一話 謎の負傷者たち
様々な色が渦巻く空の下。紫色の月が照らす森の中で、炎のように真赤な双眸が動いていた。その目が見つめるのは、目の前にいる巨大な鬣犬である。
巨大な鬣犬が顔を上げ、双眸を見つめた。
鬣犬は遠吠えをする。すると、その影から大量の兎が飛び出した。その兎は飢えた獣のような紫色の目をし、痩せ細っている。
双眸が動いた。それと同時に、兎たちが大量に殺されていく。
薄暗い闇の中で、青い縞模様を持つ黒い虎が兎を噛み殺していた。鬣犬は虎に襲いかかろうと飛び出す。
その鬣犬の首から紫色の血が吹き出した。
その首元では、炎のように真赤な双眸の少年が強く噛み付いていた。
鬣犬は痙攣をして倒れる。
その瞬間、月は消え、星空が頭上に広がった。
森の中で、一人の梟が飛び立った。その梟は炎のように赤い目をし、風切羽の一部が深い青色に染まっていた。
梟の下では赤い葉に覆われた木の上に、漆喰でできた家や店が立ち並んでいた。木々は全て太い枝同士が絡まっており、道のように隣同士の木を繋いでいる。その上で人々は声を響かせていた。
梟はそんな町を通過し、外れにある一つの建物を見た。その建物もやはり木の上にある。
漆喰でできた壁と瓦屋根が特徴的な、大きな建物だった。梟は迷わず突上戸(常に開けられた窓)から中に入る。
建物の中には木でできた廊下が広がっていた。梟はその廊下を飛び、一つの部屋の中に入る。
畳が広がる部屋。平たい卓が一つ中央に置かれ、奥には梟が描かれた掛け軸がかけられている。
その掛け軸の前で、大の字になって寝ている青年がいた。何とも気持ちよさそうな寝顔である。その緑色の髪は既に寝癖だらけだ。その横では馬ほどの蛙が伏せの姿勢で寝ている。
梟は、ほう、と大きく鳴いた。
すると青年は飛び起きる。青年は薄い灰色の目で梟を見た。梟は青年に干し肉の入った袋を渡した。青年はそこから干し肉を取り出すと、寝ぼけ眼を直さぬまま、梟を見た。
「あれ……? 朝か?」
梟は頷き、青年の手から干し肉を奪った。
「残念。今は昼時です」
部屋に入ってきた女に言われ、青年は顔を上げる。
その女は美しい容姿をしていた。
白銀の髪は滑らかな青色の光沢を放ち、その目は清水のように透き通った青色をしていた。目元は涼しく、顔の形は整えられており、肌は程よい白みを持っていた。背丈もそれなりに高い。
その美しさは、見る人全てを惹きつけ、そして膝をつかせるような堂々とした美しさであり、そこに可愛さや幼さなどは一切含まれていない。
武士らしい堂々とした美しさである。
女は青年を見ると、呆れたように笑う。
「嘘ついちゃ駄目だぜ、ツバサ」
ツバサ、と呼ばれた梟は不満そうに青年を見た。青年は軽く伸びをすると、その場に寝転がる。
女に比べると、青年は随分と親しみのある雰囲気をしていた。しかし、やはりどこかたくましく、鋭さも含まれている。
青年は薄く笑うと、寝転んだまま女を見た。
「ソウヤ、アメ。仕事があります」
だろうな、とソウヤは口元をさらに上に向ける。アメ、と呼ばれて蛙が女を見つめた。ソウヤはその濃い緑色の髪の毛を掻く。
「内容は?」
「不法入国者と槍の捕縛です。……不法入国者の場合は、保護、と言った方が正しいでしょうか」
勘弁してくれよ、とソウヤは溢した。
「捕縛と保護はだいぶ違いますよ。どっちやればいいんですか。まず、不法入国者なんて捕縛一択でしょう」
女は頷いた。
「捕縛扱いで大丈夫です。ただ……最近、不法入国者が負傷する事故が相次いでいまして。中には、腕を切り落とさなければならなくなった方もいるとか」
おおこわっ、とソウヤはわざとらしく言った。ハクマは声の主を見る。身震いする真似をしているのが、さらに胡散臭さを際立たせているな――と女はソウヤを見ながら思った。
ソウヤはアメを撫でる。
「そんな事故からも不法入国者を守るため、早急に全員捕縛をお願いします、ということで保護なんです。国はちゃんと捕縛する意向らしいですが」
「他の隊に任せないんですか?」
女はソウヤを見ると、首を横に振る。
「現在、どの隊も闇薬の大規模摘発によって手が空いていません」
ソウヤは立ち上がると、腕に梟が描かれた腕章を付ける。
「で、俺たち一番隊に押し付けられたってことね」
ソウヤは息を吐く。
女は少し考えると、口を開いた。その青い目は終始ソウヤの反応を窺っているようだ。
「では聞きますけど。どちらが良いですか? スオウの報告書と不法入国者の捕縛」
「後者って言って欲しいんでしょうが、残念。そりゃ前者ですよ」
ソウヤは呆れたようにハクマを見た。
「……つーか、アイツまたやらかしたのかよ。次は何です? 喧嘩?」
「喧嘩です。それも、先輩に頬に右拳を叩きつけたようですよ」
殴りつけたの間違いだろ、とソウヤは心の中で呟く。
「先輩も頼りねーな。柔術やってんだろ……果たしてスオウに何言ったのかね」
ソウヤは言いながら巻物をハクマから受け取る。巻物には不法入国者の負傷について書かれていた。
不法入国者の負傷者は既に二十名に及んでいるらしい。全て爪のようなもので引っ掻かれたような――そんな傷が多かった。しかし、傷跡を見る限り、爪とはいえど人の爪よりも遥かに大きく、鋭い。また、骨が折れている傷もあった。
そんな傷を付けられた者のうち、六名がどこかしらの部位を切断したという。
ソウヤは眉を顰める。
人が作った傷ではないのは明白だった。
死人が出ていないのは不幸中の幸いであるが、これからどうなるかは分からない。
「……結構事態は深刻ですね。思ってたよりも負傷者多いぜ、これ」
ハクマは頷いた。
「しかも……人の作った傷じゃねえな。熊とか虎とか、大型の獣にやられたやつだ。ほんとに、よく今まで死人でなかったな」
「えぇ。……ただの不法入国者に獣がここまでしますかね」
ハクマは揶揄うような口調でソウヤに言う。ソウヤは口を閉ざし、ハクマを見た。
「しませんね。獣は自分か兄弟に害が及びそうな時とか、禍津物が絡む事態でもねえ限りは、絶対に他人を傷つけたりしない」
ハクマは頷いた。
稀に、獣は人と兄弟の契りを結ぶことがある。彼らは本能の言うままに兄弟を探すのである。
兄弟となった獣と人は一心同体の関係になる。その関係は強く、どちらか一方が死ねば、近いうちに残った方も必ず死ぬほどだった。要するに、共依存という関係になるのである。
そのため獣も人も、兄弟に危害を加える者に対しては、驚くほど残酷な一面を見せる。
ソウヤとアメも兄弟の関係であり、ハクマにも兄弟がいる。普段は隠形という形で、それぞれの兄弟の影に潜んでいるが。
「まさか、兄弟か?」
「可能性はありますよ。殺していない、というところに人の事情が絡んでいる――そんな気がしませんか? 人殺しが御法度であることを、おそらくこの獣は知っています」
傷害も御法度だけどな、とソウヤは呟く。
「そうなんですが。法の扱いでは傷害の方が罪は軽いでしょう? 何だか、この一件は人をなるべく殺さないようにしている、と捉えた方が辻褄が合うみたいです」
ソウヤは開かれた巻物を見る。
そこでようやく、ハクマの目が子供のように輝いていることに気がついた。ソウヤは灰色の目をハクマに向ける。
「ハクマさん。何か言いたげですね。……まさか、この件を起こした獣とその兄弟をここに連れてこい、とか言いませんよね?」
「いいえ。言います。あわよくばここに入ってもらいます」
ソウヤはハクマを見る。絶対に入団させたい、という欲望がどうしても透けて見えた。
ソウヤは息を吐いた。こうなったハクマは誰にも止められない。
「君が行ってくれると助かります」
ソウヤは息を吐く。
つい先日までソウヤたちは仕事をしていた。破落戸たちの一斉捕縛に向けての情報収集である。一斉捕縛は三日前に終わり、ソウヤとアメはようやくそこで二十日ぶりの休みを手に入れたのだった。
「まぁ、三日もやることなくて退屈ではありましたけどね。……アンタ、その獣の兄弟が獣と同程度の力があるって事を分かって言ってます?」
ソウヤは言いながら立ち上がる。アメはソウヤの横に立つと、げこりと鳴いた。
「えぇ、もちろん。では、よろしくお願いしますね。ツバサも行きますか?」
ツバサは頷いた。すると、部屋に一人の男が入ってくる。男の腕には、一人の少年が俵担ぎにされていた。
「スオウも連れてってください! こいつ、また問題起こしやがった!」
「分かりましたよ、トモツネ殿」
ソウヤは少年を見ると、薄く笑って頷いた。