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3曲目『272bpm(秒間九回)の壁を突破しよう!』

 ……チュン、チュンチュン

「――はっ⁉」飛び起きた。右を見て左を見る。「ここ、アオ先輩の家か。……トイレ」

 ――ガチャリ

「モヤシちゃん⁉」

 デジャヴ。洗面所には全裸でしっとりほかほかなアオ先輩がいた。

「きゃぁああああああ⁉」悲鳴を上げる僕と、

「わっわっわっ」慌てて両手を背中に隠すアオ先輩。

「手『を』隠すんじゃなくて、手『で』隠してくださいよ!」

 逃げ出しながら、僕の理性は崩壊寸前だった。あれほどの美人で、しかも敬愛して止まない天才ボカロP『青子緑心』のエロ過ぎるハダカをニ度も見せつけられて、冷静でいられるわけがない。僕だって男だ。できれば叡智なこともしてみたい。

 けれど、ダメだ。アオ先輩も、バンド内恋愛禁止って言ってただろ。好きになっちゃダメだ好きになっちゃダメだ、絶っっ対に好きになっちゃダメだ! アオ先輩は尊敬できる先輩。バンド『キング・ホワイト・ストーンズ』のバンマス。バンド内恋愛は厳禁。バンド内恋愛はバンド崩壊の原因トップスリー。僕が原因でバンドが崩壊するなんてことは、絶対に、絶っっっっっっっっっっ対にあってはならない。昨日、誓ったばかりだろ、ドラマーとして先輩の期待に添えるよう全力を尽くすって。心・頭・滅・却! ふ~~~~……。

「モヤシちゃん、何度も壁に頭突きしたりしてどうしたの? 二重の意味で、頭、大丈夫?」

 誰の所為だと思ってんスか、先輩。



「アッソノゥ……一人で歩けますから」

「ダーメ。手を離したら逃げちゃうでしょ?」

「一限があるんです。せっかく親が大金払って大学入れてくれたのに、留年するわけには」

「大丈夫。今日の練習枠は朝イチのヤツだから」

 早朝のキャンパスにて。僕は、僕の手をぎゅっと握るアオ先輩の手を見る。碧いネイルが施された先輩の手指はとてもキレイで、隠す必要なんてないように思う。っていうか普通、ハダカ見られたら胸とか股とかを隠すと思うんだけど。もしかして僕、色仕掛け的なことされてる? ドラマー不足な軽音学部で、僕を繋ぎ止めるためにやれることは何でもやるぞ、的な?

「さっきみたいなことしなくても、僕はバンド抜けたりしませんよ! 掛け持ちもしません。青子緑子は、アオ先輩は憧れの存在なんですから。だから自分を粗末にしないでください」

「ん? ありがとう? っていうか何の話だい?」

 先輩に手を引かれ、早朝のキャンパスを歩く。僕の頭の中では今、『青子緑子』の大ヒット曲『青と緑のハザマで』が流れている。いや、厳密に言うと少し違う。昨日、アオ先輩が歌ってくれた、あの、抜群に可愛らしいくせに少しばかりハスキーで、アオ先輩の持つ女らしさと少女性が神がかったバランスで混ざり合って成立した、奇跡のような歌声が、頭の中でずっと再生され続けているんだ。こんなの、生まれて初めての経験だった。

 脳内再生される歌に聴き入りながら、そしてときどき話しかけられるアオ先輩の生声に聴き惚れながら、歩くことしばし。部活棟の三階、軽音学部の部室の前まで連れてこられた。

「コレさ」アオ先輩が叩いたのは、部室の防音扉に貼り付けられた紙。

「部室の利用予約表?」

「そ。えらくアナログだけど、ここにバンド名を書き込むことで予約するのさ」

 予約枠は百分刻み――つまり、授業一コマ九十分プラス休み時間十分。驚くべきことに、予約枠は二十四時間存在する。今回『キング・ホワイト・ストーンズ』が予約しているのは、一限が始まる前の百分間だ。現在、時刻は七時十分。予約枠の開始は十分後だ。

 ――ガチャリ。防音扉が内側から開いた。他の先輩だな?

「おはようござい――」

「待ってたぜ、アオ」出てきたのは、見知らぬ男性。「俺をお前のバンドに入れてくれ!」

 …………誰ぇ?

「……山本山くん」不機嫌そうな顔になるアオ先輩。「キミはニヶ月前にクビにしたよね」

「そこをなんとか! 一回でいいからチャンスをくれ!」

 二人が何やら言い合いを始める。

「アッソノゥ……どなた様ですか?」

「この子は」アオ先輩が、苦虫を噛み潰したような顔になって、「山本山くんだよ」

「本山な」先輩が訂正する。「本山、山雄。後輩に変なアダ名を教え込むな」

「ドラムパートでニ回生。ニヶ月前に、ゴッド先輩の後釜として『キング・ホワイト・ストーンズ』のドラムに立候補してきたんだけど……」

 ああ、アオ先輩のお眼鏡に叶わなかったのか。僕のドラムは面白味のない、寒いドラムではあるものの、bpmを遵守して正確に叩ききることに関してだけは自信がある。そして、アオ先輩は『グルーヴ』とか『味』よりもリズムキープを重視するところがある。

「何でこんなひょろいモヤシ野郎が良くて、俺がダメなんだよ⁉」

「ヒエッ」本山先輩に睨みつけられ、僕は委縮する。

「こーらー山本山! モヤシちゃんはウチの大事なドラムなの。イジメないで」

「納得できねぇ! 俺は二回生だぞ? 俺の方がコイツより絶対に上手い」

「昨日の演奏見たでしょ? キミには叩けなかったビートを、モヤシちゃんは見事に叩ききってみせた」

「それはニヶ月前の話だ。ニヶ月間、猛特訓してきた。だからもう一度、挑戦させてくれ!」



「あわ、あわわわわ……」

 僕は気が気でない。本山先輩が、昨日僕が叩いた新曲――216bpmの超難関ハイテンポロックを見事に叩ききってしまったからだ。本山先輩はマッチョでイケメンな、ザ・ドラマーな爽やか男子。背も高い。一八〇センチはあるだろう。モヤシで陰キャな僕とは月とスッポン。このままでは僕がクビにされてしまう!

「うぐぐ」アオ先輩が冷や汗をかいている。「それならコレは⁉ 新曲『もやしマシマシロックンロール』。モヤシちゃんと出逢えた喜びのあまり、一夜で書きあげてしまった神曲さ!」

 アオ先輩がYAMAHAのPAスピーカーから音源を流しはじめる。カッコイイ! コミカルな雰囲気のハイテンポロックだ。自分で神曲言うだけのことはある。だけどテンポが速すぎる。216bpmでも相当速いのに、この曲は272bpmも出てる!

「ぐおおお、脚がつりそうだ!」本山先輩は、叩けなかった。

「ふふん」アオ先輩が勝利の笑みを浮かべる。「ボクのモヤシちゃんは叩けるよ」

「エッアッソノゥ……」



   ♪   ♪   ♪



 ……モヤシは、叩けなかった。開始一分と持たずリズムが瓦解した。

「何で、モヤシちゃん⁉」

 顔を真っ青にさせたモヤシが、「さすがに速過ぎます。……もしかして僕、クビですか?」

「キミがクビだなんて!」

 アオは必死に考える。アオは何が何でもモヤシにドラムを任せたい。彼の才能は本物だし、ドラマーとしての能力の他にも『理由』があるからだ。

 だが、アオは今まで『ボクの曲を叩けないから』という極めて厳格かつ合理的な理由で何人ものドラマーをクビにしてきた。本山もその一人だ。だが本山は216bpmの曲を叩ききった。そしてモヤシは272bpmの曲を叩けなかった。五分五分だ。ならば、入部したてで未知数な部分の多いモヤシよりも、ライブ出場経験もある本山を選ぶのが合理というもの。

(何か、何かない⁉ やっちゃんをドラマーに据えるための神の一手! ――あっ⁉)

 アオは思い出す。昨晩の飲み会。モヤシは明らかに、272bpmをも超える速度で貧乏ゆすりをしていた。リズムにことさらうるさい自分が、この目で見たのだ。間違いない。

「モヤシちゃん、貧乏ゆすりは? 昨晩、これよりもっと早い速度でできてたよね⁉」

 そう。先ほどの演奏では、彼の強みであるはずの左足によるリズムキープができていなかった。彼は実力を発揮できていなかったのだ。なぜ?

「272bpmのリズムキープなんて」モヤシが泣きそうな顔で、「足首壊れちゃいますよ」

「――⁉」モヤシがメトロノームも無しにbpmを言い当てたことに、本山がビビる。

「でも、昨日はできてたじゃないか」

「あ、あれは」モヤシが真っ赤になる。「緊張してたからです!」

「緊張? どうして?」

「だってアオ先輩がその、……く、くっついてくるし」

 真っ赤になって、しどろもどろなモヤシ。アオはたまらない。嗜虐心が刺激される。

「ふぅん。具体的に、どことどこがくっついたのかな?」

 アオは白の革ジャンを肩から降ろす。脱ぎはしない。手首が露出してしまうからだ。濃紺のキャミソールを押し上げる、自慢のバストが強調される。アオはモヤシの手からスティックを奪い取る。モヤシの手を取り、自分のバストに押し当てた。

「ウワァアアアアアアアアアア⁉」モヤシがビビりちらかす。彼の手汗が、じんわりとキャミソールに沁み込んでくる。

 モヤシが貧乏ゆすりを始めた。早い。272bpmはある。

 アオはすかさずモヤシにスティックを握らせ、「ミュージック・スタート!」

 モヤシがイントロを叩き始める。上手い。272bpmという驚異の高速テクニカルロックの、16ビートでルーディメンツマシマシなビートを的確に正確に完璧に叩ききっていく。二、三回聴いただけなのに、もう『完コピ』している。

 確かに、面白みのない、オリジナリティが不足したドラムなのかもしれない。だが、カンペキだ。カンペキを求めるアオにとって、最高最強にして唯一の人材、モヤシ。

 イントロが終わった。アオはマイクを取り、息を吸う。



   ♪   ♪   ♪



 ――パチパチパチパチパチパチパチパチッ

「――はっ⁉」

 気が付くと、曲が終わっていた。両手両足と腰がガクガクだ。どうやら僕は、アオ先輩の新曲『もやしマシマシロックンロール』を叩ききることができたらしい。

「は、ははは……お前、天才だよ」本山先輩がスタンディングオベーションをしている。「完敗だ。何としても学祭中庭ライブに出ろよ?」

 本山先輩、そう言ってウインク。ははは……リア充イケメンってすごいな。敵わないや。

「さすがはボクのヒーロー、やっちゃん!」アオ先輩が僕に抱き着いてきた。それから慌てて、「じゃなかった、モヤシちゃん! ボクは絶対ぜぇったい、キミを離さないからね」

 アオ先輩がニヤリと笑う。そう、笑ったんだ。アオ先輩が笑顔だなんて、珍しい。

「モヤシちゃんの、超高速貧乏ゆすり状態のことを『スーパーモヤシちゃんモード』と名付けるよ。起動ボタンはボクの胸さ」

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