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神の巻

皆が帰宅した後の教室に、伊邪那美(いざなみ)(ほのか)は一人座っていた。

まるで、時空(とき)が来るのを知っていたかのようだ。

「お久しぶりね。同じクラスなのに、なかなかお喋りも出来なくて」

「無駄話はいい」

顎を手に乗せ語りかける仄を、時空はあっさりと拒否した。

事代(ことしろ)(すず)の件は、お前の仕業か」

仄は背もたれに体を預けると、薄ら笑みを浮かべた。
否定しないところを見ると図星らしい。

「一体、何が目的だ!彼女をどうするつもりだ!」

時空は、敵対心に満ちた視線を向ける。

「あら人聞きの悪い。私が彼女に何かしたわけじゃなくてよ」

その口調には、(あざけ)るような響きがあった。

「どういう意味だ?」

「鈴さんの方から、私にアプローチしてきたの。話が聞きたいと言って」

事も無げに言い放つ仄。

「いい加減な事を言うな!」

時空は声を荒げた。

「嘘じゃないわ。まあ、信じる信じないはあなたの勝手だけど」

その言葉を鵜呑(うの)みにする気は毛頭無いが、鈴の身柄を押さえられている以上、迂闊(うかつ)に動けないのも事実である。

何か、手だてを考えなくては……

「彼女は今どこにいる?」

「私の家にいるわよ」

意外なほど、素直に答える仄。

こいつの……家だと!?

困惑する時空の様子を楽しむかのように、仄は小首を傾げ微笑んだ。

「あなたも来る?」

その瞳に宿る挑戦的な光を、時空は見逃さなかった。

明らかに罠だ。

断れない状況を作って、誘い込むつもりだ。

やはり、こいつの狙いは……俺か!

「……分かった」

緊張した面持ちで答える時空。

今、主導権は仄にある。
鈴の身柄確保を優先するなら、この場は相手の誘いにのるしか選択肢は無い。 

「いいか!俺が行くまで鈴には手を出すな」

そう付け加え、時空は燃え上がる眼光で睨みつけた。

対峙する二人の闘気が、目に見えぬ火花を散らした。


*********


「私たちも行くわよ!」

書道部の部室に、(たける)の声が響き渡る。

「それって、どう見ても罠じゃない」

「また人質をとってきたのですね。なんと卑劣な!」 

尊に続き、柚羽(ゆずは)も悔しげに言い放つ。

「仄の話しでは、鈴の方から付いて行ったらしい」

「そんなもの、口ではどうとでも言えるっすよ!」

時空の言葉に、(あきら)が腹立たし気に反論する。

「人質をとられた者がどんな思いをするか……許せないっす!」 

自らの妹を同じ目にあわされた彼女にとって、それは許しがたい行為に他ならない。
隣で聴いていた(りん)も、唇を噛み締め大きくかぶりを振る。

「とにかく、今優先すべきは鈴さんの安全ね。なんとか無事に連れ戻さないと」

「ああ……それには、敢えて奴の(ふところ)に飛び込むしかない。無論、危険を承知でな」

尊の言葉に頷くと、時空は仲間の顔を見回した。

全員が躊躇(ためら)うこと無く、大きく頷いた。


*********


豪奢(ごうしゃ)な洋館が、眼前にそびえ立つ。

その門の前で、時空、尊、柚羽、凛、晶の五人はポカンと口をあけていた。
あらかじめ教えられた住所に従い、伊邪那美仄の家を訪れたのだった。

「まるで尊の家みたいだな」

「とんでもない。ウチの倍はあるわよ」

時空の漏らした言葉に、尊が反論する。

「一体、どんなご家庭なんでしょう?」

柚羽が、門の隙間から中を覗いて呟いた。

テーマパークのような庭園には、色とりどりの植物が花を咲かせている。
林立する樹木が邪魔で、玄関が見えなかった。

呼び鈴を探していると、唐突に門が開く。
全員が、ビクッと体を強張(こわば)らせた。
どうやら、向こうにはこちらが見えているらしい。

「みょ〜」

凛の抱えたミョウが、突然鳴き声を上げる。

(気をつけな。屋敷全体から、妙な気配がプンプン臭ってくるぜ)

動物特有の知覚で、何かを感じ取ったようだ。

時空らは顔を見合わすと、意を決して歩を進めた。


*********


外観に(たが)わず、邸内も豪華だった。
広大な玄関ホールにはアンティークな調度類が並び、天井には(きら)びやかなシャンデリアがぶら下がっている。
床に敷かれた赤い絨毯が、巨大な正面階段まで続いていた。
個人宅と知らなければ、一流ホテルと見紛(みまが)うところだ。

今のところ、出迎えも無ければ人の気配も無い。

まさかこんな大邸宅に、仄一人が暮らしているのだろうか?

「どうする?」

(いぶか)しげな尊の問いに、時空は躊躇なく階段を指差した。

「上に行こう」


階段を上り切った先に、扉の開いた部屋があった。
家具一つ無い空間の中央に、皆の視線が集まる。

一人の少女が、椅子に腰掛けていた。

褐色の本を抱え(うつむ)いている。

赤みがかった頬が、興奮状態にある事を示していた。

「事代……スズか?」

時空が声を掛けると、ハッとしたように顔を上げた。
入室してきた面々を見て、大きく目を見開く。
まるで、探しものを見つけたかのような顔だ。

「……あなたは?」

「俺は神武時空……君を助けに来た」

呆然とした口調で問う鈴に、時空は穏やかな声で答える。

「神武!?……では、あなたが……八握剣(やつかのつるぎ)の?」

「…………!?」

その一言に、時空の顔が一気に強張る。

「なんだ!……どうして君は、そんな事を知ってる?」

反射的に身構えた時空に、鈴は持っていた本を開いて見せた。

「あっ!」

それを見て、最初に声を上げたのは尊だった。
続いて目にした時空も、思わず息を呑む。

──角形(かくがた)にそそり立つ刀身──

そこに描かれていたのは、紛れもなく八握剣の神宝図だった。

「あなたがこの神器の持ち主である事は、すぐに分かりました」

「それは……一体!?」

目を丸くして叫ぶ時空。

その問いには答えず、鈴はさらに頁をめくった。
見開いたそれを、今度は尊の前に差し出す。
そこには、品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)の図が記されていた。
同様に柚羽、晶、凛と、それぞれの持つ神器を指し示していく。

皆一様に、驚きの表情に変わる。

「俺たちの事は仄から聞いたのか?」

「いえ」

時空の問いに、鈴は首を横に振った。

「あなた方の事は、この本が教えてくれました」

言葉の意味が分からず、全員が顔を見合わせる。

「この本が……?」

時空は不信感に満ちた目で、少女の持つ本を見つめた。

「この本が、神器に反応したと言った方が正解ですね。近くに神器があれば、本の中にその神宝図が浮き出るのです。今見せた図は、どれもあなた方が来る少し前に現れました」

それだけ言うと、鈴は再び本を閉じた。
落ち着きを取り戻した顔には、好奇に満ちた目が輝いている。

「だがなぜ、八握剣が俺の神器だと分かった?」

信じられないと言った顔で、時空は尋ねる。

「それは……神器を察知すると、本が一瞬だけ輝きを放つのです。その光と同じ波長が、あなたの身体から出ていたので分かりました」

「君には……それが見えるのか!?」

時空の問いに、ぎこちなく頷く鈴。

「見え出したのは、つい先ほどからです。ここで待っていたら、五つの光が本に現れ始めたのです。開くと、五つの神宝図が浮き出ていました。それぞれの波長から、あなた方の持つ神器だと分かりました」

「驚いたな……」

時空は目を丸くして、鈴の抱える本を眺めた。
背後に立つ尊たちも、唖然とした顔で話しを聞いている。

「あなたは、一体どこでそんな力を手に入れたの?その本は……何なの?」

たまらず、横から尊が口を出す。
他の者も同意するように首を振った。

「これは……本の形をした神器……道返玉(ちかえしのたま)です」

その一言に、全員が言葉を失う。

この本が……神器!?


*********


「どうやら、説明は終わったようね」

突然の声に、沈黙が破られる。
いつの間にか、戸口に伊邪那美仄が立っていた。

「ね、事代さん。言った通りでしょ。私といれば神器の方から来てくれるって」

仄の言葉を受け、鈴は慌てて視線を逸らす。

「彼女ね、必死で神器のありかを探してたの。毎日毎日、図書室にこもってね……可哀想だから、少し手助けしてあげたのよ」

そう言って、仄は誰にともなく笑みを投げかけた。

「私と一緒にいれば、必ず本物の神器が見られるって教えてあげたの。それで昨日から、ここで待ってて貰ってたわけ……あなたを誘ったのはそのためよ、時空」

仄は鈴の(かたわ)らに歩み寄ると、そっとその肩に手を置いた。

「……違うな」

真正面から仄の目を見て否定する時空。

「お前が、そんな事で俺を呼ぶはずがない……本当の狙いはなんだ!」 

険しい形相で叫ぶ時空に、仄は肩をすくめてみせた。

「そう、やっぱりそんな理由じゃ納得しないか……まあ、今さら隠す必要も無いけどね」

仄はそう答えると、今度は真顔で時空を直視した。

「私の目的は、前にも言ったはずよ……継承者であるあなたを消す事だって」

その台詞と共に、仄の瞳が怪しく光り出す。

「ちょうどいいわ、事代さん。ここまで来たご褒美に、その道返玉の本当の力を見せてあげるわ」

そう言うと、仄は両腕を前に突き出した。

白い閃光が(またた)き、あっという間に仄の両手を包み込む。

光は細長く伸びると、みるみる白い矛の形に変形した。

間違いない!

あの時の武器だ。

時空の脳裏に、校舎屋上での死闘が蘇る。


そこからさらに、仄は別の動きを見せた。
ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、鈴の背後から本の上に手を置く。

命脈(めいみゃく)降臨(こうりん)!!」

掛け声を合図に、目も(くら)むばかりの七色の光が本から(ほとばし)る。

光は瞬く間に仄の全身を覆い、激しく渦巻いた。

やがて光が弱まり出すと、少しずつ輪郭が鮮明になってきた。

そこには、何かを両手に持つ仄の姿があった。

白く輝く二本の剣──

突然の変化に、時空らは息を呑んだ。

何だあれは!?

何が起こった?

「ふふ、驚いた?これが、この神器の力よ。道返玉は、神器の隠れた能力を引き出す事が出来るの。そう……今の私みたいにね」

楽しげに解説する仄の身体から、今までとは比べ物にならないほどの強烈な闘気が噴出した。

「さあ、皆さん、どうする?私を倒さない限り、この子は返さないわよ」

嘲笑(あざわら)うかのような仄の声が、室内に響き渡る。

まさか……

こいつも神器を持っていたのか!?

時空の背筋に、冷たいものが流れ落ちる。

思えば、決して不思議な事では無い。
神器の事を口にし、人知を超えた力を持つこいつなら、持っていて当然だ。
悔やむべきは、その可能性を見抜けなかった己の浅はかさである。
時空の中に、後悔の念が渦巻く。

それにしても……

時空は唇を噛み締め、鈴の本──道返玉を睨んだ。

能力を引き出す神器とは……

新たな力を得た仄の戦闘力は、以前の比では無い。
押し寄せる闘気が、それを如実に物語っていた。

そして、奴のあの武器……

その両手に握られた双刀からは、並々ならぬ力の波動を感じる。

あれが……奴の神器!?

時空の直感が、緊急事態だと告げていた。

そして、こいつと戦うには己れも神器を使うしかない、と。

時空は、懐から神鏡を取り出した。

我は()を待ち、()は我を待つ──

今再び一つにならん──

青藍(せいらん)の輝きを放ち、八握剣が現出する。

正眼に構える時空の体にも、凄まじい闘気が(みなぎ)った。

それに(なら)うかのように、他の者も神器を取り出す。

尊のUSBからは、黄金の光が迸る。

柚羽の筆からは、深紅(ふかべに)の光が(またた)く。

晶のスティックからは、深緑(しんりょく)の光が渦巻く。

そして、ミョウと合体した凛の瞳には、紫紺(しこん)の光が宿る。

神器により覚醒した全員の体から、凄まじい闘気が溢れ出た。

「どうやら出揃ったようね……事代さん、これがあなたの探していたものよ」

仄の言葉を聞くまでもなく、すでに鈴の顔は驚きと興奮で紅潮していた。

「これが全部……神器!?」

しおり