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初めてのお出かけ編 2


 門を抜けたら、そこは異世界だった。

 なんちゃって。

 エールディは賑やかだ。
 30メートル近い城壁に囲まれた城塞都市は、街に入る門を抜けた所から市場が並んでいる。
 それどころか城壁の中に収まりきらない店舗が数百、城壁の外側で店を開いていた。

 その市場を行き来する魔族も、俺の膝丈ぐらいの小さい種族から数メートルにもなる巨大な魔族まで様々だ。
 それら魔族たちが鎧を着ていたり、または民族衣装っぽい服を着ていたりと、服装1つとっても個性あふれるものばかりだから、俺の目の前に広がる光景がなおさら輝いて見える。

「うわぁ……すごい……」

 城壁を抜け活気あふれる市場をきょろきょろと見ながら、俺は足を進める。
 次の瞬間、アルメさんの前足が俺の肩を抑えた。

「危ないですよ」

 気付けば右から迫っていた巨大生物に踏まれそうになっていた。

「おっと……」

 俺が慌てて足を止めると、そのすぐ前の石畳を象のように大きな足が踏みつけていく。
 見上げればマンモスのような生物の横顔が見えた。
 長い鼻の脇に鋭い牙が左右4本ずつ生え、おでこの部分からも鋭い角が生えている。

 でもこの生物は知的生命体という感じではない。
 背中に小鬼っぽい魔族が乗っているし、その小鬼に飼われている“魔物”だな。
 知能を持つ“魔族”とは違い、“魔物”の多くは野生に生きていると聞いていたけど、こういうふうに飼い馴らすこともできるのだろう。

 そういう小さなことでも、俺にとっては非常に興味深い。
 と瞳を輝かせながらマンモスもどきを見つめていたら、背後に立つアルメさんが言った。

「気をつけてください」
「はい。すみません」

 うーん。
 この街の道は、車とバイクと自転車と歩行者が道路交通法のない状態で入り乱れているようなもんだ。
 あんな巨体に踏みつけられたらヴァンパイアといえどもただでは済まないだろうし、気をつけないとな。

「ところでアルメさん?」
「はい?」

 さて、今さらだけど首都“エールディ”についての調査だ。
 まさかこんなに大きな都市だなんて。
 三方を山に囲まれた盆地にあると聞いていたから、盆地にできた都市だと思っていたんだけど。
 盆地というか、これ立派な平野じゃね。

 しかもさっき小高い丘の上から見たけど、その平野の向こうまで果てしなく都市が続いている。
 日本の首都圏とまではいかないだろうけど、地方の政令指定都市レベルの規模だ。

「このエールディにはどれぐらいの魔族が住んでいるのですか?」
「うーん。正確な数は知らないですけど……200万……ぐらいでしょうかね。小さいのから大きいのまで、全ての種族を入れたら多分それぐらいになるでしょう」
「ん? 政府から正式な数が公表されていたりしないんですか?」
「えぇ? そんなことするわけないじゃないですか。タカーシ様? 一体何を言いだすのですか?」

 あれ?
 俺、そんなにおかしいこと言ったか?

「え? え? でも……こう、住民の数を把握しておかないと、税金の計算とか、色々と不都合が生じますよね?」
「あ、あぁ。そういうことですか。それなら大丈夫です。この国は種族ごとに長がいて、その長が国王様にまとめて貢物をしているのです。だからこのエールディにどれぐらいの魔族が住んでいるのかは把握しなくてもいいのですよ」

 随分アバウトだな、おい。
 この国、そんなんで大丈夫か……?

「それに今この市場に溢れている魔族だって、実際にエールディに住んでいるのは1割にも満たないでしょう。中心部に近づけば貴族の舘が建ち並んでいますけど、こういう市場にいる魔族は地方に住んでいるのが大半なのです。
 しかも種族によっては季節ごとに移住を行う者たちもいます。1日単位で数万の変動がありますから、住人の数なんて把握できないのですよ。
 それぞれの魔族はここで収入を得て、その一部を族長に渡す。そして族長が国王に貢ぐ。簡単に言えば、そういう仕組みですね」

 なるほど、そういう事情があったのか。
 種族ごとに習性も習慣も違う。
 そんな魔族たちで構成されたこの国は、システムをきっちり決めちゃうと逆に不都合が生じるのだろう。
 でも、それじゃあ……アルメさんは……?

「アルメさんも誰かに税金を納めているんですか? でもアルメさんって……」
「私は軍部に勤めるエスパニ様に仕えておりますから、そういうのはありません。エスパニ様が国から頂いているお給金から、私の報酬が支払われる。それだけです」

 なるほどなるほど。
 つまりアルメさんは親父同様“公務員”って枠組みに含まれているってことか。
 だからオオカミ族の誰かに収入の一部を渡さなくてもいいし、というかアルメさんの父親がオオカミ族の族長だったんだから、その後を継ぐべきアルメさんはオオカミ族の資金を国王に納める立場でもあるけど元々アルメさんはこの国の出身ではないし、人間に住処を奪われたオオカミ族は散り散りになってるんだろうし。
 ――みたいな複雑な話になっちゃうと思ったけど、そういう事情ならシンプルでよろしい。

 あと聞いてる途中で気付いたけど、今の俺の質問、あやうくアルメさんの重い過去をまた掘り返しそうな話題だったわ。
 あっぶねぇ。
 アルメさんが簡潔に答えてくれたから事なきを得たけど、以後気を付けよう。

 でもいつの間にか堅苦しい話になっちゃったな。
 そういうのはそろそろ辞めにしよう。

 俺は魔力によってこの世界の言語を使えるが、文字は読めないんだ。
 道の両脇に並ぶ店舗の看板や張り紙など。そういうのをどしどし聞いて、この世界についてもっと知っておかないとな。

「アルメさん? あの看板はなんですか?」
「あれは武器屋の看板です。でも、武器を売る方じゃなくて、直す方のお店ですね」
「へぇ。じゃああっちは?」
「あっちは薬草のお店ですね。主に肉食魔族専門の薬草を売っているお店です」

 肉食なのに薬“草”……とな?

「肉食と草食で違うんですか?」
「はい。肉食魔族は植物を多食すると体調を壊してしまう可能性があります。なので薬草の調合も私のような肉食魔族と草食魔族、あとタカーシ様のような雑食魔族で違うのですよ。種族ごとに医者や薬師がいますけど、あれは肉食魔族全般に向けた薬草を売っているお店です」
「ほうほう」

 などなど、俺は市場を練り歩きながらアルメさんに質問を続ける。
 様々な店舗がごった返す正門通り。そしてそのわき道に広がる専門店街などを2時間かけて観光した。

「ふーう。人だかりがすごくなってきましたね」
「えぇ。街もだいぶ見て回ったし、残りは貴族の屋敷と国の施設ぐらいです。そろそろ訓練場に行ってみましょうか」

 アルメさんの提案に俺はうなづく。
 正直なところ、昨夜の夕食を抜いた俺はそろそろ腹が減ってきた。
 でも今そのことを口に出したら、有無を言わさず人の肉を食わされることになりそうだ。
 それだけは避けなきゃいけない。

 あと、いいとこ育ちのお坊ちゃんが集まっていそうな上級魔族の訓練場は、堅苦しそうなので行きたくない。
 となると、やはり俺が向かうべきは……。

「アルメさん?」
「はい?」
「上級魔族が集まる訓練場と、下級魔族が集まる訓練場はどう違うのですか?」
「え……? うーん……そうですねぇ。基本的に子供が教わることは一緒です。魔法の使い方とか、戦い方とか。でも上級魔族の訓練場の方が、設備がいいですね。あと、教える側の教官の質が違います」

 なら答えは1つだ。

「じゃあ、下級魔族の子供たちが集まる方の訓練場に行ってみたいです」
「え……? でも……」
「お願いします。上級魔族なんて僕もそのうち関わることがあるでしょう。でも下級魔族と関わる機会なんて大人になったらまったくないかも。
子供のうちしか接することができないのなら、それは今しかありません。今日、僕は見識を深めるためにここに来たのです。お願いします」

 ふっふっふ!
 ぶっちゃけ魔族の上級だとか下級だとかなんてよくわかんねえよ。
 でもおそらく身分制度というのはそういうものだ。
 これが格差社会というものなのだ。

 俺の親父の仕事もあるし、そもそも俺は上級魔族に区分されるヴァンパイアだし。
 必然的に俺は将来上級魔族の社会に行くことになるんだろうけど、その社会を見るだけではダメなんだ。
 下から上まで。
 いろんな種族の魔族がどういう暮らしをし、どういう価値観を持っているか知っておくと、それは将来大きな財産になる。
 俺はそれを求めている。

 ――ということを暗に匂わせる俺の言葉だったけど、ぶっちゃけ嘘だ。

「下級ですか……でも……下級だと……人間の肉を出すようなお店に連れていくことが……」

 以前アルメさんから仕入れた情報だけど、人間の肉は高価らしい。
 ならばそれをメニューに出すような飲食店もそれにふさわしい、格式の高いお店になるだろう。
 それで、上級魔族のお坊ちゃんやお嬢ちゃんならそういうお店にも入れるかもしれないけど、この社会には明らかな身分制度がある。
 下級魔族の子供と俺が仲良くなったとしても、その子供を連れてそういうお店には行けない。
 必然的に、今日の昼食は人肉以外の料理になる。

 ――という可能性にかけてみたんだけど、俺の予想、当たりだったわ!
 めっちゃ差別的な制度だし、日本で生まれ育った俺にとっては若干嫌悪感も覚えるけど、今の俺はそれを利用するしかない。
 アルメさんはやたらと人肉食いたがってたから、諦めさせるためにもうちょい押しておくか。

「あっ、でもその前に……僕、奴隷が売られているようなお店に行ってみたいです。人間がどういう仕組みで売られているのか、非常に興味があります」

 これは“人間をただの食料と認識するための努力もするつもりです”と匂わせつつ、実は逆の意味がある発言だ。
 奴隷売買の実態調査という隠れた目的もあるっちゃあるが、その光景を見て具合が悪くなる俺。
 さすがのアルメさんも、そんな俺に無理矢理人肉を食わせることなんてしないだろう。

「そうですか。それならば……じゃあ、8番訓練場に行く途中に、奴隷売買をしている店が集中する地域がありますので。
 そこを見学して、8番訓練場に……うん、そうしましょう。今日のところは人間の肉を諦めますか……くーん」

 悲しそうな声出しても今だけは無効だからな、アルメさん。
 いや、その鳴き声聞いて一瞬めっちゃ心揺れたけど、こればっかりは譲れないんだ!

「8番訓練場とは?」
「この街に10ある訓練場の8番目に位置する訓練場です。
 王城の中にある1番が王族と有力大臣家族の訓練場。2~5番が貴族の訓練場となり、6番以降がその他一般住人の訓練場に割り当てられているのです。
 8番がここから近いですし、もしかすると私の知人もいるかもしれませんし。
 あと8番訓練場なら教官の1人を知っております。いい教官ですよ」

 ほーう。それはなかなか至れり尽くせりだな。
 じゃあそこに行ってみよう。

「それじゃ、そこにしましょう。でもその前に、まずは奴隷売買の調査を」
「はい。奴隷売買をしている地域は少し治安が悪いですので、絶対に私から離れないでくださいね」

 アルメさんの言葉に俺も神妙な顔で頷き、俺たちは歩き出した。

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