35話 月と闇
「見つかったか?」
ナジームの低い声が響く。彼の足元では、マリクが這いつくばりながら床を探し回っている。二人は「黒服」と呼ばれる組織の一員で、揃って闇に溶けるような黒いローブを纏っている。
「見ろ。短いが二本見つけたぞ。」
マリクが指先で摘んだのは、光に反射する金髪の細い毛。
「よし、いいぞ。燃やせ。」
ナジームの指示に、マリクはにやりと笑い、摘まんでいる毛に集中する。その指先に白い光が宿り、瞬間、煌びやかな大きな火のような光が立ち上がる。次の瞬間、毛は跡形もなく消え去った。その様子を見たナジームが鼻で笑う。
「やはり残滓が大きいな。閣下ほどではないが、あの若さでコレとは恐ろしい。」
マリクは胸を張り、得意げに言い返す。
「生まれつきオーラの総量が多いヤツは老けないんだぜ?」
その自慢げな様子に軽く呆れながらも、ナジームは窓際を指差した。
「マリク、こっちへ来い。窓際に立って頭だけ出して外を見てろ。」
マリクは訝しげに首を傾げたが、言われた通りに窓の外を見る。
「矢はほぼ水平に大臣の頭に刺さった。マリク、お前の目からは何が見える。」
「空と丘が見えるな。」
マリクが答えると、ナジームは腕を組み、顎をさする仕草を見せる。
「あの丘からお前の頭を射抜けると思うか?」
窓から見える丘は屋敷の外壁より遠くにあり、百メートル以上離れている。
「無理だろ。しかも夜だぜ?大臣が自分で刺したって方が現実的だ。」
マリクがそう言い切ると、ナジームは冷たい目で彼を見据える。
「だが、現実に大臣は矢を受けている。」
その一言で、マリクは押し黙った。
「白装束のヤツも、お前の目の前で姿を消すような恐ろしい使い手だが……弓手は規格外かもしれん。」
「そうか?ヤツの矢を受けたが、緩かったぜ。」
マリクは肩をすくめ、両手を広げてみせる。その軽口に、ナジームは分析を続けた。
「まず奴らはタイミングを合わせ、外の歩哨を矢で仕留めた。白装束が倒れる歩哨を受け止め、音を出さずに中に侵入。すかさずドアの憲兵を殺害した。そこでお前と交戦し、俺と目が合った瞬間、ドアを閉めた。この時点で白装束を仕留めない限り、大臣に脱出路は窓しかない。息のあった連携だ、恐らく長年やっているコンビだろう。おそらく外国からの傭兵だ。」
「凄腕ってのは分かったぜ。どうやって見つける?」
マリクが尋ねると、ナジームは大臣の椅子にどっかりと腰を下ろし、机に足を乗せた。その姿勢のまま、彼は一枚の資料を手に取る。
「ここの資料を調べたが、大臣はとある物資を商人に横流ししていた形跡がある。」
「なんだと?なんだそれは。」
帝国への背信ともとれる話に、マリクの声が荒ぶる。
「亜人だ。軍が国境付近で捕獲した亜人を、大臣が商人に売り捌いていた。そして白装束の奴らは明らかな反帝国だ、亜人を捕らえ、売るルートは潰したいはずだ。そしてその奴隷商は目立つ。」
その事実にマリクは眉をひそめる。
「次はその奴隷商が白装束の奴らに狙われるってことか?」
ナジームは机の上に置かれた大臣のモノクルを手に取り、鼻に装着する。妙に滑稽なその仕草とは裏腹に、彼の顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
「そうだ、俺の勘がそう言ってる。」
◇
「なるほどね、その奴隷商人が軍部と癒着してるのね。」
ルネの声が静けさを裂くように響くと、白い鳩が軽く首を傾げながら答える。男性の声──アイマンの声が鳩の口から滑らかに発せられた。
「あぁ。その可能性が極めて高い。」
部屋の片隅には、陽光を受けて淡く輝くガラス玉が置かれていた。中には黄色い宝石がくるくると踊るように回転している。お菓子を食べ終えた後、三人はこの部屋に集まり、慎重な空気の中で話を進めていた。
「しかし、今回は情報収集に徹して欲しい。」
「どうして?確認が取れたらやってしまっていいでしょ?」
アイマンの消極的な方針に、ルネの眉が僅かに寄る。彼女の鋭い視線に気圧されたように、アイマンは一拍置いて説明を続けた。
「黒服が動いてると情報がある。派手に動くのは危険だ。」
「それなら大臣の屋敷で会ったわよ。ターバンと長身の男二人。」
その言葉に、白い鳩は両翼で頭を抱えるような仕草を見せた。それでもアイマンは冷静に判断を下す。
「なんて事だ、中止しよう。危険すぎる。」
「なぜ?罪もない人が拉致されて売られてるのよ?私達なら平気。ね、ウタ。」
「戦闘機が来ても落とすよ。」
ウタの平然とした一言に、アイマンは目を見開く。
「戦闘…き?何ですかそれは。」
「テオより速く空を飛べる兵器…機械だよ。人が操縦できる。」
その説明を聞いた白い鳩の動きがピタリと止まる。まるで豆鉄砲を食らったかのような反応だ。
「なんと…ウタのいた世界にはそのようなモノが…」
「ほら、アイマン。ウタもこう言ってるんだし。」
ルネが追い打ちをかけるようにアイマンへ話しかける。それでもなお、アイマンは鳩の翼をくちばしの近くに持っていき、考え込む仕草を続けていた。それを見てウタは口を開く。
「内緒にして欲しいけど、実は私もテオのように飛べる。」
「なんと?!」
「え、それ本当なの?!」
アイマンとルネが一斉にウタを注視した。ウタは少し困ったように肩を竦める。
「シ、シミュレーション上は上手く飛べてるし、調整も済ませてるよ。」
「にわかには信じがたいですが……第二のテオとはよく言ったものです…」
アイマンは部屋をゆっくり歩きながら考え込む。そしてやがて決意を固めたように言葉を紡いだ。
「分かりました。お二人に裁量権を与える事とします!責任は私が持ちましょう。」
「ありがとう、アイマン。」
ウタがまっすぐ感謝を伝える。白い鳩の体が少し落ち着かないように見えるのは、照れ隠しの仕草だろう。アイマンは窓辺に向かいながら最後の忠告を残した。
「くれぐれも無理はしないでくださいね。」
「分かってるわよ、アイマン。」
ルネがぶっきらぼうに答えると、白い鳩は静かに窓から空へと飛び立つ。三人の間に一瞬の静寂が訪れ、やがてウタが窓を閉めると、ルネは黄色い宝石に手をかざし、オーラを送り込んで再び輝きを与えた。その瞳は鋭く、戦いに向けた決意が滲み出ていた。
「ウタ。まだ、わたしに話してない事があったら全部話して。私も全部を話す。二人にできる事をちゃんと把握するわよ。」
「分かった。」
ウタは短く答える。ルネの信頼が言葉以上に伝わってくる。それがただただ嬉しかった。
そして二人は夕食を挟んでから深夜まで語り合った。ルネのオーラの性質やウタの飛行能力、新たに開発しているコンパウンドボウの設計など、お互いの力をどう組み合わせるかを緻密に練り上げる夜となった──
◇
その奴隷商人の屋敷は普段、昼間から酒をあおり、近所の住人たちを呆れさせるようなお祭り騒ぎが絶えなかった。当然、夜にもなるとさらに喧騒が激しくなるのだが、今日に限ってその屋敷は不気味なほど静まり返っている。
その静寂を破るのは、椅子に縛り付けられた小太りの褐色の男の叫び声だった。
「た、頼む!命だけは助けてくれ!」
彼の視線の先には白装束を纏ったルネが立っていた。彼女の片耳にはヘッドホンに似たレーダー送受信機が取り付けられており、そこから淡々としたウタの声が聞こえてくる。
『どう? 収穫あった?』
「ええ、隠すこと無く亜人の取引に関する帳簿があるわ。真っ黒ね。」
ルネは冷静に、感情を欠いた声で答える。対照的に、椅子に縛られた男は汗を滲ませながら命乞いを続けた。
「そ、そうだ!竿役になる亜人もいるぞ!人間とは比較にならん美形揃いだ!ど、どうだ?!」
男の必死の提案を聞いても、ルネの顔色は変わらない。彼女は短く、冷酷な指示を送った。
「撃ってよし。」
『了。』
その瞬間、銃声は聞こえなかった。ただ、男の頭部にぽっかりと穴が開き、後頭部が弾けたように吹き飛んでいた。
「目標、沈黙。」
『周辺、敵影なし。』
淡々としたやり取りは、まるで訓練された軍隊のようだ。ルネは手元の書類を整理しながらさらに情報を確認していた。
「亜人の保管……収容所の場所がわかったわ。アイマンに報告しなきゃね。」
『了。帰るよー』
通信が終わると、ウタはその場から立ち上がった。鉄球を打ち出す小型のコンパウンドボウを布で丁寧に包み込み、背中に背負う。その動きは無駄がなく、静かだった。
夜の静寂が再び訪れる中、屋敷の中は帳簿や散らばった書類だけを残し、足音ひとつ聞こえない空間へと戻っていった。
◇
── 同時刻、奴隷商の屋敷の影に潜む二つの黒い影があった。闇に紛れ、屋敷の動きを見張るその姿は、夜の静けさに溶け込んでいた。
「見たか?」
低く囁くような声が闇を切り裂く。相手の影がわずかに頷いた。
「あぁ。俺の目にもハッキリ見えたぜ。弓手は紫の髪で髪が短く、踊り手の格好をしている奴だ。あんな弓は見た事ねえ…」
その声には驚きと警戒が混ざっていた。視線の先にいた人物の姿を思い浮かべるだけで、何か異質なものを目撃した感覚が蘇る。特異な武器と動きは、彼らの常識を軽々と凌駕していた。
「閣下に報告するぞ。」
短く言い切ると、二つの影は迷いなくその場を後にした。足音も気配も感じさせない動きは、プロフェッショナルそのものだった。
夜の闇は再び静寂を取り戻し、ただ冷たい風だけが通り抜ける──