第17話 現場とは関係ない『上層部の意向』
ランは緊張した面持ちで一人、本部棟のコントロールルームに走っていったひよこを見送ると、コンクリートの壁に亀裂も見えるような東和陸軍教導部隊の隊長室に向かう廊下を歩いていた。まだ早朝と言うこともあり人影はまばらである。それでもちっちゃな八歳女児にしか見えないランは東和陸軍では目立つようで、これまで出会った東和陸軍の将兵達は好奇の目でランを見つめていた。
「あれ?クバルカ中佐じゃないですか!」
高いテノールの声に振り向いたランの前には、紺色の背広を着て人懐っこい笑顔を浮かべる小男が立っていた。
「高梨参事?どうしてこちらに?」
笑顔を浮かべて歩み寄ってくる男、東和国防軍の背広組のキャリア官僚である高梨渉参事がそこにいた。そのキャリア官僚にしては偉ぶらない腰の低い態度を心掛けている姿に彼を以前から知るランは好感を持っていた。
「いやあ奇遇ですねえ。わざわざ豊川からこんなところまで……今日はまた法術兵器の実験か何かですか?」
ランは余裕を持って笑って向かってくる小柄な男を個人的感情は別として立場上少しばかり身構えるように接することにした。東和国防軍の予算調整局の課長という立場の高梨と、司法局実働部隊の金食い虫部署である機動部隊長のランはどうしても予算の配分で角を突きあわせる間柄だった。個人的感情と仕事を混同するほど二人とも子供では無かった。
「そう言う高梨さんは監査か何かですか?ここの射爆場なら問題ないでしょ。あの設備、あの食事。どう見ても金を無駄に使ってるとは思えないですから。教導部隊の方は大丈夫です。アタシがちゃんと見張ってますから、問題ありませんよ」
少しばかり自分のぎこちない丁寧語でランは話しかける。
「いえ、今日はちょっと下見と言うか、なんと言うか……とりあえず教導部隊長室でお話しませんか?」
笑顔を浮かべながら高梨は歩き始める。神妙な表情を浮かべる高梨を見ると、彼が何を考えているのかわかった。
司法局実働部隊は『近藤事件』での活躍で、『特殊な部隊』の通称で知られ、嵯峨の素性を知る上層部の一部の人間には『あの嵯峨公爵殿のおもちゃ』とさげすまれた寄せ集め部隊と言う悪評は影を潜め、『同盟内部の平和の守護者』と持ち上げる動きも見られるようになって来た。しかし、軍内部にはそれを面白く思わず相変わらず『特殊な部隊』と蔑む声があるのも事実だった。
『財政面での政治的な配慮って奴か。上の人間の考えそうなこった』
ランはそう思いながら隣を歩く同盟への最大の出資国である東和のエリート官僚を見下上げた。予算の規模が大きくなれば管理部門の責任者があいまいな現状を何とかしようと、実力のある事務官の確保に嵯峨が動いても不思議は無い。
そう考えているランの隣の小男が立ち止まった。
「クバルカ中佐。通り過ぎてますよ。何か考え事でもしてました?」
思わず通い慣れた教導隊隊長室を通り抜けていた自分に呆れるとともに自分が高梨に慎重になりすぎていることを恥じて、ランは思わず照れ笑いを浮かべた。