気付く
メリー・トレンドア伯爵夫人は、唐突に気付いてしまった。
(私、今ちっとも幸せじゃない)
「ちょっと、聞いているの? メリーさん」
「聞いてませんでした」
午後のお茶の時間。
夫の母と向かい合うガゼボで、気持ちの良い春風を受けながら、メリーは唐突に自分のおかれた理不尽な状況に気付いてしまったのである。
(何で私が、お義母さまの話を落としなく聞いていなきゃいけないわけ?)
義母を前にして、メリー・トレンドア伯爵夫人はそう思ってしまったのだ。
(嫁入り前はコンサバティ侯爵家の娘であった自分を大事にするならともかく、なに我慢させてんの、このオバサン)
コンサバティ侯爵家は、トレンドア伯爵家よりもお金もあるし、地位も高い。
実家が援助を受けているならいざ知らず、むしろコンサバティ侯爵家がトレンドア伯爵家へ援助をしているくらいなのだ。
にもかかわらず、夫は堂々を浮気をして愛人を連れ歩いている。
なのになぜ、義母のご機嫌をうかがうようにアフタヌーンティーをしなければいけないのか?
しかもキンキラの成金趣味丸出しの下品なティーセットで。
(百歩譲って私が超絶ブサイクな貴族女性だったとして。だとしても我慢する必要があるかしら? いや、ないわ。しかも私は、美しい金髪が自慢の、整った顔立ちをしたスタイル抜群の美人なのよ? 澄んだ青い瞳に吸い込まれそうだ、と言われたことが100万回はあるわ。いや、もっとかもしれない)
そう思ってた途端、呪いが解かれたかのようにメリーは今の状況が我慢ならなくなった。
必要以上に地味で安っぽい肌当たりの悪い布を使ったドレスも、すぐに脱ぎたいくらいイライラする。
(夫は金髪碧眼の整った顔をした、貴族男性としては別にどうってことない普通の人よ? なのに美しくて実家も太い、この私を差し置いて浮気するってナニ? このオバサンも、すまなそうにするとか、謝るならともかく、この私を馬鹿にしたような態度をとったりして……どういうこと?)
メリーはスンと冷めた表情で義母を見つめた。
「ちょっ……ちょっと、メリーさん。あなた、どこかがおかしくなったのではなくて?」
さっきまで尊大な態度だった義母は、ハッと何かに気付いたように焦りだした。
「いえ、私が我慢する必要なんて全くなかったな、と思いまして」
「ちょっと、メリーさん。一体、あなたが何を我慢しているとおっしゃるの?」
冷や汗を流しながら彼女の感情を否定する義母に、メリーは何も感じなかった。
なんだったら、ちょっと前まで義母に対して気を遣っていたことにすら腹が立つ。
(こんな人のご機嫌をうかがっていたなんて、私ったら馬鹿みたい)
一度気付いてしまったら、もうダメだ。
メリーは不満を軽く並べ立ててみた。
「この下品なティーセットに、値段ばかり高くて美味しくもない紅茶。浮気する夫に、そんな馬鹿息子を産み育てたお義母さまの厚かましい態度に、ですわ」
「まぁ、なんて不躾なっ!」
義母が痩せ衰えた老体を怒りに震わせているのを見ても、メリーの良心はピクリとも動かない。
不満はもっと沢山あるが、それを言うのも面倒臭い。
これは一体、どうしたことだろうか?
「キャメロン」
「はい、お嬢さま」
メリーは実家から連れてきた侍女であるキャメロンを呼んだ。
「私は実家へ帰ります。支度をお願いね」
「承知しました」
侍女キャメロンは大きな目を見開き、緑色の瞳をキラキラさせて返事をすると、一礼してその場を後にした。
「ちょっと、メリーさん! そんなこと許しませんよっ!」
「お義母さまの許可など要りません」
メリーはピシャリというと椅子から立ち上がった。
「私、離婚しますわ。内容は婚前の契約通りにいたします。詳細については追って実家から連絡させていただきますわ」
「そっ……そんなことっ!」
「揉めないように、キチンと婚前契約を結んでおいてよかったわ」
義母はあからさまに焦りだし、メリーのご機嫌をとるように言う。
「そんな……私はあなたのことを、本当の娘だと思っているのよ。だから、いままで通り我慢してちょうだい」
「お義母さま、ボケたのですか? 私には尊敬している立派な母がおりますし、私たちは他人です」
「そんな、メリーさんっ」
義母が悲鳴のような声を上げるのを、メリーは冷たい表情で見下ろした。
「私は侯爵家の娘に戻りますので節度を持った距離感で呼ぶよう、お願いしますわ。では、失礼いたします」
軽く会釈したメリーは、何かを叫んでいる義母を残し、踵を返してガゼボを後にした。