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その日は澄み渡った青空だった。
久しぶりに外へ出たからなのか、眩しすぎる日差しで目はあまり開けられず、最近食事もなかったので足取りはふらふら。
大勢の人に暴言を浴びせられながら、両手に食い込んだ縄を馬のように引っ張られていく。
目の前の断頭台から目を背けるように俯けば、ボロボロの服と薄汚れた金髪が視界に入り、階段でつまずいても誰も心配する人はいない。
……一体どうしてこんなことになったのか。
ウェンディは今この瞬間も自分がどうしてこんな状況になってしまったのか理解ができなかった。
「本当に信じられないわ。ウェンディがあんなことをするなんて」
こんな場所には似合わない豪華な黄色いドレスを身に着けた双子の姉シンディがしっかりと腕を掴んでいる相手は、私の婚約者でありこの国の第一王子フィリップ殿下。
二人の登場に、先ほどまで暴言を吐き続けていた観衆は静まり返った。
「あなたの代わりに私がフィルの婚約者になったの」
だから安心して死んでねと微笑むシンディに、ウェンディは目を見開いた。
どうして嬉しそうに笑っているの?
もうすぐ私が処刑されそうなのに。
どうして無実なのにフィリップ殿下は助けてくれないの?
どうしてフィリップ殿下は私を見ないの?
どうして姉が婚約者になったの?
どうして婚約者の私が許可されなかったのに姉は愛称呼びをしているの?
聞きたいことはたくさんあるのに、口枷のせいで話すこともできない。
「それでは第三十八代ヴェイル国王陛下を毒殺したウェンディ・クラークの公開処刑を行います」
読み上げられる罪状はまったく心当たりもないもの。
そもそも国王陛下にお会いしたのはフィリップ殿下と婚約した十六歳の時だけ。
夜会でも国王と話す機会などなく、接点はなかったはずなのに、どうして?
断頭台に顔を押し付けられてもフィリップ殿下はこちらを見ようとしない。
弧を描く真っ赤な唇の姉と目が合ったウェンディの目から涙が溢れた。
嫌だ、死にたくない。
観衆の声は悪意のある言葉ばかり。
耳を塞ぎたくなるような言葉の中、急に優しい声が耳に届いた。
『……ウェンディ』
眩しい光にウェンディは目を細める。
「お……母様……?」
白いワンピースを着た母がウェンディの顔を包むかのように手を伸ばしてきたと思った瞬間、頭の中に知らない映像が流れた。
ブレスレットを嬉しそうに眺める姉、嬉しそうにダンスをしている姉、黒いフードを被った姉。
割れたワイングラス、飛び散った赤ワイン。
壊れた馬車、燃えた家、緑の宝石のネックレス、日記帳、液体が入った小さな瓶、変わったドアノブ。
頭が割れるのではないかと思うほどの頭痛に気が遠くなる。
「……えっ?」
断頭台に頭をつけられたはずなのに、なぜかここは我が家のパーティ会場。
父自慢のシャンデリアが輝き、赤い絨毯が敷き詰められた別館だ。
階段の上にいるのは自分だけ。
下の階には多くの着飾った招待客たちが見える。
「え……? どういうこと?」
断頭台は?
手首を見ても縄はない。あんなに赤く擦れていたはずなのに、手は荒れていないし爪も綺麗だ。服はボロボロの布ではなく綺麗な白いドレス。断頭台へ連れて行かれた茶色い綿布とは明らかに違う。髪は艶々の綺麗な金髪で、薄汚れていない。
「……夢?」
どっちが?
手すりに置いたウェンディの手は、誰が見てもわかるほどにガクガクと震えた。
このドレスは十六歳の誕生日パーティのために父が準備してくれたドレスだ。
白い清楚なドレスはレースがふんだんにあしらわれ、公爵家の財力を象徴するかのようなデザインで、肩のシースルーが少し大人っぽく、だがふんわりとしたスカートでまだ幼さを象徴したデザイナー渾身の作品。
「……ということは、十六歳の誕生日パーティ?」
あの日は確か、使用人がシャンパンを落として。
ウェンディが思い出している間に、階段下のパーティ会場から小さな悲鳴が上がる。
絨毯の上にこぼれたシャンパンと周囲に謝罪している使用人、急いでタオルを持ってきた侍女の姿。
「……え? 同じ?」
この光景は見たことがある。
ウェンディは信じられないと目を見開いた。
「ウェンディ、そんなところにいないで降りてらっしゃいよ」
自分とまったく同じドレスを着た双子の姉シンディの声にウェンディは再び驚く。
前回はこのあと二人で階段を下り、姉の友人たちと一緒に紅茶を飲もうと誘われて。温かい紅茶を手渡される瞬間、姉がわざと手を離し、紅茶が姉のドレスにかかってしまうのだ。
そして、姉が悲劇のヒロインになった。
姉の友人たちに私がわざとこぼしたと言われ、そのままパーティから追い出されて部屋で謹慎になったのだ。
……まさか、今回も?
「せっかくの誕生日よ。一人で階段の上にいるなんて」
ほら、一緒に行こうと微笑む姉シンディに、ウェンディは戸惑った。
拒否権がないまま一緒に階段を下りると待ち構えたように姉の友人たちに声を掛けられる。
「本当にそっくりね、あなたたち。ねぇ、一緒にお茶しましょう」
「私たち、シンディの友人なの。ねぇ、あなたとも友人になりたいわ」
言葉も前回と同じかもしれない。
よく覚えていないけれど。
「はい、ウェンディ。アールグレイが好きでしょう?」
湯気が立ち上る熱そうな紅茶をにっこり笑顔で差し出す姉。
どうしよう。
このまま受け取ったら、また姉のドレスに紅茶がかかり、父に怒られて謹慎させられてしまう。
「どうしたの?」
「あ、ありがとう。お姉様」
ゆっくりと紅茶に手を伸ばしたウェンディは、姉が手を離す瞬間を見逃さなかった。
二度目だからなのかスローモーションのようにカップが落ちていく。
ウェンディはとっさに手で熱いカップを引き寄せた。
「熱っ」
ウェンディの真っ白なドレスは茶色に染まり、床にも大きな染みを作る。
「やだ、ウェンディ、大丈夫?」
姉は心配する言葉をかけながらも、顔は悔しそうに歪めている。
姉の友人たちは予定と違う展開に戸惑っているように見えた。
心配するとか、侍女を呼ぶとか、誰か一人くらいしてくれたっていいのに。
ここにいる令嬢たちは全員姉の味方ということだ。
「早く着替えた方がいいわ。一緒に行きましょう」
姉に手首をグッと握られ、会場から連れ出される。
「さすがシンディ。優しいお姉さんね」
「本当、妹思いだわ」
称賛する友人たちの声のおかげで『紅茶をうっかりこぼした妹を優しく手助けする姉』という体裁が保たれた姉が口の端をあげた姿に、ウェンディは溜息をついた。
会場から使用人たちが出入りする扉をくぐり、裏へ連れて行かれる。
これは前回と同じ展開だ。
違うのはドレスが汚れているのが姉ではなく自分だということくらい。
このあと姉に突き飛ばされ、会場へ戻ってくるなと言われ……。
「ひゃっ」
思い出している間に突き飛ばされたウェンディは、固い廊下に尻餅をついた。
「会場に絶対戻ってこないで! 部屋にいなさい!」
いいわね! と念押しした姉は手櫛で自分の髪を整え、会場へと戻っていく。
ウェンディは前回と同じ展開に苦笑した。
……これって夢なのかな。断頭台で死んだはずなのに。
無実なのに殺されて可哀想だから、神様がやり直しの機会をくれたのかな。
なんて、都合のいい話を期待してしまう自分に呆れてしまう。
でも、もしやり直しできるのなら、処刑されない人生を送りたい。
今、紅茶でドレスが汚れる出来事を姉から私に変えることはできた。もしかしたら処刑される未来も変えられるかもしれない。
飲み物を運ぶ侍女たちは素通りしていく。私を助けて姉を怒らせたくないからだ。
私の味方は、たった一人の私の専属侍女メイだけ。
「お嬢様! 大丈夫ですか?」
駆けつけたメイが汚れたドレスに目を見開く。
「大変、ドレスが。水色のドレスに着替えますか? それともピンクのリボンの」
「メイ、ショールを持ってきて」
「え? ショール、ですか?」
「ドレスは着替えないわ。すぐに持って来て」
だって部屋に入ったら、外から鍵をかけられて出られなくなるから。前回、パーティが終わるまで部屋に閉じ込められたのだから、今回も用心した方がいいだろう。
メイが持ってきたショールを羽織ると、ウェンディは深呼吸をした。
絶対に未来を変えてみせる。
二度目だもん。きっとなんとかできるはず。
これ以上、お姉様には従わない。
どうして私が処刑されないといけなかったのか、理由も知りたい。
絶対に生き残ってやる。
決意を固めたウェンディはショールで汚れたドレスを隠し、再び会場に足を踏み入れた。