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11曲目『学祭中庭ライブ出場権を勝ち取ろう!』

 翌日から、メチャクチャ忙しい日々が始まった。何しろもう、オーデ動画提出期日まで二週間しかないのだ。部室を目一杯予約して、一つのバンドに許された週の予約上限に達した後は駅前の有料スタジオまで借りて借りて借りまくって。毎日毎日、数時間は顔を突き合わせて編曲作業と練習に勤しんだ。

「うふ、うふふふふっ」部室でノートPCを開きながら、アオ先輩が壊れている。絶好調に壊れている。「アイデアが泉のように湧き出てくる!」

 アオ先輩がいじくり倒しているのは、新曲『血とくれなゐ』の譜面だ。『血とくれなゐ』はくれなゐが小学校の『放課後・休日音楽教室』で披露した曲。くれなゐがアオ先輩に提供したのだろう。恐らく、アオ先輩に『隠し事』の一つを開示させることを引き換えにして。

 くれなゐは、どうしてそこまでしてくれるのだろう? 俺が、『キング・ホワイト・ストーンズ』の継続を望んだから? いや、さすがに自惚れが過ぎるだろうか。きっと、もっともっと単純な話で、くれなゐも『キング・ホワイト・ストーンズ』が大好きなのだろう。

「ここはこうした方が――」

「ベースのミニソロだけどよ、こういうのはどうだ?」ベベベベバララベキバキッ

「ここは単なるマイナーより、マイナーセブンの方が引き締まると思うんやけど~」

「……もっとグルーヴ感が欲しいですね」

 全員で一つの曲を作り上げていく、一体感と高揚感。皆、生き生きとしている。

「やいやいやい、モヤシこの野郎!」イナズマちゃん先輩がベースで殴ってきた。フツーに痛いから止めてほしい。「この曲は、ロックだがバラードだ。ロックバラードだ。もっともっとグルーヴを利かせろ。うねるようなドラムを叩くンだよ」

「ぐ、グルーヴですか」

 俺が一番苦手なやつ。夏野がよく言っていた、『ソウルで叩け、ソウルで』とかいうやつだ。ついつい、魂って何だよ、何拍子の何bpmだよ、って思ってしまう。が、分かっている。グルーヴ感の無さこそが、俺にとって最大の課題。夏ライブオーデでは、グルーヴの無さによって、俺がバンドの足を引っ張ってしまっていた。

「悪いけど」アオ先輩が、本当に申し訳なさそうに言う。「イナズマちゃんの言うとおりなんだ。ローテンポの曲、しっとりとした曲になればなるほど、グルーヴが重要になってくる。グルーヴの無さが際立ってしまうんだ。分かるかい、モヤシちゃん? グルーヴだ。イナズマちゃんの言うとおり、『うねり』だ」

「う、うねり……ううん」

「あはは」いつもの、口だけで笑うアオ先輩だ。「多分、モヤシちゃんは今、『十六分音符の裏拍の裏拍の裏拍の……どこにグルーヴが潜んでいるんだ?』みたいなことを考えているんだろうね」

 恥ずかしい。そのとおりだった。俺はどこまでいっても、『ソウル』とか『ノリ』とか『うねり』というものを、譜面上の中に――bpm上の中に探し出そうとしている。

「でも残念。グルーヴというやつは、譜面上には現れてこない。グルーヴが、計測不可能な概念だからだ。心の中にしか現れない概念だからだ。音楽を1bpm刻みで理解できる、絶対リズム感持ちのモヤシちゃんには、逆につらい話だろうけど」

「う、うーん……」

「あー、や、でも、無理やり似たようなことを起こすことは不可能ではないよ」アオ先輩が慰めてくれる。「コツとしては、そう。8ビートの『ツ・ツ・チャ・ツ・ツ・ツ・チャ・ツ』の『チャ』の部分だけ、ほんのわずか、0.0数秒だけ遅く叩くんだ。やってごらん」

「はい」言われたとおり、『チャ』のスネアとハイハットをわずかに遅らせる。が、

「ごめん、気持ち悪い」「なっちゃいねぇよ」「あー、な」「……やっちゃん」

「総スカン!」俺は白目を剥く。

「モヤシこの野郎。お前はよ、アオの歌が好きで、俺らの演奏のことも好きでいてくれるけど、本質的なところじゃ音楽を聴いてねぇンだ。ん? いや、違うな。そう、観客としては聴いている。けど、演者としては聴いていない、だな」

「ん、んー……?」俺は混乱してくる。だが、先輩たちはうんうんと頷いている。俺だけがおかしいのだろうか。

「悪いことばかりでもないんだよ」とアオ先輩。「つまり、自分とメンバーの音を客観視ならぬ客観聴できている、ということだからね。これもまた、絶対リズム感の賜物だろう。けれどそれは、没入感を欠くということでもある」

「口でどれだけ言ったって伝わンねぇよ。ほら、こうだぜ!」そう言って、大きく体を揺らしながら演奏しはじめるイナズマちゃん先輩。ドラムで言うところの『チャ』の瞬間、より大きく体を沈み込ませる。その動きがうねりとなって、なるほど確かに、曲に絶妙なノリが生まれたように聴こえる……と、思う。

「せやせや」シロ先輩のキーボードが載る。

「……はい」くれなゐのギターも。

「タラリラッタッタィア~」アオ先輩の歌唱も。

 皆、体を揺らし、『チャ』の瞬間に『ビタッ』と音が合っている。ノリが合っている。四者四様、てんでバラバラに演奏しているようでいて、『チャ』の瞬間には『ビタッ』。

 四つものパートの『ビタッ』を見せられると、さすがの俺にも分かってきた。なるほどこれは、気持ちが良い。聴いていて、自分でも体を揺らしたくなってくる。そうか、これがグルーヴか!

 俺も先輩たちと同じように体を揺らして、演奏しはじめた。が、どうにも上手くいかない。

「うーん……悪いけど、これならやらない方がまだマシだね。まぁ、気にすることはないよ。モヤシちゃんは今までどおり、メトロノームどおりの正確無比なドラムを叩いてくれれば、それで十分。十分過ぎるくらいなんだから。グルーヴのことは、先輩たちに任せなさい」

 そう言って、アオ先輩が俺の肩を叩こうとした。この程度のスキンシップは、今まで何度もあったはずだった。が、俺は咄嗟に、肩をびくつかせてしまった。一ヶ月前の手ひどい裏切りが、フラッシュバックしてしまったのだ。

「……あ、その」アオ先輩は傷付いたような顔をしたが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻った。「とにかく、気にしないでね、モヤシちゃん」

「はい」答えながら、俺は体を揺らすことによるグルーヴができない理由について考えていた。上手くいかない理由は、多分、二つだ。

 一つは、単に不慣れということ。俺は常に左足を1bpmのズレもなく貧乏ゆすりさせることで、天才音楽家・アオ先輩をして『人間メトロノーム』と言わしめる正確なビートを実現している。その貧乏ゆすりと、グルーヴのための体の揺れが上手く噛み合わない。どころか競合してしまい、あっという間にリズムが不安定になってしまうのだ。だがこれは、反復練習ですぐに克服できるだろう。練習は、得意だ。伊達に十年叩いちゃいない。

 もう一つは、アオ先輩を長時間直視できないこと。『許した』と思った。昨日の時点で、俺はアオ先輩に対するわだかまりをすべて解消したと思っていた。が、心の底ではやはり、八月のあの日、夏ライブで見せつけられた裏切りの光景を引きずっているみたいだ。

『隠し事』。先輩が持っている『三つの隠し事』――『百瀬ヤスシを追放させたこと』、『「キング・ホワイト・ストーンズ」を踏み台として使い捨てるつもりだったこと』、そして最後の一つ。この、最後の一つがどうしても気になって、信じてみたは良いが、最後の最後でアオ先輩にとんでもない形で裏切られるのではないかと不安になってしまうのだ。

 その不安が、俺の心身を縛ってしまうのだ。



 そんなふうにして、一抹の不安(主に俺のグルーヴオンチが原因)は残ったものの、作曲・編曲作業、及び練習は極めて順調に進んでいった。アオ先輩はくれなゐの原曲を尊重しつつ、トレンドや『青子緑子』らしさを取り入れた極上の一曲を完成させた。収録も上手くいき、俺たちは学祭ライブオーデ締め切り当日に動画を投稿することができた。

 そうして、さらに数日後の部室前。そこには、夏ライブオーデ結果発表の日と同じような光景が広がっていた。即ち、部室の防音扉に張り出されたオーディション結果を見るために部員たちが集まり、すし詰め状態になっているのだ。

「行ってくるぜ!」猫のように飛び上がったイナズマちゃん先輩が、前回と同じように部員たちの肩やら頭やらを踏んづけていき、防音扉の前でずぼーーっと群衆に飲み込まれる。

「「「「…………」」」」

 俺たちは青い顔で、結果を待つ。が、イナズマちゃん先輩の声はしない。気が付くと、イナズマちゃん先輩が戻ってきていた。

「イナズマちゃん、結果は……?」真っ青なアオ先輩に、

「ついて来い」イナズマちゃん先輩が言った。階段を降りて二階に至り、さらに一階まで行く。軽音部の部員がどこにもいないことを確認したイナズマちゃん先輩が、「いいか、アオ。落ち着いて聞くンだぜ」

「も、もったいぶらないでよ」

「入選した」

「やった――」

「けど、六位タイだった」

「…………え?」

「俺たちは、ライブハウス枠だ。中庭枠は上位五位まで。俺たちは、中庭枠から落選した」

「あ、あぁ……」アオ先輩が、頭を掻きむしる。「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 次の瞬間、ふらりとアオ先輩の体が傾いた。地面に叩きつけられる寸前で、俺は先輩の体を抱きとめることに成功した。アオ先輩は、気を失っていた。

 アオ先輩が、倒れた。倒れたのだ。



「過労ですね」診察室で、医師はそう言った。「点滴をしながら一日、二日眠れば快復します。すぐに退院できるでしょう」

 あれから、大変だった。救急車を呼んで、付き添ってくれる家族のアテもなかったので、バンドメンバーの中で最も頼りになるイナズマちゃん先輩と、男手が必要なときに、ということで俺が同行した。アオ先輩は入院することになった。二日以内に退院できるという話ではあったが、『緊急搬送で入院』という字面に、俺もイナズマちゃん先輩もすっかり衝撃を受けてしまった。

「……知らなかったンだ」集合病室に運ばれ、点滴を受けているアオ先輩の手を握りながら、イナズマちゃん先輩が言った。「コイツが、ここまで思い詰めてただなンて」

 アオ先輩は、眠っている。点滴を受けながら、すぅすぅ、すぅすぅと眠っている。

「もっと早く力になってやるべきだった。俺が気付いてやるべきだったのに」イナズマちゃん先輩は、泣きそうな顔をしている。

「イナズマちゃん先輩の所為では……」月並みな言葉しか浮かんでこない。思えば俺は、イナズマちゃん先輩やシロ先輩と、言うほど深い関係を築けていない。

「あぁ、クソッ」そのとき、イナズマちゃん先輩が衝撃的な一言を発した。「誰か、ライブハウス枠と中庭枠をトレードしてくれねぇかな」

「えっ⁉」青天の霹靂。稲妻ではないが、本当に、頭の上にカミナリが落ちたような衝撃だった。「そんなことが⁉」

「んをっ? あぁ、過去に例がねぇわけじゃねぇンんだ。特に、ライブハウスは人気があるからな。昼間でも色とりどりの照明バチバチで飾れるし、スモークも拡散しねぇし、音は良く響くし。純粋に音だけを聴かせたいなら、ぶっちゃけ中庭なンかよりライブハウスの方がよっぽど良い。そりゃあ客足は中庭に劣るが、ガッツリ音を聴いてくれる身内客なンかにゃ、ライブハウス枠の方がウケは良い。だから過去にも、中庭枠をゲットしつつもライブハウス枠のバンドとトレードした例があるンだ」

「それだ!」俺は立ち上がる。「イナズマちゃん先輩、行ってきます!」

「んををっ? 何だ何だ」

「アオ先輩を、お願いします。俺は俺で、できることをやりたいと思います」

「ん。それはアオの、『キング・ホワイト・ストーンズ』のためになることなのか?」

「はい。恐らくは、ですけど」

「そうか」イナズマちゃん先輩が、二カッと笑った。相変わらず、どこまでもイケメンな人だ。ちっさい体に、おっきな心。天晴イナズマ。『キング・ホワイト・ストーンズ』の支柱。「なら、後は任された。行ってこい!」

「はい!」



 向かった先は、キャンパスだ。俺はスマホと足を最大限に使って、軽音楽部のオーデ上位五位バンドのバンマスたちを探し出す。『キング・ホワイト・ストーンズ』の学祭ライブハウス枠と、彼らの学祭中庭枠を交換してもらえないか、頼み込むためだ。

 キャンパスに着いたのが、ちょうど正午。そこから部室や部室棟、メインキャンパスなどを走り回ること数時間。俺は、すべてのバンドのバンマスたちと話をすることができた。

 ……結果は、ダメだった。皆やはり、この大きな舞台のために、一年以上、人によっては二年も三年も掛けて努力し続けてきた人ばかりであり、『あり得ない』と断られた。アオ先輩がショックのあまり倒れたことを知っている人もいたが、『可哀想だが、それはそれ、これはこれ』というような返事だった。こちらも、アオ先輩と父親の確執までもを話すわけにはいかなかったため、アオ先輩の壮絶な覚悟までは相手に伝えきれなかった。

 中にはアオ先輩を暗に常識知らずと批判する人もいたが、そこは、『あくまで俺の独断専行ですから』と念押しした。『倒れたアオ先輩を見るに見かねて』と説明することで、何とか溜飲を下げてもらった。事実、これは俺の暴走なのだ。正攻法のやり方じゃない。何にしても、俺の行動は不発に終わってしまった。が、

「まだ……まだ、手はある」

 中庭出場者たちから話を聞く中で、俺はとあるバンドが中庭枠を掴んだことを知った。軽音楽部とはまた別の軽音サークルに所属しているそのバンドの名は、『サンオブサン』。そう、四月の頭に俺を追放した、夏野太陽のバンドだ。アイツに、中庭枠をトレードしてもらえるように頼み込むのだ。正直俺は、アイツが怖い。アイツに真正面から威圧されただけで、ちょっと詰められただけで、震えそうになってしまう。だけど。

 くれなゐは、戦った。

 アオ先輩も、戦った。

 次は、俺が戦う番だ。



「んだよ、いきなり呼びつけやがって」キャンパスに呼び出された夏野は、不機嫌そうに言った。「下らねぇ用事だったらぶっ殺すぞ」

「ごめん」俺は素直に謝る。まっすぐに、頭を下げる。数秒してから頭を上げ、夏野の目をちゃんと見て、言う。「急な呼び出しに応じてくれて、本当にありがとう」

 嫌いな相手だが、嫌いな相手だからこそ、誠意を持って接しなければ。

「っ⁉」夏野は、俺の正々堂々とした振る舞いに、若干驚いたようだった。思えば俺は、コイツに対していつもオドオドとしていて、ちゃんと目を見ることもできずにいた。そんな俺の態度が、夏野を苛立たせ、嗜虐的な言動に拍車を掛けさせていたのだと、今なら分かる。「……おう。何だよ」

「単刀直入に言う。アオ先輩――海野アオのバンド『キング・ホワイト・ストーンズ』が学祭ライブのライブハウス枠を手に入れたんだ。けど、俺たちはどうしても、何が何でも中庭で演奏がしたい。『サンオブサン』が中庭枠を掴んだって聞いた。トレードしてくれないか?」

「はぁ? 俺に何の得があって、そんなことしなくちゃならねぇんだ」

「頼む。この舞台に――」俺はばっと手を広げる。ここは、キャンパスの中心。学祭で巨大なステージが設営される、憧れの中庭だ。俺は夏野を、中庭に呼んだのだ。「この舞台に、アオ先輩を立たせてあげたいんだ」

「それなら、『サンオブサン』でもできるだろ。海野はウチのドラマーだ。自慢のな」

「それは知っている。けど、アオ先輩はどうしても、彼女がバンマスをやっている『キング・ホワイト・ストーンズ』で中庭ライブに出演しなくちゃならないんだ。事情があるんだ」

「はっ。事情ならどのバンドにだってあるだろ」

「お願いします」俺は、その場に膝をついた。頭を深々と下げる。土下座だ。「どうか、お願いします! 『キング・ホワイト・ストーンズ』に中庭枠を下さい!」

 数秒。数十秒。

「あー……」

 夏野が何か言いそうだったので、軽く頭を上げてみると、「ぎゃっ⁉」

 眼の前に火花が散った。額が痛い。どうやら、額を蹴り上げられたらしい。気が付くと、俺は無様に引っくり返っていた。

「はっ。はははっ」見れば、夏野が笑っている。俺を馬鹿にするように? いや、違う。心底楽しそうに笑っている。「ロックじゃねぇか。お前、どうして俺とバンド組んでたときに、その顔ができなかったんだ?」

「え?」俺は今、どんな顔をしているんだろう。あまりの痛みに、涙目なのは確かだが。

 夏野がおもむろにスマホを取り出した。何か操作して、「あ、軽音の渉外さんっすか。自分、学祭ライブに出させてもらう『サンオブサン』の夏野っす」

 な、何だろう? 夏野がすごく礼儀正しく会話している。

「っす。っす。はい、ライブハウス枠と。っす。了解です。すぐに証跡としてメッセージ送らせてもらいますんで。っす。あざまーす」

 通話を終えた夏野が、たぽぽぽぽぽ……と何かを打ち込んでから、

「ほらよ」

 と、スマホの画面を見せてきた。そこには、『「サンオブサン」は軽音楽部に中庭ライブ出場枠を譲る。代わりに軽音楽部からライブハウス出場枠を一つもらう』という内容が記されていた。宛先は、この名前は確か、軽音学部の渉外チームリーダーさんだ。

「あ、ありがとう……?」話がトントン拍子過ぎて、怖い。

「ま、俺らは別にプロ目指してるわけじゃねぇし、新規開拓したいわけでもない。なら、中庭でご新規相手に浮いた演奏するよりも、ライブハウスに身内集めて盛り上がったほうが楽しめるってことだ」

 えー。何だよ、最初からトレードしてくれるつもりだったってことか? だったら俺の土下座損じゃん。いや、俺が誠心誠意頼んだから、夏野も折れてくれたってことなのかな? きっとそうだ、そういうことにしておこう。

「ま、そっちはそっちで頑張れよ」立ち上がった俺の肩を、夏野がぽんっと叩いた。

「夏野、ありがとう!」

 ……………………などという美談で終わるはずもなく。俺は夏野から、学祭とはまた別のライブの、チケット五十枚という過酷なノルマを与えられてしまった。はぁ、学祭後はバイト三昧になりそうだ。それでも、夏野には感謝してもしきれない。



 翌日の午後、アオ先輩は退院した。『キング・ホワイト・ストーンズ』総出でお出迎えだ。意外だったのは、アオ先輩のお父さんはおろか、お母さんも出迎えに来なかったことだ。父親との間に問題を抱えていることは二つ目の『隠し事』で明らかになったが、母親とも何かあるのかもしれない。いや、余計な詮索はしないほうが良いだろう。

 いったん家に戻り、着替えてすぐに、アオ先輩は部室前の広場に向かった。俺たちも先輩の後ろに続く。

 部室前は、先客がいた。一人は、ドラムパートの本山先輩だ。彼の後ろには、ボーカル、ギター、ベース、キーボードの男女がいる。本山先輩のバンドメンバーだろう。

 そして、少し離れたところに立っているのは、ひときわ強烈なオーラを放つ女性。

「集まったね」その女性が口を開いた。「私は四回生の初音だ。軽音楽部の学祭オーディション委員長をやっている」

 初音先輩は、何度も見かけたことのある、ボーカルの先輩だ。軽音楽部最強バンドのバンマスで、部で最も歌が上手い。正直、俺の中で最強と認定しているアオ先輩よりもさらに上手い。夏ライブでは大トリを務めていたし、学祭ライブでも堂々一位入選で中庭ライブのトリを務める予定だ。ちなみに中庭ライブの大トリは、アオ先輩の父親がやっている事務所が連れてくる超一流プロミュージシャンだ。

「これより、臨時オーディション会議を始める。議題は中庭ライブの六枠目についてだ。昨日、軽音サークルの『サンオブサン』から連絡があってね。彼らが持っていた中庭枠と、軽音楽部のライブハウス枠をトレードしたいとの申し出だった。キミたちは中庭枠を希望していた。その認識で合っているかな?」

「「合ってます」」アオ先輩と本山先輩の声が重なる。

 ……やっぱり、そう、か。そうなる可能性に思い至らなかったわけではなかったのだが、あえて希望的観測ばかり見ていた。中庭枠が一つ空けば、『キング・ホワイト・ストーンズ』が中庭で演奏できるのではないか、と。けど、その願いは外れてしまった。

 俺たちは、『六位タイ』だった。タイならば、もう一組六位がいる。そう、それが本山先輩のバンドだったのだ。

「双方とも、譲る気はないかな?」

「ありません」本山先輩が首を振る。「アオには悪いが、こっちだって真剣なんだ」

「望むところだよ」アオ先輩が獰猛に笑う。ここまで感情を露わにするのは、先輩にしては珍しいことだった。本当に、とても。「実力で、轢き潰してやる」

「ふっ、ふふふっ」初音先輩が笑った。「ま、そうなるよね。では」防音扉を開く。「タイマン勝負をしてもらおうじゃないか」

 中には、三・四回生がズラリと並んでいた。来られる人は全員来たんじゃないかってくらい。彼ら彼女らの視線の、あまりの鋭さに、俺は震え上がりそうになった。



「ルールは簡単だ」突如始まったタイマンバンドバトルについて、初音先輩が説明してくれる。「各々一曲ずつ演ってもらう。で、ここにいる一人ひとりに、どちらの演奏がより素晴らしかったかを選んでもらう。人数の多かったバンドが、勝ち。六枠目の中庭ライブ枠を手にすることができる。あぁ、贔屓とか裏取引とか忖度とか、そういうのは一切存在しない。ここにいる奴らは全員、『■■大学軽音楽部の名に誓って、厳正な評価を下す』という誓約書に署名しているからね。これは、古式ゆかしき、軽音楽部伝統の決闘方法なんだ」

 壁際から俺たちを伺う先輩たちの視線がいつになく鋭いのは、そういう理由からか。

「さぁ、先手はどちらから?」

 本山先輩は、全身からやる気を立ち上らせている。一方のアオ先輩は病み上がりで、立っているのもやっとという様子だ。

「俺たちからだ」本山先輩が、一歩前に出た。

「良いだろう。セッティングを始めたまえ」

 さすがは歴戦の先輩たち。本山先輩のバンドメンバーは、ものの数分でセッティングを終えてしまった。特に本山先輩のドラムセッティングの速さと正確さと言ったらすさまじく、たった一度の高さ・角度調整で、彼が最も叩きやすいドラムを作ってしまった。ただの一度も叩きすらせず。俺なら実際に叩いて、二度、三度調整が必要なところだ。

 本山先輩の、カウント代わりのハイハット四回。『青子緑子』の影響をモロに受けた様な、変則的な16ビート。だが、俺のビートと違って、本山先輩のそれには『グルーヴ』がある。こんな、これほどまでに上手かったんだな、本山先輩。俺があの日勝てたのは、『スーパーモヤシモード』のお陰だった。ギリギリ、紙一重の勝利だったんだ。

 驚くべきことに、ボーカルが歌いはじめたのはオリジナル曲だった。『青子緑子』を彷彿とさせる。が、単なるパクリ、リスペクトの域から大きく昇華された曲。ボカロ風の曲を見事に生演奏のロックとして昇華させている。上手い。とんでもなく上手い。俺は自信がなくなってくる。

 オリ曲バンドは、『オリ曲である』という、ただそれだけの理由でオーデの評価が下がりがたちだ。インディーズレベルの大物バンドでもなければ、オリ曲は客ウケが良くないからだ。だから、一段階は評価が下がると言われている。A評価ならBに、B評価ならCに。

 俺たち『キング・ホワイト・ストーンズ』の今回の評価は、『Aマイナス』。前回の、夏ライブのときと同じ評価だった。バンド全体としての完成度は格段に上がっているはずだが、新曲突貫工事の影響および俺のグルーヴの無さが足を引っ張ってしまった形だ。しかも『「青子緑子」はセミプロ。よって「キング・ホワイト・ストーンズ」はオリ曲バンドではなくコピーバンド』と判断されているため、俺たちの評価にはマイナス補正が掛かっていない。

 一方の本山先輩のバンドは、マイナス補正が掛かった上で俺たちと同等評価の『Aマイナス』。つまり実質、『Sマイナス』。軽音楽部一、二位を争う実力というわけだ。果たして、本当に勝てるのか……。

 俺が思案しているうちに、曲が終わった。三・四回生――審査員たちによる万雷の拍手。

「準備するよ、モヤシちゃん」真っ青な顔をしたアオ先輩が、気丈にも俺の背中を叩いてくれた。

「はい」ここまで来たらもう、全力でぶつかるだけだ。俺は手早くドラムの角度・高さを調節し、16ビートとフィルインを一回ししてセッティングを完了させる。「いきます!」

 スティックを二回鳴らし、三拍目から三連符のフィルイン。

 曲が始まった。ロックバラード『血とくれなゐ』。

 アオ先輩の歌声は、いつになく艷やかだ。体調の悪さが、むしろ色艶になっている。良い傾向だ。

 くれなゐの切ないギターは、素晴らしいの一言に尽きる。

 イナズマちゃん先輩は、バラードだけど暴れ回る。それで良い。低音がうねればうねるほど、曲に重厚感が増し、切なさが増す。

 各々好き勝手にやっている演奏を、シロ先輩のシンセサイザーが優しく包み込む。

 そして、彼女たちが三拍目の『チャ』の部分で『ビタッ』と合う。グルーヴだ。

 いつもの、完璧な、『キング・ホワイト・ストーンズ』だ。だが、審査員たちの顔は険しい。『ビタッ』の部分に至った瞬間に、露骨に顔をしかめる人たちが多数。彼ら彼女らはみな、俺を見ている――睨んでいる。そう、か。俺だけがノれていないから、グルーヴを出せていないから、浮いてしまっている……悪目立ちしているんだ。

 俺は焦る。冷や汗が額に浮かぶ。何とかしてグルーヴを出そうとして、イナズマちゃん先輩を真似して体を揺らそうとした。が、やはり体の揺れと左足の振動が上手く噛み合わない。それを必死に抑え込もうとするから、演奏が上ずったみたいになってしまう。アオ先輩が、不安そうな顔でこちらを見ている。その、目。アオ先輩の目を見た途端、俺はあの、夏ライブの恐怖を思い出す。俺を最悪の形で裏切った海野アオ。何も説明してくれない海野アオ。

「あっ」リズムが崩れかける。まずい、瓦解する! 演奏中に決定的にリズムを崩すなんて、どうしようもないマイナス点だ。俺の所為で決闘に負けてしまう。俺の所為で『キング・ホワイト・ストーンズ』が終わってしまう! ダメだ、それだけは絶対に――!

 ――ベェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエンッ!

「いってぇええええええ!」突如、イナズマちゃん先輩が叫んだ。

 演奏が止まる。全員の注目がイナズマちゃん先輩に集まる。た、助かった! お陰で俺は、リズムが完全に崩れ去る直前で演奏を止めることができた。いや、今はイナズマちゃん先輩の心配をすべきだ。何があった⁉

「イナズマちゃん⁉」シロ先輩がシンセサイザーを倒しかねない勢いで立ち上がり、イナズマちゃん先輩のもとに駆け寄る。

 見れば、イナズマちゃん先輩が額から血を流している。そして、光の鞭が彼女のそばで暴れ回っている。あれは、弦だ。ベースの一弦が根本から外れてしまったのだ。その弦に、イナズマちゃん先輩は額を叩かれたのだろう。

「あーあ、ペグがぶっ壊れちまってる」流れる血を適当に拭いながら、イナズマちゃん先輩が言う。「これじゃ演奏になんねぇ。直したいから、一日だけ時間をもらえねぇか?」

「別のを手配することは可能だけど」と初音先輩。

「悪いけど、使い慣れた楽器で挑みたいンだ。ダメかい、初音先輩、本山?」

「あはは、今年のオーデは何から何まで異例尽くしだねぇ。だ、そうだけど。どうする?」

 本山先輩は、血を流すイナズマちゃん先輩と、ハンカチで止血しようとしている真っ青なシロ先輩と、病み上がりでフラフラなアオ先輩を見て、「いいぜ、ただし――」

 と、ここで、本山先輩が俺を見た。いや、俺を睨んだ。『刺すような』なんて表現も生ぬるいほどの、殺すほどの視線を俺にぶつけてきた。

「モヤシ、俺はお前を認めている。あの日、272bpmを1bpmのズレもなく叩ききったお前のドラムを認めている。だから身を引いたんだ。けど」本山先輩の声には、抑えきれない怒気が含まれている。「次に腑抜けた演奏してみろ。俺は一生、お前を許さない。いいな?」

「わ、分かりました」恐怖で足が震えた。



「俺はベース直してくるからよ! アオは明日の練習までメシ食って寝てろ! モヤシは練習! くれなゐは知らん! じゃあな!」シロ先輩に付き添われながら、イナズマちゃん先輩はキャンパスの中庭を横断し、正門を出て、駅の方へと去っていった。

『決闘』の続きは明日の午後に行われる。明日の午前には最後の練習を入れることができた。

「イナズマちゃん、お父さんから借りたベースだから、って大切にしてたのに」アオ先輩の言葉には、含みがある。だが、俺も同じことを考えていた。

 イナズマちゃん先輩は絶対に言わないだろう。それに、もしかしたら本当にたまたま、あのタイミングで楽器が故障しただけ、という可能性もある。だが、イナズマちゃん先輩の左手指は真っ赤に腫れていた。まるで、力の限り弦を引きちぎろうとでもしたかのように。わざとベースを破壊して、仕切り直し、時間稼ぎをしてくれたかのように、思われた。

 あのまま演奏を続けていたら――俺のリズムが崩れていたら、間違いなく『キング・ホワイト・ストーンズ』は負けていた。俺の所為で。イナズマちゃん先輩が大切なベースを傷付けてまで作ってくれた猶予は、二十四時間。何ができるのか。何をすべきなのか。

「ボクはイナズマちゃんの言うとおり、たっぷり食べてたっぷり寝て、体力を回復させてくるよ。モヤシちゃんは、グルーヴのための体の揺れと、左足の貧乏ゆすりを共存させるための練習を。一日しかないけど、できる? ――いや、やってくれ。絶対に仕上げてくるように」

「分かりました! 任せてください。先輩は心配せずに休んでください」

「よし、では解散――」

「待って」くれなゐが制止した。正門の方へ向かおうとしていた俺たちの足が、止まる。「大事なことが一つ、残っている。とても大事なことが」くれなゐが俺を見る。何だか、口調がいつもと違う。「やっちゃん、グルーヴが安定しない理由は、何?」

「それは」くれなゐの圧に押されて、俺は正直に話す。「二つある。一つは、周知のとおり、体の揺れと左足のリズムキープを上手く共存させられないこと。でもこれは、単純に俺の不慣れ、練習不足が原因だ。明日の練習まで、まだ十二時間もある。大丈夫、必ず仕上げてくる」

「うん。そこは信じてる」くれなゐの信頼が嬉しい。「問題は二つ目ね」

 日が沈みかけている。キャンパスが赤く染まる。くれなゐ色の名前をした少女が、俺を見つめている。そうだ、俺にはアオ先輩に対するわだかまりがある。そのわだかまりが邪魔をして、俺は演奏に集中しきれず、ノリきれない――グルーヴを出せないんだ。

「アオ先輩」俺は、アオ先輩に向き直る。「アオ先輩の、三つ目の『隠し事』について、知りたい。それは、もしかして、俺に関することなんじゃないですか? 一つ目『隠し事』に絡んで、俺をどうしても夏野のバンドから追放させる必要があった、その理由に関することなんじゃないですか? その答えを知ることができれば、俺はきっと、こんなつまらない猜疑心に悩むことはなくなる。心の底から、アオ先輩を信じることができる。アオ先輩の歌声に、俺のドラムを捧げることができる。聴きながら演奏するってやつを、ノるってやつを、ソウルで叩くってやつを――グルーヴを、マスターできる気がするんです」

 キャンパスの中庭には、俺たち以外、誰もいない。まるで世界が俺たちだけを残して滅んでしまったかのように。もしくは、今から始まるのであろう最後の告白劇のために、舞台を整えてくれたかのように。

「…………」アオ先輩は、真っ青な顔をしている。夕焼けの中でもなお分かるほどに。

「アオ」くれなゐが、アオ先輩の背中を叩く。

「…………っ」アオ先輩は何かに耐えようと、必死に目をつむっている。

 くれなゐがため息をついた。「もう、タイムリミットよ。アオ、悪いけど私が説明――」

 くれなゐの言葉は、続かなかった。アオ先輩が、彼女の手首を――リストカットの傷を隠している包帯を、掴んだからだ。

「アオ、駄々をこねるのはもうお仕舞いに――」

「違うの」アオ先輩が、ジャケットを脱いだ。「ボクは――いえ、私は、もう、逃げない」

 アオ先輩が。真夏だろうが絶対に長袖のジャケットを着て、頑ななまでに腕を隠し続けてきたアオ先輩が、ジャケットを脱いだ。日焼けしていない、ほっそりとした腕。その先にある手首に、俺は視線が釘付けになった。

「あぁ……あぁぁ……そうか、やっぱり、そうだったのか」

 忘れもしない、四月四日の朝。俺が初めてアオ先輩にお持ち帰りされた日の朝、俺はアオ先輩の全裸に遭遇した。あのとき先輩は、必死に腕――両手首を隠していた。

 服を着た後も、やれどこを見たのか、どこは見てないのか、と事細かに聞き出してきた。俺は『蒙古斑を見られるのが恥ずかしいのかな』と勝手に納得していたが……あれは、こういうことだったんだ。





 今、露わになったアオ先輩の手首には、傷痕があった。

 度重なる、リストカットの、傷痕が。





「キミは――キミが、キミこそが、俺の元カノの『赤ちゃん』だったんだね」

「…………」アオ先輩――赤ちゃんは、何も言わない。

「そういうことです」くれなゐが、手首の包帯を外した。包帯の下から現れたのは、傷一つない綺麗な手首だ。

「じゃあ」出逢った頃から感じ続けてきた違和感の正体を目の当たりにしながら、俺はくれなゐ――俺の元カノを『騙って』いた少女へ、尋ねる。「キミは、誰だ。誰なんだ?」

「悲しいなぁ」くれなゐが微笑んでいる。地雷系の、泣きはらしたようなメイクの目元に涙を溜めながら。「アナタにドラムを教えた『灯(ともしび)先生』のこと、忘れちゃうなんて」

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