2曲目『課題とToDoを洗い出そう。目指せ学祭中庭ライブ!』
「「「カンパーイ!」」」
「か、カンパイです……」
午後の講義の後、僕は再びアオ先輩に拉致られた。連れてこられたのは小さな居酒屋。
「入部おめでとう、モヤシちゃん」「今日の演奏、すごかったぜ!」「ええバンドになりそうやなぁ~」アオ先輩、イナズマちゃん先輩、シロ先輩の順で僕に話しかけてくる三人。
「今日のセッション、最高だった。明日からさっそくバンド練習開始するからよろしくね、モヤシちゃん」
「モヤシこのヤロー、おめーマジでうめぇのな! 演奏中にアオが笑ってるのなンて、ゴッド先輩がいたとき以来だぜ」
「ホンマに上手かったで、モヤシちゃん~。あ、ゴッド先輩っていうんは二月までウチらのドラムやってくれた先輩やで~。ゴッド先輩が卒業してもーてから、ウチらはドラムが不在でなぁ。アオがえらい気難しくて、新しく入ってもすぐに追い出してまうんよ~。でもモヤシちゃんは大丈夫そうやねぇ」
「ゴッド先輩はマジ神だったけど、モヤシちゃんも全然引けを取らない、いやむしろモヤシちゃんの方がリズムキープ力で優れてる。ボクは絶対にキミのことを手放さないしバンド掛け持ちも許さない。キミはボクら専属のドラマーだからね、モヤシちゃん」
「をいをいをい、モヤシが引いてるぜ、アオ。まーでも俺様も今日のセッションは気持ち良かったぜ。ドラムのタム回しとベースがバチバチにユニゾンしてたときなンて、く~っ!」
「ウチも、モヤシちゃんの演奏は安定感があってホンマに好きやわぁ。ちなみにゴッド先輩がゴッドなんは、演奏が神なのはもちろんなんやけど、名字が神代やからやで~」
「あ、あはは……その、ありがとうございます」
僕は、少し居心地が悪い。先輩方が無限に褒めてくれるからだ。
先輩たちは僕に対して、何をそんなに気遣っているんだろう? 僕は迫力のないドラムしか叩けないモヤシ野郎で、全然大したことないのに。あんな面白味のないドラム、オリジナリティのないドラム、音源丸コピなドラムを褒められてしまうと、なんだか逆に心配になってくる。何か、裏があるんだろうか? そういえばアオ先輩は、僕がアオ先輩のバンドの専属になることにやたらとこだわっているように思う。――あっ、もしかして!
「ドラムって、人数少ないんですか?」
「「「……ん?」」」三人が同時に首を傾げた。三人揃ってメチャクチャ可愛いなオイ。
「そうだね。入部も決まったし、■■大学軽音学部について少し説明しておこうか」
早々に空になったジョッキをタァーンッとテーブルに置いたアオ先輩が、フライドポテトが山盛りになった皿を僕の前に置く。
「ボクら軽音学部は、毎年部員が百数十人にもなるマンモス集団。今日時点では確か百八人だったと思うけど、どうせまたすぐに数十人の新入生が入ってくる」
「ひゃく……すごいですね」■■大学一の名は伊達じゃない。
「そのうち」アオ先輩が、フライドポテトの山を真っ二つに分ける。「約半数がギター」
「そんなにですか?」
「まぁ一言でギターと言っても、エレキとアコギが混ざったり重なり合ったりしてるけど。で、残り半数のうちさらに半分が」フライドポテトがさらに半等分に。「ボーカル」
やっぱり、ギター人口が一番多い。続いて取っつきやすいボーカルか。
「残った四分の一のうち、人口はおおむねベース、キーボード、ドラムス、その他の順」
「その他というと?」
「管楽器が少し。ジャズやジャズロックのトランぺッターが一人とアルトサックスが二人」
「ちなみにドラムは?」
「二・三・四回生で五人。キミが入ったから六人だ。もう少し入ってくれると安定するけど」
百数十人の集団に対して、ドラムが六人。なるほど、これは奪い合いになる。アオ先輩たちが僕みたいな平凡なドラマーにまで気を遣うわけだ。
「だから明日以降、モヤシちゃんには永遠にバンド勧誘が舞い込むと思う。だけど、本当に申し訳ないんだけど、全部断ってほしい。ずっととは言わない。けど、十一月の学園祭までは」
「大丈夫ですよ」
僕は少し、居心地が悪い。こんな、アオ先輩ほど声が良くて歌が上手くて作詞作曲もできるような天才美女に頭を下げられるほど、僕は大したドラマーじゃない。ドラム不足という環境が、アオ先輩に頭を下げさせているんだ。
「みんな、僕になんて見向きもしませんって。僕は……このとおり、モヤシ野郎だから」僕は逃げるようにして席を立つ。「と、トイレ行ってきます!」
♪ ♪ ♪
「アレ、どう思う?」モヤシの後ろ姿を見ていた三人だったが、やがてイナズマが口を開いた。「ホントに謙遜か? だとしたら嫌味が過ぎるが、あの自信なさげな目は多分マジだぜ」
「それこそ信じられへんってぇ~!」とシロ。「あんなにドラム上手い子なんて、大学中探したっておらへんよぉ~」
「だよな! 三・四回生がスタンディングオベーションするなンて、滅多にねぇのに」
「でも多分」アオがジョッキを舐める。「彼はあの拍手を、自分ではなくボクたちに向けられたものだと勘違いしている。……昨日、寝言聞いたんだけど。彼、バンドをクビになったとこらしいんだよ。細マッチョなこととか、リズムキープ重視なところとか。いわゆる典型的な、ムキムキな『ザ・ドラマー』って感じとは少し違うでしょ? 前のバンドが、モヤシちゃんにそういう暑苦しいバンドマン像を押しつけてたんだとしたら――」
「あ~」イナズマが天を仰ぐ。「分かるぜ。確かにあのドラムは正確な反面、どうしたって面白みには欠けちまう。俺様たちみてーなテクニカルなロックにゃモヤシのドラムはどハマりするンだが、普通のローテンポロックで『ノ』れるかっていうと微妙かもしれねぇ。ベースにせよドラムにせよ、メトロノームに忠実過ぎる奴は『絶妙なノリ(グルーヴ)』が出せねぇ」
「何にしても、良かったやんアオ。ウチらはモヤシくんのドラムを必要としとる! モヤシくんはウチらのバンドでなら大活躍できる! ウィンウィンやでぇ」
「そうだぜ! これからは褒めて褒めて褒めちぎって伸ばしてやろうぜ!」
「……それは、待ってほしい」アオの声が場を冷やす。
「あん?」「え~?」
「あの子を褒めるのは、様子を見ながらにしてほしい」
「でも、事実上手いンだぜ。褒めて何が悪いンだ? 委縮しながら叩くよりも、褒められながら叩くほうが本人だってぜってー嬉しいだろうが」
「委縮していようがいまいが、今日のモヤシちゃんの演奏はパーフェクトだった。現状でパーフェクトが出せるなら、わざわざ変化させるべきじゃない。それに」アオは少し言いにくそうにしてから、「あの子は絶対、引く手あまたになる。バンドをたくさん掛け持ちされて、ボクのバンドがいい加減にされると、…………困る」
「てめぇ」イナズマが立ち上がる。「そういう自己中なのは――」
「分かってるだろ⁉」アオも立ち上がった。「……十一月までだよ。許してほしい」
「まぁ~まぁ~まぁ~まぁ~!」冷えきった空気を、シロがほぐす。「今日はめでたい日なんやからケンカはカンニンやで~。ほら、もうすぐ赤ちゃんも来るし」
「アッアノゥ……どうしたんですか?」モヤシが帰ってきた。
「何でもないよ、安心して。それより」アオが場を取りなす。「改めて自己紹介をしようか。ボクは海野碧、ハタチ。見てのとおりの美女で才女。趣味は作詞作曲と動画UP。好きなミュージシャンはボク自身。スリーサイズは上から――」
♪ ♪ ♪
「好きなミュージシャンはボク自身」
アオ先輩の話を聴いていて、僕はとある可能性について考えている。今日聴かせてもらった、アオ先輩が作詞作曲したという歌。感じがすごく似てるんだよ。
「スリーサイズは上から――」
「待て待て待て!」イナズマちゃん先輩がアオ先輩の口を塞ぐ。
「もがっ、何で止めるの?」
「てめーが言ったら、俺様たちまで言わなきゃならない流れになるだろーが!」
「恥ずかしがり屋だねぇイナズマちゃんは。性格はおっさんなのに中身は乙女」
「てめーはデリカシーがなさすぎるンだよ!」
「ア、アノゥ……」
「どうしたのかな、モヤシちゃん? やっぱりボクのスリーサイズが気になるのかい?」
「アッアッアッ、ソウデハナクテ」
「違うのかい。悲しくってお姉さん泣いちゃう」と言って、手指で涙を作ってみせるアオ先輩。顔は真顔のままなのに。
「……エッアッ、ヤッパリ気ニナリマス」
「おい、モヤシ」イナズマちゃん先輩が僕の首に腕を絡ませてきた。
「ヒッ⁉」いい匂いする! アルコールの臭いも混ざっていて、何だかクラクラしてくる。
「コイツの発言は九割テキトーだから、真に受けなくていいぜ。ほら、言いたいことがあるなら言ってみな」
「アッソノゥ……アオ先輩って、もしかして『青子緑子』様ですか⁉」
「様ぁ⁉」と驚くイナズマちゃん先輩。「モヤシ、お前『青子緑子』のこと知ってンのかよ」
「そりゃもう!」
青子緑子といえば、YouTubeや各種動画サイトでその名を轟かせている超・超・超大物ボカロP!
ボカロPとは、『初音ミク』を始めとするボーカロイドのための曲を作り、『歌わせてみた』動画をUPする人たちのことだ。歌う機能を持たないはずのボイスロイドに歌わせる猛者なんかもいる。AIきりたんが流行して以降は、むしろボイスロイドの方が主流まである。
「知ってるも何も、超・超・超有名人じゃないですか! つべ(YouTube)やニコ動で万バズしてる常連様! 僕、大ファンで。全曲、暗記するまで聴き込んでます! 曲調が似てるから『まさか』と思ってましたけど、ご本人様だったとは! っていうか、今日聴いたのって新曲ってこと⁉ ファァアアアアアア⁉」
僕はもう、天にも昇る心地だ。雲の上の人、敬愛して止まない大スターに声を掛けてもらえたなんて。一緒にバンドができるなんて!
「何」青子緑子ご本人様が妖しく微笑む。「その、ちいかわみたいな声」
「作詞の青子、作曲の緑子って言ってましたけど、本当はお一人だったんですね!」
「ヒミツにしておいてね」
「もちろんです!」伝説のボカロPとヒミツを共有! うわあああ、何だコレ何だコレ! 控えめに言って最高なんですけど⁉
「をいをいをい、モヤシが少年みたいな目をしはじめちまったじゃねぇか」
「アッスミマセン! 自己紹介の途中だったのに……」
「いいってことよ!」イナズマちゃん先輩が、その薄っすらとした胸をどんっと叩いて、「俺様の名は、天晴(あっぱれ)イナズマ! 母ちゃんからは『女の子らしくない』って言われてるけど、俺ぁオヤジが付けてくれたイナズマって名前が気に入ってンだ。好きなミュージシャンはモンパチ、ハイローズ、ウルフルズ。素晴らしき90年代~2000年代Jロック」
「はえ~」と言いながら、僕は何のことだかよく分からない。バンド名だけは、何となく聞いたことがあるような、ないような……? 失礼な話かもしれないけど、僕はリアル方面のミュージシャンにはまったく興味がない。聴くのは、それこそ『青子緑子』のようなネット配信のボカロ・ボイロ曲や、その『歌ってみた』がメイン。
「ふっる!」とアオ先輩が笑う。先輩が口開けて笑ってるの初めて見たな。「さすがはお父さん譲りの、いにしえのバンドマン! 平成か」
「一部、昭和も混じっとるで~」とシロ先輩。
なるほど、イナズマちゃん先輩はお父さんっ子なんだな? こんなにも可愛らしい娘さんが夢中になって話に付き合ってくれるんだとしたら、さぞかしお父さん冥利に尽きるだろう。
イナズマちゃん先輩は全体的に小さくて、なのに身振り手振りが大げさで、何というか小動物が全力で生きている感がある。先輩だけど、年下を見ているような、守ってあげたくなるような気持ちになるんだ。
「あぁん⁉ なぁにが古いだ! 一周回って新しいだルルォ⁉」
「一周じゃ済まないって」アオ先輩が指を折りながら、「90年代、2000年代、2010年代、2020年代。ほら、四周回ってる」
「イナズマちゃんは、お父さんからベースと音楽魂を受け継いだからなぁ~」
「ということは、そのベース」
「おう! オヤジのをパク――借りてるんだぜ!」
今、パクったって言いかけなかった⁉
「最後はウチやね~。ウチは白玉シロ。気軽にシロちゃんって呼んでもろて」
「「シラコ」」
「……よっぽど死にたいみたいやなぁ?」
「「ひえっ⁉」」
「モヤシちゃんはこんな悪い子になったらあかんで~」
「アッハイ」僕はシロ先輩に頭を撫でられる。
「ウチの好きなミュージシャンは、ショパンやな~」
「ショパン」これはさすがに、僕でも知っている。超有名なピアニスト、作曲家だ。確か、数百年前か百数十年前に、オーストリアだったかポーランドだったかで生まれた人。
「ショパンはな、めぇっちゃ性格悪いねん。ほら、ウチって体とか手ぇとかでかいやろ?」
でかい。一八〇センチ以上はあると思う。ついでに言うと、胸もでかい。
「あ」アオ先輩がにやりと笑う。「モヤシちゃん今、エッチなこと考えたでしょ」
「か、カンガエテマセン!」
「イケナイんだぁ」
「ショパンはな」酔ってるのか、いつもこんな感じなのか、シロ先輩が構わず話し続ける。「一オクターブ越えを要求する曲ばっか書いてんねん。幻想即興曲、別れの曲……」
シロ先輩がぱっと両手を開いてみせる。うん、でかい。『一オクターブ』というのは確か、下の『ド』から上の『ド』までのことだったっけ。二つの『ド』を同時に弾くには、相応の大きさの手が必要になる。例えばイナズマちゃん先輩みたいに小さな手だと届かないだろうと思う。っていうかイナズマちゃん先輩の手、ちっちゃ! 小学生か!
「んあ? なぁにを人の手ぇジロジロ見てやがる?」
「ヒエッ、見テマセン!」
「ベースはな、ピアノやギターほど手の大きさがクリティカルじゃねぇンだよ。そりゃあもう一周り、二周り小さなベースの方が俺様にゃ合ってるのかもしれねぇけど、買う金ねーしよ」
「バイトすればいいのにね」とアオ先輩。
「オヤジと母ちゃんから禁止されてンだよ」
「イナズマちゃんとこは過保護やからなぁ~。何の話やったっけ。そう、ショパンや。ショパンは自分の手がでかいんが自慢やったんか、やたらとオクターブ越えの曲ばっか書いたもんやから、世の中のピアニスト――特に女性ピアニストからめぇっちゃ嫌われてんねん」
「そうなんですか?」
「そう。ガチでピアニスト目指す女性って」シロ先輩が僕の手を掴む。もう片方の手をハサミに見立てて、「この、指の間の水かきの名残りを手術で切断してまで指伸ばすんやで~?」
「「「……ヒッ」」」
「ボク、ボーカルで良かった……」
「俺もベースで良かったぜ」
「僕もです。ドラムは指の長さとかぜんぜん関係ないですから」
「ん、そうなのか?」とイナズマちゃん先輩。
「アッハイ。それに、実を言うと腕力も要りません」
「「えっ⁉」」とイナズマちゃん先輩とシロ先輩。
一方のアオ先輩は静かに微笑んでいる。どうやら彼女はドラムの演奏スキルも高いっぽい。
「ドラムは重力と遠心力とリムで叩くので。というか、下手に力むとリズムがズレます」
「その点」とアオ先輩。「キミのドラムは本当に素晴らしいよ、モヤシちゃん。是非とも細マッチョなままのキミでいてほしい」
「じゃあ、ドラマーがみんなムキムキなのは何でなンだ?」
「あー、あれはポーズです」
「「えっ⁉」」
「だってほら、筋肉質なほうがカッコイイし、いかにも大きな音出せそうじゃないですか」
「「た、確かに……」」
そう。ドラマーは、筋肉ムキムキなほうがカッコイイ。そして、前のバンドのバンマス・夏野太陽もまた、そういう世間一般のドラマー像を僕に求めてくる奴だった。
「キミは」アオ先輩が僕の腹筋を撫でさする。「そのままでいいんだ。今日の演奏も本当に素晴らしかった。リズムキープ力も本当に素晴らしかったけど、それ以外もまた、素晴らしい。例えばスネアドラムだ」
『スネア』とは、いわゆる小太鼓のこと。8ビートの『ツ・ツ・チャ・ツ・ツ・ツ・チャ・ツ』の『チャ』に当たる、ドラムスの根幹を成す最重要の太鼓だ。ちなみに、本来は『ポーン』という音しか出ないはずのスネアが『チャッ』『ジャッ』『ダッ』という音になるのは、スネアの裏面に『スナッピー』と呼ばれる金属製の網が張られているからだ。
「AメロBメロと、スネアの音量がそれほど必要ない場面ではノーマルショットで控えめに叩きつつ、サビに入った途端、鮮烈なオープンリムショット! カーンッ、というあの音は最っ高に胸に響いたよ!」
胸を撫でさするアオ先輩。お酒も入っていて、何というかものすごくエロい……って、ダメだダメだダメだ。アオ先輩は敬愛する青子緑子先生なんだ。性的な目で見るべからず!
「それも百発百中だってんだから恐れ入るよ。リズムといいショットの角度といい、本当に、機械のように精密な手足だ」
『リム』というのはスネアドラムの革を抑えている枠部分のこと。そして『リムショット』とは、革の中心をスティックの先端で叩くのと同時にスティックの中ごろでリムを叩くこと。つまり一本のスティックによる一振りで、異なる二ヵ所を同時に叩くというそれなりの高等テクニック。僕もドラムを始めてからの数年はなかなか安定しなかったけど、ここ最近は百発百中で出せるようになった。
「それにしても」アオ先輩が僕にもたれかかってきて、「ものすごく早い貧乏ゆすりだね」
言われて気付いたけど、テンパった僕は、いつの間にか貧乏ゆすりをしてしまっていた。
「あっ、すみません――」慌てて止める。この癖は、前のバンドで夏野にさんざん『キモい』『ウザい』『止めろ』と言われてきたんだ。
「え、なんで止めちゃうの?」
「なんでって……キモいでしょう?」
「キモくないよ。可愛いよ」アオ先輩が僕の太ももを撫でさする。「良い脚だ。それに、なんて柔らかな足首。優れたドラマーは、ハイハットを踏んだ左足をゆすることでリズムをキープする。ゴッド先輩も貧乏ゆすりが早かった。けどキミはゴッド先輩以上だ。いったい、何bpmの曲まで叩けるのかな?」
「今日の曲は216bpmでしたね」
「「「えっ⁉」」」仰天する三人の先輩方。
「キミ、メトロノーム使ってなかったよね? どうして216bpmだと分かったんだい?」
「え、聴いたらだいたい分かるものじゃないですか? リズムキープこそがドラムの最大の仕事なんですから。でも」僕はうつむく。「僕にはそれしかできなくて。……夏野からは『寒い』『独創性のない』『奴隷みたいな』ドラムだって言われ続けてきて」
「「「…………」」」
ヤバい。空気を暗くしてしまった!
「っていうか」僕は慌てて話題を変える。「アオ先輩、ドラムにお詳しいんですね!」
「あはは」アオ先輩も話題転換に乗ってくれる。「そりゃあ、作曲家だからね。キミが望むなら」アオ先輩が僕の手を取る。そのままアオ先輩の胸に押し当てて、「各種楽器や作詞作曲回りのことも教えてあげるよ。もちろん、それ以上のことも」
「アオ! こらこらこら」シロ先輩が、僕からアオ先輩を引き剥がす。
「冗談だよ」真顔で笑うアオ先輩。「そもそもボクは、バンド内恋愛を禁止しているからね」
「エッアッソッ」アオ先輩の胸の柔らかさが忘れられない僕はキョドり気味に、「ソウナンデスネ。っていうかガールズバンドだったのに恋愛禁止?」
「あるらしいよ。百合営業してたらガチ恋しちゃう系」
「へ、へぇ」でも確かに、シロ先輩とイナズマちゃん先輩の間には、百合の覇道を感じる。
「何の話だったっけ。あぁそう、シロが水かき切断する話だったね」
「ウチは切らへんって。ピアニスト目指しとるわけでもないし。ピアノも別に好きやないし」
「えっそうなんですか?」
「家業がなぁ」
「この子、ピアノメーカーの娘なんだよ。超お金持ち」
「傾きかけやけどな~」
「でもレクサス持ってるじゃない。成人と同時に親に買ってもらったって」
「あれは税金対策やで~」
いつの間にか自己紹介が終わり、話題がクルクル回転し始める。三人ともよく飲む。アオ先輩は飲めば飲むほどスキンシップが過激になってくる。今もしな垂れかかってきている。
「飲め飲めぇ!」騒がしいのはイナズマちゃん先輩だ。「俺のウーロン茶が飲めねぇのか⁉」
「と、トイレ」たまらず僕は避難する。ふー、やっぱり陽キャなノリは体力を消耗する。
♪ ♪ ♪
「さて」イナズマが酔っぱらいながらも理性を残した目で、「やったなアオ。あのモヤシ、お前にぞっこんラブだぜ」
「ぞっこんラブて。平成か」
「昭和やろ~」
「あいつはお前に惚れてるね。少なくとも『青子緑子』には惚れてる。それに、声にも」
「そうかな」
「気付いてねぇのか? あいつ、お前が喋るとうっとりしてるぜ」
「それは嬉しいね。色仕掛けでバンドに縛りつけるのもアリかな?」
「そっ、それはぜぇったい止めといたほうがええって~。そんなことしたら、赤ちゃんが真っ赤っかになってまう」
「私が、何?」
「「「げっ」」」
♪ ♪ ♪
「おまっ、何なンだその格好⁉ イメチェンか⁉」
「地雷系やんか~」
「しーっ、しーーーーっ! やっちゃんが来ちゃうでしょ!」
「似合ってるよ、赤ちゃん」
トイレから戻ると、何だか空気が変わっていた。というか、人が増えていた。
ゴスゴスロリロリ、いわゆる『地雷系』ファッションに身を包んだ超絶美少女が、僕を見つめながら目を見開いている。リストカットの傷でも隠しているのか、少女は両の手首に包帯を巻いている。少女が座る席の横には、ギターケース。つまりこの人が、ギターパートの『赤ちゃん』先輩なのだろうか。
ツインテールの黒髪、マスカラモリモリの目、泣きはらしたあとのような涙袋の赤いシャドウ。いや、泣いてる。実際に、目に涙を溜めている! 赤ちゃん先輩がガタッと席を立って、
「会いたかったぁ~~~~! 会いたかったよ、やっちゃん!」
僕の胸に飛び込んできた! ……ど、どどどどどういうこと⁉
「ドチラサマデ⁉」こんな美人の知り合いなんていない。いたら、モテたくて必死に夏野のバンドにしがみついたりなんてしなかった。
「元カノのくれなゐです!」
「元カノ⁉」確かに、小学生時代の僕には彼女がいたと記憶している。でもこんな感じの子だったっけ? なにしろ十年近く昔のことで、記憶が曖昧だ。「ひ、人違いでは……?」
「そんな、将来を誓い合ったのに……うううう!」手首の包帯をぎゅっと握るくれなゐ先輩。
「あーあーあー!」シロ先輩がくれなゐ先輩を抱きしめて、「ほら、飲もう! な⁉」
くれなゐ先輩は早々に酔いつぶれてしまった。
「んーとまぁ、変な子だけど悪い子じゃないんだ」とアオ先輩。「この子は灯(ともしび)くれなゐ。ウチのギター兼サブドラマー」
「エッドラマー⁉」
「あくまでサブだけどね。ギターはバツグンに上手いけど、ドラムの腕はキミほどじゃない。さて、これからの話をしよう。ボクらの最終目標は世界征服」
「えっ⁉」
「モヤシ、コイツの話は半分だけ聞いておいたらいいぜ」
さっきも言われたな、それ。
「何さ。夢は大きく持たなきゃ」
「でも、青子緑子の力があれば、あながち妄想とも言いきれへんのよなぁ。ニコ動とYouTubeの常連ランカーさん」
「当座のマイルストーンは、十一月の学祭ライブで大成功することだよ」運ばれてきたホッケの目玉を箸で突き刺すアオ先輩。それはマイルストーンではなく目玉です。「そのための小マイルストーンが、夏ライブへの出場。露出の多いバンドの方が、学祭も盛り上がるからね」
「じゃあ今から練習して、夏ライブに出るってことですか?」
「簡単に出られると思うかい?」
「エッドウイウ」
「単純な話さ。バンド数がものすごいことになっているから、オーディションで出演枠を奪い合うことになるんだ。我らが軽音学部に存在するバンド数は、百を超える」
「ひゃくぅ⁉」
「二回生以上はほぼ全員、自分のバンドを持ってるからね」
「えっじゃあイナズマちゃん先輩とシロ先輩も?」
「俺様のバンドは『あっぱれ800』! モンパチのコピーバンドだな」
「ウチはオシャレ系ジャズロックのコピバン『白玉ぜんざい』のバンマスをしとるで~。椎名林檎とかEGO-WRAPPIN’とか」
「モヤシちゃんも」とアオ先輩。「二回生に上がったら、自分のバンドを持つといいよ」
「一回生は持たないんですか?」
「持つ子もいるけど、ライブ出場を狙うガチ勢は持たないかな。学年ごとの出場枠なんて存在しないバトルロイヤルな世界だから、一回生が中心のバンドがオーディションに受かる例は稀なんだ。だから皆、二回生、三回生が主催するバンドに拾い上げてもらうのを期待してる」
「えっでも『キング・ホワイト・ストーンズ』は去年からやってたんですよね?」
「ボクは天才だからね」
無言で頷くイナズマちゃん先輩とシロ先輩。
「一回生にして夏ライブに出場できた、唯一のバンドさ。でも、そのボクをもってしても、学祭ライブには出られなかった。厳しい戦いになる。期待してるよ、モヤシちゃん」
これは、責任重大だ。「わ、分かりました!」
「まとめようか」アオ先輩がノートPCを取り出した。
イナズマちゃん先輩とシロ先輩が、慣れた様子で皿を端に寄せる。アオ先輩が開いたのはExcelの新しいファイル。真っ白なシートの中に、先輩が歴戦のピアニストのような指さばきで入力していく。ブラインドタッチなのはもちろん、『怒涛』という言葉がぴったり当てはまるような勢いだ。ものの数分で、長大なスケジュール表が出来上がってしまった。
「これはWBS――ワーク・ブレイクダウン・ストラクチャといってね。縦軸にToDoと課題を洗い出し、横軸をガントチャート――スケジュールにしたものだよ。チームで仕事を分担するときに便利なのさ」
大目標:学祭中庭ライブ出場(十一月五日)
中目標:夏ライブ出場(八月一日)
小目標:夏ライブオーディション合格
・オーデ動画撮影・提出(担当:全員、期日:六月三十日)
・新曲作成(担当:アオ、期日:五月中旬)
・モヤシちゃんの最高bpm確認(担当:アオ、モヤシ、期日:ASAP)
・作詞作曲(担当:アオ、期日:四月下旬)
・各パート編曲(担当:全員、期日:五月上旬)
・譜面起こし(担当:アオ、期日:五月中旬)
・新曲練習
・各自練習(担当:全員、期日:五月下旬)
・全体練習(担当:全員、期日:六月中旬)
・衣装準備(担当:シロ、期日:六月下旬)
・…………
・…………
・…………
僕は感動する。やるべきこと、やるべき人、達成すべき時期が一目瞭然だ。『何を達成するためには何と何をする必要があって、それを達成するためにはさらに何と何を――』というふうに、大きなタスクが小さなタスクに細分化されて、それぞれの担当と期日も明記されている。
「すごいすごいすごい! すごくバンマスっぽいです!」
「あはは。こう見えてもバンマスだからね」
夏野の場合は、こうじゃなかった。『熱くいこうぜ!』とか『気合だ気合!』みたいな威勢の良いことばかり言って、具体的な指示なんて出てきた試しがなかった。しかも、夏野がその場のノリと思いつきで抽象的かつ意味不明な指示を出すものだから、バンドはいつも迷走していた。苦労人の駿河くんが、胃を痛めていたっけ。
それにしても、こうして見てみると、やることがたくさんあるな。今日は四月四日。六月末なんてまだまだ先だと思っていたけど、こうやって線を引いてみると、意外なほどタイトなスケジュールであることが分かる。新曲完成から各自練習に半ヶ月。全体練習に一ヶ月弱を掛けたら、もうオーディション動画提出期限の二週間前になる。アオ先輩なんてメチャクチャ大変で、今日から三週間以内に新曲を書き上げなきゃならない。
「ん? この、僕の最高bpm確認って何ですか?」
「言葉のとおり、モヤシちゃんが最速で何bpmを叩けるかの確認だよ。それによって作れる曲の幅が変わるだろう?」
そりゃそうだ。
「で、実際のところ、どうなんだい?」
「ご、ごめんなさい。そこまで厳密に調べたことがなくて。でも、この前バズってた新曲『青と緑のハザマで』は叩けましたよ。あの曲は確か――」
「「184bpm」」アオ先輩と僕の声が重なった。
思い返せば、今日の課題曲は『青と緑のハザマで』のリミックス版だったんだ。道理で、聴き覚えがあるはずだよ。
「さすがだ。これも、聴いただけで分かったのかい?」
「え? はい」ドラムスなら、聴けば分かると思うけど。
「すごいねぇ! 今日のドラムパートリーダー氏とサブリーダー氏も白目を剥いていたけれど、今の話を聞いたら、世の中のドラマーはみんな卒倒したくなるだろうね」
「え、んんん……?」
イナズマちゃん先輩とシロ先輩も、うんうんと頷いている。僕、何か変なこと言ったかな?
「こっちの話さ。他に疑問点はあるかい?」
「あ、じゃあ。学園祭って確か中庭以外でも演奏があるって話だったと思うんですけど、どうして中庭限定なんですか?」
「少年、キミは■■大学の学祭に参加したことはないのかい?」
「ごめんなさい、ないです」
「謝る必要はないさ。ここの学祭は毎年、大トリにプロミュージシャンを呼ぶんだけど、それを目当てに、それはもうたくさんの人が集まるんだ。通常、学生のライブなんて集客力はたかが知れてる。座席を十数席用意したとして、埋まらない日の方が多いくらいさ」
それは、知っている。プロでもない僕らの演奏のためにチケットを買ってくれるような殊勝な人なんて、身内以外にはいない。たとえ無料で演奏したって、忙しい中でわざわざ足を止めて、椅子に座って演奏を聴いてくれるような人なんて滅多にいない。
ライブというヤツは、赤字でやるのが大前提。高いライブハウスを借りて、家族や友人にチケットを売りさばき、それでも足らないから自爆営業して、それでもなおお金が足りないから、『対バン』という形で複数バンドでお金を出し合って共演するものなんだ。学生バンドが身内以外に曲を聴いてもらえる機会というのは本当に、本当に少ない。皆無と言ってもいい。
「だけど、学祭中庭ライブは違う! キミも既に何度か歩いただろう? あの、芝生が敷き詰められた広大な中庭を! 学祭中庭ライブ当日は、あそこに隙間もないほど人が集まるんだ。数百人? いや、もっとかな? それだけの人数に生演奏を聴かせられる機会というのは、大人気プロミュージシャンにでもならない限り、二度と訪れないだろうね」
「おおおおお!」理解した。そして了解した。目標は、十一月の学祭中庭ライブだ!
「だから、ね」アオ先輩が僕の手をぎゅっと握る。「キミの力が必要なんだよ、モヤシちゃん。ボクの、ハイテンポでルーディメンツマシマシでドラマー泣かせと言われるビートを難なく叩ききったキミの力が。1bpmのズレすら生まずに叩ききった、メトロノームも裸足で逃げ出すほどのリズムキープ力が! キミを手に入れるためなら、ボクは何だってするよ」
そう言ってまた、アオ先輩が僕の手を胸元に引き寄せようとする。
「あわ、あわわわわ」アオ先輩のバストの柔らかさを思い出した僕は、気を紛らわせようと、そばにあるコップをあおった。「うっ⁉ コレ、中身――」
途端、目が回った。そこから先の記憶はない。