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クラウスの企み

「……つまりあなた達にとって、メルさんよりも掟のほうが大切なんだね」

 気づけば僕は、自分でも驚くくらいの低い声で、そんなことを呟いていた。
 だってそうじゃないか。もしメルさんが大切なら、そんなくだらない掟なんて無視して、彼女を助ければよかったんだ。

 それをしなかったのは、二人にとってメルさんが|その程度《・・・・》の存在でしかないってことなんだから。

「……ニンゲンの小僧に、何が分かる……っ!?」
「黙れ」

 険しい表情で殺気を放った初老の男性の頭を、メルさんが鷲づかみにした。
 みし、みし、と嫌な音を立て、彼の顔が瞬く間に苦痛に歪む。

「どうかお許しください! コンラート様も他意はございません!」
「貴様も黙れ。他意があろうがなかろうが、知ったことじゃないんですよ」
「あ……う……」

 メルさんに睨まれた瞬間、女の人は口を震わせ|俯《うつむ》いてしまった。

「傷つき死を迎えるだけだった私を救い、その小さな身体で身を|挺《てい》して守ってくれたギルくんのことを、何もしなかった貴様等が語るな。それに、今頃になって『馳せ参じた』ですって? 馬鹿にするのもいい加減にして」
「は……は……っ」

 初老の男性が高々と持ち上げられ、口から泡を吹き始めていた。
 これ以上やれば、きっと命を落とすことになると思う。

 だから。

「……ギルくん?」
「メルさん、お話くらいは聞いてあげたほうがいいと思います。クラウスって男のところから来たのなら、向こうの情報を何かしら持っているかもしれませんから」

 止めた僕を、メルさんが真紅の瞳で見下ろす。

「ぐっ!?」
「ギルくんの|優しさ《・・・》に感謝するんですね」

 メルさんは初老の男性を地面に放り投げ、冷たく言い放った。
 僕が止めたことに納得がいかないからだと思うけど、彼女は少し不機嫌そうに顔を背ける。

「……寛大なご厚意をいただき、ありがとうございます」

 女の人は胸に手を当て、深々と頭を下げた。
 でも、僅かに見えたその藤色の瞳には、怒りのようなものが|窺《うかが》えた。きっとニンゲンの僕に謝罪するなんて、竜として許せないといったところなのかな。

 正直、僕のことをどう思っていようが、そんなことはどうでもいい。
 大事なのは、この二人がメルさんにとって|必要な《・・・》|人達《・・》なのかどうかだけ。

「はあ……それで? 何しに来たんですか」

 面倒くさそうに手をひらひらとさせ、メルさんが尋ねる。
 初老の男性は頭を左右に振り再び膝をつき、彼女を見つめた。

「はっ。姫様が『王選』を挑まれた以上、次の王が決まるまで竜は現王に従う必要はありません。ならばどうか、闘いのその時まで、姫様のお|傍《そば》でお仕えしたく……」
「いりません」

 メルさんは冷たい視線を向け、申し出を拒絶する。
 するとどうだろう。初老の男性も、隣の女の人も、絶望の表情を浮かべた。

「お、お怒りはごもっともです! マンフレート陛下も、奥方様もお守りすることができず、あまつさえ姫様を見捨ててしまった……。なればこそ! わしに……このコンラート=ガルグイユに死に場所を与えてくだされ!」
「お願いいたします! |最後まで《・・・・》このエルザめを、殿下のお|傍《そば》に置いてくださいませ……!」

 きっとこの二人はメルさんのことを大切に想っていて、クラウスって男があんな真似をしなければ、今も彼女の部下として誠心誠意仕えていたんだと思う。
 だからこそ余計に、僕は腹が立った。

 なんで、メルさんを見捨てたんだ。
 なんで、メルさんを守ってくれなかったんだ。

 彼女はあんなにも傷ついたのに。……ううん、今も傷ついているのに。

 それでも。

「……お二人の気持ちは今は置いといて、それよりも先にクラウスって男について教えてください。あなた達が知っている全てを」
「む……」

 メルさんにあんな目に遭わされても、やっぱりニンゲンの僕に言われると抵抗があるみたいで、初老の男性……コンラートさんは口を|噤《つぐ》んでしまう。

「コンラート様」
「う、うむ……」

 女の人……エルザさんに促され、コンラートさんは|訥々《とつとつ》と話しはじめた。
 クラウスって男がメルさんを始末するため、竜の大半を動員して当たらせたこと。王となって早々、『偉大なる竜の尊厳を取り戻す』として竜達を扇動していること。

 そして。

「……クラウス陛下は、周辺のニンゲンの国に次々と竜を送り込み、街を破壊し宣戦布告をしました。期限の三か月後までに服従しなければ、全てを滅ぼすと」

 人間の国を滅ぼす、か。
 メルさんを知って分かったけど、人間なんて足元にも及ばないほど竜は強い。書庫で読んだ竜の伝説に、嘘偽りはなかった。

 だから、いとも容易く人間の国は竜に攻め滅ぼされてしまうんだろうな。
 むしろ今まで人間に手を出さずにデュフルスヴァイゼ山に引きこもってくれていたのは、ひょっとしたら竜の優しさだったのかもしれない。

「ギルくん、どう思いますか?」
「え……? その、どうっていうのは……」
「君もニンゲンですから、無関係ではないと思いますが」

 ああ、そういうことか。
 メルさんは僕を気遣ってくれているんだね。

「あはは……実は僕、メルさんに出逢うまで、誰かに優しくしてもらったことがないんです。だから、その……どうって言われても、よく分からなくて……」

 僕は苦笑しながらそう答える。
 守ってくれていると思っていたお父さんは、最初から僕のことなんて興味もなく、むしろ邪魔者としてこの森に捨てた。

 育ててくれた……って言っていいのかな。乳母のジルケ夫人はいつも僕をいじめ、叩いたり酷いことを言ったりした。
 皇宮にいた他の人もみんな同じ。|役立たず《・・・・》だって言って、機嫌が悪いとすぐに僕を蹴って、殴って、いい人なんてどこにもいない。

「……ギルくんのいた国は、ハイリグス帝国というところでしたね」
「はい。……それが何か?」
「コンラート」
「はっ」
「クラウスが宣戦布告した国の中に、ハイリグス帝国は含まれているかしら」
「間違いございません。かの国へはクラウス陛下自ら出向いております」
「そう」

 メルさんは右手で顔を覆い、少し思案したかと思うと。

「……気に入りませんが、ハイリグス帝国を滅ぼすことだけは同意しますね」

 指の隙間から真紅の瞳を|覗《のぞ》かせ、鋭い牙を|剥《む》き出しにした。

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