始動する歯車編 1
――俺は何なのか?
なぜ、ヴァンパイアとして生まれ変わったのか……?
そしてヴァンパイアを始めとする数々の魔族が生息しているこの世界は何なのか?
西の国との戦いから2年たった今もそれは分からない。
分からないまま、俺は魔族が支配するこの国でのどかな生活を送っていた。
「さぁ、次はタカーシの番だ。かかってこい」
「はい! では行きます!」
いや、ちょっと違うな。
かつて行われた人間の国との大戦争。
あのような大きな出来事はここ2年起きていないので、そういう意味では穏やかな日々と表現できるだろう。
だけど、数日に1度行われるバーダー教官との訓練は日々激しさを増し、その他もろもろの仕事も忙しさに拍車がかかっている。
決して“のどかな日々”などではなかった。
つーか最近の俺、めっちゃ忙しいんだよなぁ。
まぁいいや。
そんなことより訓練だ。
「ふん!」
バーダー教官の指示に返事を返し、俺は短く声を吐く。
同時に体から魔力を放出し、その質を高めた。
結果、ヴァンパイア特有の魔法である幻惑魔法用の魔力が周囲に広がり、同時に自然同化魔法の魔力も空間を飲み込む。
それを確認しつつ、俺は右手に持った剣を構えた。
「よし。自然同化魔法は発動しているな。次は幻惑魔法をかけて来い」
「はい。じゃあ今日は……分身の術など……」
今日の訓練で使う幻惑魔法は、単純に俺の姿が数十に見えるという幻。
フライブ君たちの姿も幻に映す手もあるんだけど、今は1対1の勝負だからな。
そんな条件下でフライブ君たちの姿を出してもバーダー教官には偽物だと即座にばれるだろう。
「僕の分身を80体ぐらい出しますね」
「うむ。それでよい。この後の団体戦ではやつらの分の姿も映し出せばいいが、今は無用だ」
そう言って教官は訓練場の端で倒れこんでいるフライブ君たちにちらりと視線を移した。
ちなみに俺の能力の関係で、俺たちのチームの訓練は他のチームの魔族がいない時間帯を選んで行われている。
訓練の実施は主に夜明けの時間帯。
なのでこの8番訓練場の観客はチームメイトであるフライブ君たち以外はいない。
そしてさっきまでバーダー教官と順番に1対1の訓練をしていたフライブ君たちは、広場の端で息を切らしながら呼吸を整えている真っ最中だ。
体は大して成長していないのにこの2年で異様なほど性格が大人びたガルト君。対象的に精神年齢は大して変わらないのに体だけが急成長したドルトム君。そしてちょっと色気が出てきたヘルちゃんも、揃って息を切らしながら地面に倒れこんでいる。
みんな疲労のせいでこっちには注目していないようだから、マジで俺とバーダー教官の勝負は誰も見ていない。
そこらへんがちょっと悲しいけど、まぁ、2年もたてば俺に対する注目度もこんなもんだろう。
さて、それはそうと、訓練開始だ。
「では……」
短く挨拶し、俺は動き出す。
バーダー教官との距離を詰めながら視線をバーダー教官に集中し、俺は幻惑魔法を発動した。
と同時にこの2年間で成長した剣術でバーダー教官に襲いかかる。
「いい剣さばきだ。いつもよりキレがある。
だが攻撃に意識が集中すると、自然同化魔法が緩んでしまっているな。その点、気をつけろ」
「はい」
でもさ。
結局、バーダー教官は格上だ。
自然同化魔法を使って気配を消しているのに、空気の流れとかで俺の存在を把握し、しかも剣による俺の攻撃を幻ごと全てさばきやがる。
しかも余裕綽々っぽい感じでアドバイスなどしながらだ。
くっそ。じゃあこっちだって本気出してやるわ。
「うぉおおぉぉぉおぉぉぉッ!」
「せっかく気配を消しているのに叫んでどうする!? 貴様は静かに攻めろ! 冷静さを失うな!」
――って、怒られたぁ……!
いいじゃんよ! 訓練の時ぐらいテンション上げたって。
「ご、ごめんなさい」
でも訓練中のバーダー教官は怖いからここは大人しく従っておこう。
俺はバーダー教官との距離を取るために後方に跳躍し、軽く息を吐きながら再度自身の魔力に意識を集中した。
まずはヴァンパイアである俺が生来持っている紫の魔力。
これをバーダー教官に向けて集中的に放出し、俺の分身の数がさらに数十体分増えたようにバーダー教官に誤認させる。
「む? 分身が増えた。そう来るか……!」
ふっふっふ。バーダー教官が警戒度を上げやがった。
じゃあお次。俺だけが持っている緑の魔力だ。
これを周囲にまんべんなく広げ、その気配に俺の気配を同化。
わずかな呼気や心臓の音、そして俺の匂いや俺の体に反射して周りに広がる太陽光など……。
それらを周囲の自然と同化させ、自身の存在感を限りなく薄めた。
「ふっ。今日は『3番訓練場にも行く』と言っていたからこちらの訓練は多少手抜きをすると思っていたが……本気で来る気だな?」
もちろんだ。
さっきフライブ君たちがいい戦いっぷりを見せていたからな。
俺だって負けてられないんだよ。
「……よし……」
俺は全ての準備が終わったことを確認し、動き出す。
迂回するようにバーダー教官の背後に回り、両手で握る剣を鋭く振りかざした。
「ふん!」
しかし、それはバーダー教官にはじかれる。
この魔族、さっきも言っていたが、どうやら空気の流れで俺の位置や動きがかろうじて分かるらしい。
あとバーダー教官が最大まで魔力放出をして警戒すれば、自然同化魔法中の俺をぎりぎり把握できるとのことだ。
もうさ。どんだけ強いねん、と。
でも俺の存在を把握するためにはバーダー教官も魔力の最大放出をする必要があるらしく、そういう時はバーダー教官の攻撃がお粗末になる。
つまり俺は俺で大した攻撃力を持っていないから、バーダー教官には敵わない。
バーダー教官も俺の位置を把握するために魔力の最大放出をする必要があり、それに意識を取られて大した攻撃を繰り出してこない。
という不思議なパワーバランスで俺たちの強さは釣り合っている状況だ。
まぁ、そのバーダー教官が本気で俺を殺そうとしたならそうはいかないんだけどな。
そもそもバーダー教官はいまだに俺たち5人を同時に相手にしても勝ち抜く強さを持っている。
でも5人同時にバーダー教官と戦う訓練はこの後やるから、その件はそっちで。
今は俺1人でバーダー教官に立ち向かわないと。
「とう! えい! ふん! ぐっ!」
「だから叫ぶなといっただろう! ガルトのように静かに攻めろ」
「ご、ごめんなさい! だって、楽しいから!」
「じゃあ分身にも叫ばせろ。その方が臨場感が増す」
「ほう、なるほど! 分かりました!」
その後、俺たちは微妙なパワーバランスの元でお互いを攻撃し合う。
俺の声がバーダー教官の低い唸り声と重なりつつ、双方の攻撃や防御も火花を散らしながら重なり合う戦いが10分ほど続いた。
「げほ……はぁはぁ……参り……参りました」
んで、俺が疲労で動けなったらこの戦いは終了だ。
「ふーう。うむ。今日もよく頑張った。
やはりタカーシの幻惑魔法は他のヴァンパイアと一味違うな。
しかし俺が魔力を最大放出すれば、自然同化魔法の効果を多少薄れさせることが出来るようだ。
つまりタカーシよ。将軍級が警戒態勢に入っている時はお前の自然同化魔法の効果があまり期待できないと思え。
それと自然同化魔法はやはり妖精にも効きが悪そうだ。あっちで休んでいるヘルタとガルトがたまにお前の姿を目で追っていたぞ」
「え? マジですか?」
「あぁ。なぁ! ヘルタよ!」
ここでバーダー教官は少し離れたところで休んでいたヘルちゃんに話を振る。対するヘルちゃんはその問いに対し、こくりと頷いた。
どうやらマジらしい。
少しずつ成長する俺の自然同化魔法。しかしながらそれは精霊という種族に近い妖精族には効きが悪く、というかヘルちゃんたちの魔力探知能力の成長速度の方が俺の自然同化魔法のそれより速いようだ。
「はぁはぁ……まぁいいです。はぁはぁはぁ……ヘルちゃんとガルト君……味方だし」
息を整えながらそう言って、俺はヘルちゃんたちに移していた視線を戻す。見栄を張ったわけではないけど、その様子から俺が少しだけ凹んでいると察したのだろう。
バーダー教官がにやりと笑いながら言った。
「でも幻惑魔法の方は十分に使いこなしているな。もはやヴァンパイアの中でも上位クラスといってもいい。
その幻惑魔法に自然同化魔法……やはり貴様はバレン将軍がかつておっしゃっていたように、やっかいなヴァンパイアになりそうだ」
ふっふっふ。バーダー教官よ。
そんなわかりやすく俺のご機嫌取りしなくていいってば。
相変わらず優しいおっさんだな。
でも、それはそうと今度は他のメンバーと一緒にバーダー教官に立ち向かうチーム戦だ。
俺が呼吸を整え終わり、最後に深呼吸をしたところで、フライブ君たちがこちらに来た。
「よぉーし! 今日は最速記録でバーダー教官を倒そう!」
「俺をナメるなよ、フライブ。俺だってまだまだ強くなっているんだからな」
「ふふふっ! それはどうかしら。私たちの方が成長早いんじゃなくて」
「いえ、ヘルタ様。そういう油断はいかがなものかと。なによりヘルタ様がまともに武術を習ってくだされば、教官殿をぶっ殺すのにここまで苦労する必要は……」
「そ……そうだね。ヘルちゃんが……真面目に……」
「なーによう! ガルトもドルトムも私のせいにして! あなたたち男でしょ!? ぐだぐだうるさいですわ!」
「え? い、いや……男とか女とか……か、関係ないんじゃ……な、ないかな? 特にへ、ヘルちゃんの場合……」
「ドールートームーぅ!? それはどういうことですのぉーー!!」
まぁ、2年たってもこの子たちは相変わらずこんな感じだ。
「よし、他の生徒が来る前に早速始めるぞ。かかってこい」
しかし、彼らの戦闘能力は見間違えるほど大きく変わっている。
まずはバーダー教官に匹敵する速度を手に入れたフライブ君。
新たに将軍となったフォルカーさんの血をひくフライブ君だけあって、その機動力はオオカミ族の獣人の中でも上位に食い込むほどのものらしい。
加えて最近は火に対する恐怖症も克服し、ドルトム君の炎系魔法といい連携を見せている。
そしてヘルちゃんは多種多様な魔法を駆使しながら殴りかかるようになり、かつ、その魔法1つ1つが上級魔法とのことだ。
でもちゃんとした武術を身につけろというバーダー教官の指示には一切答えるつもりがなく、その件に関してはヘルちゃん曰く「だって好き勝手に暴れた方が強そうじゃない」とのこと。
もう俺じゃ彼女の言っていることが理解できん。
でもそんな戦闘スタイルを彼女は変える気がないので、ヘルちゃんの戦い方はいまだに野蛮なままだ。
とはいえ上達した各種基本系魔法の他に、俺たちに施してくれる防御魔法もその強さを増しているので、やはりヘルちゃんは我がチームに不可欠な存在となっている。
んで我がチームだけでなく、それを含むフォルカー軍そのものに必要不可欠な存在がドルトム君な。
この子、簡単な共通文字を使えるようになってから指揮官としての腕が上がり、幼いながらフォルカー軍の幹部に名を連ねているんだ。
ついでにこの2年間で体も急成長したので物理的な攻撃力が増し、特に炎を体に纏って戦う時のドルトム君はチームメイトの俺ですらビビるほどの破壊力を持っている。
んで、最も攻撃力が増したのがガルト君かな。
殺気の消し方も上手くなったけど、手に持ったナイフを電光石火のごとき速度で突き出す全力攻撃は王子の突撃と見間違えるほどだ。
唯一、そういう全力攻撃をするときのみ直前に殺気がわずかに漏れてしまうので、いつもバーダー教官に攻撃を避けられているけど。
まぁ、二兎を追うものは一兎も得られないというし、そこらへんについては彼も最近真剣に悩んでいる。
そんな真面目な殺し屋だけど、彼も順調に成長中だ。
そんでもって最後は王子。
この子については我々のチームの一員というわけではない。王子だからな。
でも仕事の関係で城に出入りし、かつ王子との友好関係も維持している俺には王子の情報も入ってくるんだ。
その王子はというと、最近1番訓練場の訓練を見ていないからはっきりとは断言できないけど、鋭い角を利用した突進の他に二足歩行状態での武術を習い始めたらしい。
そんな王子は今、いつの間にかこの訓練場に姿を現していた。
俺たちの訓練を観客席から見てい……いや、ウトウトしているな。なんかむかつくけど、王子だから許そう。
まぁ、俺の仲間の成長についてはそんな感じで……。
「こい!」
バーダー教官の大きな声が訓練場に響き渡り、俺たちは臨戦態勢へと入る。
まずヘルちゃんが俺たちに防御魔法を施し、と見せかけてそれも待たずにガルト君が電光石火の突撃を始める。
それはやはりバーダー教官に回避されてしまうが、突撃の結果無防備な状態をさらしたガルト君にバーダー教官の重い一撃が襲いかかろうとしていた。
しかし、そのタイミングでヘルちゃんの防御魔法がガルト君に追いつき、ガルト君の小さな体を淡い魔力の光が包む。
結果、バーダー教官の攻撃はその光に阻まれ――遅れてフライブ君がその接近戦に割り込んだ。
そしてそれとほぼ同時に俺は幻惑魔法と自然同化魔法を発動し、幻惑魔法の魔力をバーダー教官に集中させる。
今回はさっき使った俺の分身を生み出す幻の上位バージョン。
俺の他にフライブ君たちの分身も生み出し、それぞれがバーダー教官に襲いかかるという幻だ。
しかもそこに俺自身の自然同化魔法をうまく組み合わせ――さらには俺が触った他の魔族も自然同化するというこの魔法の付随効果も利用し、俺はみんなの接近戦に混ざり込んだ。
バレン将軍とお揃いの剣を一生懸命振り回し、と見せかけてたまに近くに接近してきたフライブ君やガルト君の背中をちょこんと触る。
俺に触られた相手もこの効果を知っているので、俺の手の感覚に気付いた子はここぞとばかりにバーダー教官に猛攻撃を仕掛けた。
さらにはここで全身に火を纏ったドルトム君と、ヘルちゃんが動き出す。
ヘルちゃんに至っては5種類の基本系魔法を上位のレベルで繰り出しつつの戦闘加入だ。
そんな2人が俺たちの接近戦に加入し――もう俺もなにがなんやらわからん!
様々な魔法と打撃、斬撃、刺突が入り乱れ、それを防ぐ防御の動きも両者激しく繰り出す。
かつては一歩も動かずに俺たちの攻撃をさばいていたバーダー教官も訓練場を縦横無尽に移動しながら俺たちと戦い、しかしながら俺たちの攻撃はバーダー教官にほとんど防がれた。
うん。結局、バーダー教官にはいまだ勝てずじまいなんだ。
唯一の進展と言えば、やはりバーダー教官に本気を出させているという点のみか。
さっき言ったように、昔はバーダー教官を一歩も動かせないほど、俺たちとバーダー教官の間には力の差があったからな。
人間よりもはるかに寿命の長い俺たちがたった2年でここまで成長したと考えれば、決して悪いことではないと思う。
でもやっぱり悔しいよな。
しかもさ……。
「ふーう……そろそろ他のチームの魔族が訓練場に来る時刻だ。今日の訓練は終わりだ……はぁはぁ……。
タカーシの能力が他のやつらにばれてしまうからな」
この牛野郎、俺たちがいい感じに連携を組み始めるといつもいいタイミングでこう言い、俺たちの訓練を強制終了しやがるんだ。
「はぁはぁ……はい……」
「ふぁーふぁ……げほっ……はぁはぁ……くっそう」
まぁ、俺たちの方も限界にきていたんだけどな。
そんな感じで最後、俺の返事にフライブ君が悔しそうな言葉を重ね、その後それぞれ倒れ込むようにして今日の訓練は終わった。