どうして注文を増やした!!」

 相変わらず、本当におバカだな。

 でも、まあいいか。それくらいのわがまま聞いてやるよ。

 それに、今回はちゃんと挨拶も言ってくれたしな。

 どんな挨拶かって? 決まっているじゃないか。
 再会した時の、お決まりの挨拶だ。

 南沢霞はこう言ってくれた。

 ただいま、ゲンゴちゃん――と。

 END

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