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第3話 元編集者として

「もちろん、編集者としての目で読んでほしいです」

 白雪さんはそう言った。まあ、それはそうか。編集者としての目で読んでほしいから僕に声をかけてきたわけだし。

 それに、たとえ僕が厳しい意見を言ったとしても、たぶんこの子は耐えられる。今後の糧にできる。それは彼女の目を見れば分かる。

 瞳の奥に宿る、覚悟。僕はそれを強く感じた。あとこの子、生半可な気持ちで漫画を描いているわけではなさそうだ。

 白雪さんは夢を、そして未来を見ている。前に進むことしか考えていない。

 そういう人間は、強い。

「うん、分かった。編集者としての目で読ませてもらうよ。現役じゃなくて『元』編集者で申し訳ないけど。でも、しっかりと読んで意見を述べるから」

「はい! よろしくお願いします!」

 魂の込もった、白雪さんの言葉。ただのなんでもない言葉にしか聞こえないかもしれない。でも僕には分かる。伝わってくるんだ。彼女の強い意志を。

 僕はもう『元』編集者でしかない。くだらない毎日を送るだけのフリーターだ。だけど、漫画に対しての情熱は今でも変わらない。白雪さんの覚悟は確信した。彼女の言葉から。瞳から。それらに、宿る感情で。

 だったら僕も本気を出す。

 熱くならざるを得ないじゃないか。

「よし、じゃあ余も兄さんが読んでる間に応援のダンスを――」

「黙れ、小林」

「は、はい……」

 ヤベッ、小林を睨んでしまった。あとでちゃんと謝らないと。でも僕、こうなっちゃうんだよ、漫画編集のことになると。

「悪い小林、グラスに入ったジュースを隅に置いておいてくれないか? もし溢してしまったりして原稿にかかったら大変だから」

「りょ、了解であります!」

 小林よ、何故そこで敬礼する。しかもちょっとビビりながら。あ、僕が原因か。そういえば、小林は見たことないもんな。僕の編集者モードを。切り替わっちゃうんだよね、プライベートの僕とはだいぶ違う、もう一人の僕に。

「よし、白雪さん。とりあえずテーブルに原稿を広げさせてもらうね」

「はい! 了解であります!」

 ……うん。どうして小林みたいに白雪さんまで僕に敬礼するの? コイツに感化されすぎだろ。まあ、それだけ感受性が強いってことなのかな。

 そして僕は原稿を広げる。二枚ずつ。見開きにしておかないと、ちょっと判断に困るんだ。最近はスマホやらの普及によって電子書籍や漫画アプリで漫画を読む人が増えてきたけれど、それらって大体一枚ずつ表示されるんだよね。

 だから見開きで読む必要がないと思われるかもしれない。だけど、もし紙媒体として雑誌に掲載されたり書籍化したりしたときのことを想定しておかないと。紙媒体になると必然、見開きで読者さんは読むわけだから。

 だけど、それを理解していない編集者が多すぎるんだよ。一枚一枚、原稿を読んだりしてしまう。それじゃ駄目なんだけどなあ……。

 で、読み始めたわけだけれど……え?

「ご、ごめんね白雪さん。白雪さんって漫画描き始めて何年目?」

「何年目といいますか、一ヶ月目ですね」

「い、一ヶ月!?」

 どうりで。いや、これはちょっと……。コマ割りがめちゃくちゃなんですけど。まあ漫画を描き始めて一ヶ月では無理もないか。でもね、不思議なのは空間パースはしっかり取れてるんだよね。なんでだろう。センスの問題?

「ひ、響さん、どうしました? 私の原稿、読む手が止まってますけど」

「うーん、あとでちゃんと説明するね」

「わ、分かりました……」

 あ、白雪さんの表情がちょっと曇ってしまった。大丈夫かな、このままだと厳しい意見を言うしかないんだけど。

 ――しかし、改めて見てみると、白雪さんってやたらと可愛いな。眉の上で切りそろえられた前髪。すとんと落ちる綺麗なセミロング。少しのあどけなさを残す整った顔立ち。愛嬌が良いから余計に可愛く見える。

 こりゃ学校でモテモテだろうな。僕が送ってきた学園生活とは絶対真逆に違いない。いいなあ、羨ましいなあ。

「モテモテ……」

「ど、どうしました響さん? 私の顔をじーっと見て。も、もしかして漫画って顔が関係あるとかですか?」

 あ、しまった。つい見惚れてしまった。

「あ、ないない。漫画に顔なんて関係ないよ。ごめん、原稿に戻るね。

「は、はい」

 不思議そうに小首を傾げる白雪さん。この仕草も子犬みたいで可愛いな。

 って、いけないいけない。今は原稿に集中集中。

 僕は一度深呼吸。それから再度、原稿を読み進めた。

 ちなみに、白雪さんが描いたこの漫画のジャンルは少女漫画だった。全部で16ページ。二枚ずつ読んでいるわけだけど、まずは全体のバランスから確認。それから頭の中でコマを分解して読んでいく。人それぞれだけどね、編集方法なんて。でも、とりあえず僕はそんな感じの編集スタイルだ。

 少女漫画のコマ割りは独特なものが多い。多いんだけど……。それに読んでいる内に、別の問題まで出てきてしまった。いや、出てきたというか、なんというか。最初からそんな感じだったというか。

 ええ……これどうするの、僕。

「うーん……」

「どうしました兄さん? なんか悩んでるみたいですけど」

「まあ、うん。あとでまとめて言うけど」

「えっと……も、もしかして私の原稿……」

 白雪さんの表情をチラリと確認。あー、さっきよりも曇ってる。曇っているし、すっごく不安がっている。彼女の瞳から、さっきまでの輝きが薄れていく。強い子だから大丈夫と僕は考えていたけれど、少し気を付けて発言した方がいいな。

 漫画歴が一ヶ月であろうとなんだろうと、きっと白雪さんは色んなものを犠牲にして、死にものぐるいで原稿を描き上げたはずだ。それに、僕は若い芽を摘んでしまうようなことはあまりしたくはない。ひとつだけ。たったひとつだけだけれど、彼女は『長所』を持ち合わせているから。

 うん、彼女の気持ちを一番に考えることにシフトしよう。

「あ、とりあえず白雪さんもちょっと待っててね。そんなに不安な顔をしてちゃ駄目だよ? 大丈夫、全部読んだらちゃんと説明して教えるから」

「わ、分かりました! 私、今の内に覚悟を決めておきます!」

 言って、白雪さんは両手の拳を胸に当てる。覚悟、か。確かにその覚悟は本物だろうけど、壊さないように気を付けてあげよう。

「こうなったら、余が白雪嬢を元気づけるために今からダンスを――」

「小林! だからやめろって! って、なんだよ白雪嬢って!」

「は、はい、小林さん! ぜひそのダンスを!」

「白雪さんも! 小林を踊らせようとしないの!」

 まったく……。白雪さんって面白そうな子だとは感じていたけれど、ちょっと変わったところがあるな。まあ、漫画家あるあるか。漫画家には変わり者多し。

 ――それから僕は原稿に再集中した。よし、16ページ全て読みきったぞ。とりあえず頭の中を一度整理しよう。伝えるべきことをまとめよう。

「ふう……。白雪さん、ありがとう。原稿を一度お返しするね」

「は、はい。ありがとうございました!」

 僕は読ませてもらった原稿を机の上でトントンと整えてから白雪さんにお返しする。が、それを受け取る白雪さんの手。それが若干震えていた。緊張しちゃってるな。うん、確信。アドバイスするときは言葉はしっかり選ぼう。じゃないとこの子、筆を折っちゃうかもしれないし。それは絶対に避けたい。

「改めて。白雪さん、全部読ませてもらったよ」

「は、はい! ど、どうでしたか」

 緊張な面持ちで、白雪さんは僕の言葉を待つ。

 白雪さんは編集者としての目で読んでほしいと言った。それは確かだ。だからこそ、気を付けよう。彼女の未来を壊したくはない。

「まず最初に。これから言うことはあくまで元編集者としての僕の意見。もしかしたら他の編集者さんが読んだら、また違う意見を述べてくれることもあるかもしれない。だから白雪さん、あくまで参考として聞いてね。問題点は確かにたくさんあった。そこはしっかりと指摘する。だけど読ませてもらったからには、責任を持ってしっかりアドバイスをする。いいね?」

「はい! 分かりました、しっかりと受け止めます!」

「これだけは、はっきりと伝えさせてもらうね。白雪さん、これではまだ漫画とは呼ぶことはできない」

「――え?」


『第3話 元編集者として』
 終わり

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