序章
朝露に濡れた森の中で、一人の子虎が生まれた。
その子虎は母親の白い毛皮とは正反対の黒い毛皮を纏っている。青い縞模様は母親譲りであった。炎を閉じ込めたような赤い目は森を写していた。
他の兄弟たちに紛れることなく、目立つ黒い毛皮。しかし、獣の中には「差別」という言葉はない。
白い子虎に混じってころころと駆け回る黒い子虎は、この世のものとは思えぬ美しさと、子犬のような可愛さを同時に持ち合わせていた。
そんな子虎は乳離れしてすぐに、得体の知れぬものに気を取られるようになった。
まだ形にならないそれに対しての興味は、日を追うごとに強くなっていった。
母親はそんな子虎を見ると、背中を前足で優しく叩いた。兄弟たちも力強い目で彼を見ている。
黒い子虎は頷き、走り出した。
その赤い目は得体の知れない何かを写していた。
数日後、黒い子虎は一つの村に辿り着いた。木の上に立つ家に押し入り、子虎は寝台の下に隠れる。しばらくして、二つの人影が部屋に入ってきた。
「俺としてはここに帰ってこないでほしかった」
低い声が聞こえ、黒い子虎は息を潜める。今すぐにでも飛び出してしまいたかったが、ぐっと堪えた。
「お前みたいなのがこの村に住むなんて、あってはならんことだと思っている」
はい、と消えそうな声が聞こえ、子虎は注意深く外の様子を見た。
「村の外に捨てたら守護団がうるさい。だからこの家に置いておくだけだ」
しばらくして低い声が消え、襖が閉まる音がした。
「シャナ」
囁くような声が聞こえ、黒い子虎は勢いよく寝台の下から出た。
そこにいたのは、青い髪と炎のように赤い目を持つ少年であった。その青い髪は深い色をしており、まるで深海のようである。癖のあるその髪をいじりながら、少年は子虎を見た。
その腕はあざだらけで、見ていてどこか痛々しく、儚い印象がある。
黒い子虎は心配そうに少年を見た。
少年は淡く微笑む。
「俺の名前はクミツっていうんだ。シャナって名前だよな、お前」
黒い子虎は嬉しそうに頷く。
「なぁ、シャナ。俺、こんななりだけど大丈夫か?」
シャナは首を傾げると口を開け、目を細める。クミツはそっかとだけ言うと、シャナを抱き上げた。
「後で文句言うなよ。あと、あんまりこの村で姿を見せないでくれ」
クミツはシャナを抱き上げたまま、目を細めた。
「この村では俺は罪人なんだ。一緒にいるお前まで罪人扱いされるの、嫌だからな」
クミツは声を小さくする。
「罪人って痛いこととかたくさんされる。……そんなの嫌だろ?」
シャナは首を傾げた。
「でも、これからよろしくな。シャナは俺の唯一の兄弟だから」
クミツは満面の笑みを見せると、シャナを優しく抱きしめた。シャナは頬擦りをする。
シャナの中で得体の知れない何かが形となった気がした。クミツという少年の形に。
黒い獣はこうして兄弟に出会った。