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地の巻

一条(いちじょう)(りん)は、気配を殺すのが得意だ。
それは特技というより、日常生活で身についた習慣だった。

人と関わりたくない……

自分を見ないで欲しい……

生来(せいらい)の、超がつく程の人見知り体質から生まれたものだ。

教室では誰とも喋らない──

昼食は一人でとる──

廊下は(すみ)を歩く──

中学時代からのルールだった。

ただそんな凛にも、唯一気になる存在がいた。

引き締まった体躯(たいく)──

精悍(せいかん)な顔立ち──

力強いオーラと屈託の無い笑顔──

自分とは、まるで正反対の人物だった。

凛とその人物との出会いは、入学式にまで(さかのぼ)る。
昼休み、入学したての凛は売店の場所が分からず校内を徘徊していた。
当然、誰かに聞けるはずもない。

「そんな事も知らないの」

そんな風に馬鹿にされるのではないか。

「一人で探せば」

そんな風に冷たく(あし)らわれるのではないか。

怖い。

とにかく、人と喋るのが怖かった。

だから、なんとか自力で探そうと躍起になっていた。

小走りで歩いていると、ふいに誰かとぶつかった。
不覚にも、下を向いているため気付かなかったのだ。

「ああ、ごめん」

その人物はすぐに謝った。
反射的に相手の顔を見る。
射るような眼光が飛び込んできた。
思わず目をつぶる凛。
その際、手に持っていた財布が落ち、小銭が床に散乱した。

「アチャー、やっちまった」

ひょうきんな声が耳に響く。
恐る恐る目を向けると、その人物はしゃがんで小銭を拾い集めていた。
それを見て、凛も慌ててしゃがみこむ。

「しまった!こんなとこに」

見るとその人物は、自動販売機の下を覗き込んでいる。

「あの……もう……いいですから……」

凛は震える声で言った。

「ちょっと待ってて」

相手はそう言うと、袖を(まく)り上げた。
そのまま販売機を掴み、軽々と横にずらす。
まさかの行動に、凛は驚きで声も出なかった。

「おっ、あった、あった」

嬉しそうな声で、その人物は床の十円玉を拾い上げた。

「はいよ。ホント、ごめんな」

そう言って差し出すと、照れ臭そうに頭を掻いた。
おかげで、手の汚れが鼻に付いてしまう。
その顔を見て、凛は思わずクスッと噴き出してしまった。

相手も笑顔になる。

人懐っこい、日の光のような笑顔だ。

凛の中に、何かしら温かいものが流れ込んできた。

その人物の名は、神武(じんむ)時空(とき)と言った。

三年生で剣道部の主将。
学年の間では人気も高く、さして調べる手間もかからなかった。

その日から凛は、校内で彼女を見かけるのが楽しみになった。
学校を楽しく感じるなど、生まれて初めての事だ。

「もう一度、お喋りしたいな」

自宅のベッドで愛猫を膝に乗せながら、凛は呟いた。

「みょ〜」

猫が返事をする。

名前をミョウという。

凛が小学生の時、捨てられていたのを拾って育てたのだ。
名前は、その変な鳴き声から付けられた。

「ねえ、どうしたらいいと思う。ミョウ」

「みょ〜」

「え、無理だよ。そんな事出来ないよ」

「みょ〜」

「そりゃ、私だってもう少し勇気があれば……」

「みょ〜」

「きっかけか……う〜ん……何かないかな」

不思議なことに、凛はミョウの言葉が理解出来た。
最初はびっくりしたが、今ではもう慣れてしまった。  

勿論、なぜかは分からない。

だが友達のいない彼女にとって、ミョウは唯一の話し相手だった。

「明日も会えるかな」

自分を撫でながらため息をつく凛を、ミョウは紫紺(しこん)の瞳でじっと見つめた。


*********


その【機会】はすぐにやってきた。

廊下で会話する時空を見かけたのだ。

相手は、鳥肌が立つような美女だった。

名前は確か……

伊邪那美(いざなみ)……(ほのか)さん……?

一年生の間でも、かなり噂になっている転入生だ。
その美貌と(かも)し出す雰囲気は、生徒のみならず教師ですら魅了されているらしい。
お団子ヘアに丸眼鏡の自分など、近寄ることすら出来ない存在である。

その伊邪那美さんと時空さんが、何か喋っている。
しかし時空さんの表情は、笑顔ではなく強張(こわば)っていた。

あんな顔……初めて見た。

ひどく気になった。

だからつい、教室の陰から聴き耳を立ててしまった。

「……前と同じ場所でね」

会話の断片が、耳に入る。

どこかで会う約束かしら?

デート……かな……

一瞬胸が詰まったが、すぐにそうでは無いと気付いた。
時空の顔には、嬉しさの欠片(かけら)も無かったからだ。
それどころか、苦悶の表情さえ浮かべいる。

どうしたんだろう……?

凛は、嫌な胸騒ぎを覚えた。

二人が会う事に対し、言い知れぬ不安感がつのる。

時空さんの身に、何か起こるのでは……

そんな予感が、脳裏を()ぎる。

それは理屈では無く、直感のようなものだった。

なんとかしないと……

凛は震える手を握りしめ、必死で考えた。

時空さんを……助けないと!

次第に、その思いは(ふく)れ上がっていった。
使命感にも似た感情が、羞恥心と言う壁を打ち破る。
やがて凛は、何か決意したように小さく頷いた。

その眼差しに、いつもの曇りは無かった。

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