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1杯目 カーディナル

ここはとある繁華街の外れにある5階建ての雑居ビル。
その2階に位置する『Bar Loiter(バーロイター)』では、本日も閑古鳥が鳴いていた。

「社長ー? 今週始まってまだお客さん2人しか来てませんよー? 何か宣伝とかした方がいいんじゃないですかー?」
あまりの手持ち無沙汰に愚痴を溢すのは、アルバイトの大学生『神谷氷見子(かみやひみこ)』(20歳)彼氏なし。
(彼氏なしまで言う必要あります?)

「宣伝なんてする金がどこにある? 地元のフリーペーパーに載せるにしてもカクテル50杯は売らねばならん程の金がかかるのだぞ」
新聞を読みながらそう返す眼鏡をかけた長髪で長身の男が、この店の社長である『新田教助(にったきょうすけ)』(30歳独身)。
 
「へぇー。地元のフリーペーパーとかってタダで載せてくれるのかと思ってました」
「この世の中は君が思っているよりも金、金、金なのだ。後悔したくなければ、より一層勉学に励む事だ」
「そうですねぇ。社長みたいに30過ぎてもろくに貯金のない大人にはなりたくないので、勉強と就職活動は頑張ろうと思います」

そこへ扉の開く音がした。
「いらっしゃいませ! って高山さんじゃないですかー!」
「やぁ氷見子ちゃん。今日も暇そうだね」
そう言って入ってきたのは、教助の幼馴染で刑事の『|高山誠《たかやままこと》』(30歳)、既婚者で二児の父である。

「お前、今日は客として来たのだろうな?」
教助は目を細めながら誠に問う。
「実はちょっと相談があってな。少し前から連続している強盗事――」
教助は誠の言葉を、「待った」と言わんばかりに手のひらを突き出して遮る。
「わ、分かったよ。じゃあ、ビールをくれ」
観念したようにドリンクを注文をする誠。
「はーい! 今お持ちしますねー!」
やっと仕事が出来て上機嫌な氷見子が、きめ細かい泡の比率が綺麗な7対3のビールを運んでくる。

「こちら本日の※チャームの『ベーコンとズッキーニのキッシュ』です」
※居酒屋でいうお通しのようなもの
「おぉ、美味そうだね。今日のチャームも手作りなのかい?」
「はい、社長の手作りです!」
「毎度こんなに手の込んだ料理や美味しいお酒が飲めるのに、何故この店はこんなにも客が少ないのだろうか……」
誠はわざと大袈裟な動きをつけて嘆くフリをする。
「それはひとえに、社長の愛想が悪いからに決まってるじゃないですかー!」
氷見子もそれに乗り、オーバーな身振りをつけて返した。
「そうだったそうだった! こいつは料理もカクテル作りも一流なのに、愛想だけは三流なバーマンなのを忘れていたよ!」
 
自分を卑下する寸劇を見せられても、顔色ひとつ変えない教助は、2人と目も合わさずに釘を刺す。
「おいお前達、あまり調子に乗るなよ」
「へへへ、すみませんでした社長」
氷見子は舌をペロっと出しながら謝罪した。

「ところで、相談とはなんだったのだ?」
「あぁ、この付近で起こっている3件の連続強盗事件なんだが、捜査をしていくと妙な事が起こったんだ」
 
「ほう……というのは?」

 高山は胸ポケットから手帳を取り出しながら続けた。
「目出し帽を被った犯人が、同じ町内のお年寄りのお宅へ押し入り、住人を縄で縛り金品を奪っていくという手口は同じなんだが、今日、被害にあったお年寄り達が皆こぞって被害届を取り下げると言い出したんだ」
 
「被害者達は犯人についてなんと言っているんだ?」

「それも妙なんだ。3件とも全く同じ手口なのに、3人の証言した犯人像がてんでバラバラで、細身の高身長の男だったとか、100キロ以上ありそうな巨漢だったとか、女性だったという声まである始末だ」

「犯人が複数の可能性は?」

「被害者の証言では皆、犯人は1人だったと言う。そして3軒の被害者宅で漁られた金庫やタンスに遺されていた、被害者家族とは違う共通の指紋が発見された。この指紋の人物を容疑者として前歴を調べたが見つからなかったよ」

「その3軒に残されていた指紋は1つなのに、被害者の証言する犯人像が全然違うだなんて……確かに変ですね」
氷見子が難しい顔で呟いた。

「周辺の聞き込みや目撃情報は?」

「近隣住民によると、大きな音もしなかったし、怪しい人物を見たと言う証言も得られていない」

「1つだけ助言しよう」
「まさか! これだけで犯人が分かったのか?」
「いや、まだなんとも」
「なんだよ。期待させるなよ」
 
「その3軒の被害者宅が共通して利用している、例えばヘルパーであったり、デイサービスの会社に容疑者の特徴に当てはまる人物がいないか調べてみてくれ」

「それならもう調べた。被害者宅3軒が利用していた『訪問介護サービス太陽』という会社の担当ヘルパーの中に、証言と一致する3名の男女が居たんだが、どの人物も犯行時刻には別の介護先に居たというアリバイがあり、指紋も一致しなかったんだ」

教助はスマホで何かを調べながら呟く。
「介護というのは、それはそれは大変なのだろうな…」
「あぁ。どんなに真面目な人間でも介護のストレスによって犯罪を犯してしまう人間は少なくない」

それを聞いた教助は手に顎をのせ、少しの間目を瞑ると再び話し出した。
「高山、もう1杯どうだ?」
「じゃあ、おかわりをもらおうかな」
そう言った誠に向けて教助は左手の人差し指を立て左右に振る。
「いや、この事件にはこのカクテルが合うだろう」

すると背の高いグラスに注がれた1杯のカクテルが提供される。
「これは……なんていうカクテルだ?」
「これは『カーディナル』。赤ワインにカシスリキュールを合わせたシンプルなカクテルだ。ワインそのもので楽しむよりも少しアルコール度数は高くなるが、カシスリキュールの甘みがその飲み口を柔らかくしてくれる」

「本当だ! ワインのあまり得意でない僕でも飲みやすい!」
「社長! 私にも1杯下さい!」
酒好きな氷見子はヨダレをたらしながら催促する。
教助は氷見子にカクテルを提供しながら一言。
「もちろん君の給料から引いておくからな」
「えぇ! そういうのは作る前に言ってくださいよ社長!」

「高山、明日その介護サービスの社員を全員この店に連れて来い。明日は貸切にしておく」
「はぁ? 全員? 10人くらいいたぞ」
「国家の安全を守る為には必要経費だろう」
「そんな経費おりるわけないだろ! また僕のポケットマネーから搾取する気だな!」

翌日、誠は訪問介護サービス太陽の職員をつれて店にやって来た。

「皆さん、事件の捜査協力ありがとうございました。これは僕からのほんの気持ちですので、今夜はどうぞ楽しんでいって下さい」
誠がそう挨拶すると皆グラスを高々と掲げた。

参加したメンバー10名の男女比は8:2と女性が多かった。男性2人の内、1人は身長190センチを越える痩せ型の社員で名前は『|細川隆史《ほそかわたかし》』(25歳)。

そして社長の『|石田太《いしだふとし》』(50歳)である。かなりの巨漢でカウンターの椅子が小さく見える。
社長の石田と細川の2人はカウンターに座り、女性陣はテーブル席に集まり、ガールズトークで大層盛り上がっていた。
 その中には被害者宅を担当していた『|井口遥《いぐちはるか》』(31歳)の姿もあった。

「高山さん、本当に私たちお世話になってよいのですか?」
社長の石田が問う。
「いいんですよ。経費でなんとかしますから」
(嘘である)
「刑事さんってすごいんだなぁ。
こんなのが経費になるだなんて」
社員の細川が呟くと石田がそれに反応した。
「うちとは大違いだな! ガハハ」
「もう! 笑い事じゃないですよ社長!」
その話を聞いていた井口も立ち上がって話に入ってきた。

「やはり今は介護事業も大変なのですか?」
教助がカウンター越しに会話に入る。

「そうですなぁ。介護っていうのは体力や忍耐力も必要ですし、自分で言うのもなんですがそれに対して給料が低い。そういったギャップが、今のヘルパー不足を招いてるんですなぁ」

「ヘルパー1人あたり1日に何軒くらいのお宅を回られるので?」

「だいたい5〜6軒ほどですかな」

「週にお休みは?」

「うちは皆にきっちり週休2日取ってもらってますよ。最近はこの業界も厳しいもんで」

「では実質は1日あたり7〜8名で業務をなさっているという訳ですか。という事はそちらで抱えられている契約者数は大体40件ほどですかな?」

その時、石田の顔がひきつる。
「い、いえ、60件ほど…」

「んー? おかしいですな。それだと1人が1日あたりに回る件数が8〜9軒ほど必要になってしまう。お宅の社員さんは今日来ている方々で全員ですかな?」

「ぜ、全員です。酔っ払って少し計算違いをしてしまったかな。ガハハハ」

「もう社長ったら!」
「本当に社長はドジだなぁ」
井口と細川がそう話を合わせる。

「すまんすまん! 歳はとりたくないな! ガハハ」

「社長さん、おかわりはいかがですかな?」
教助は空いているグラスを差して尋ねる。

「じゃ、じゃあ何かお任せでお願いします」

注文を受けた教助がカクテルを作り提供する。
「こちら『カーディナル』でございます」
そして昨日と同じ説明をすると、教助は昨日言っていなかったことを1つ付け加えた。

「こちらのカクテル言葉は『優しい嘘』。この事件の被害者、及び太陽の皆さんは何か嘘をついておられませんか?」

「な、何も嘘なんかついてませんよ! まさか、まだ私達を疑っとるんですか? 私たちの疑いは晴れたと言ってたじゃないか!」
怒ったように反論する石田社長。

「私はあなた達が犯人だとは思ってはいない」

「おい、教助! 一体どういうことなんだ!」
誠がしびれをきかせて尋ねる。

「この事件の犯人はさぞ皆から愛される人物なのだろう。彼が犯人だと分かっていても、誰もが彼を庇っている。この事件の被害者達も全てを知った上でそれを隠し、優しい嘘をつき続けている」

「……」
太陽の社員達は突如一斉に口をつぐむ。

「私の推理が正しければ、太陽には社員が少なくともあと2名在籍しているはずだ」
「ちゃんと資料も調べたが、現在の社員はこれで全員だ」
誠がそう答えると、教助は店のレジの方向へ歩きながら背中を向けて続ける。
「では表向きは辞めたことにしているのだろう」

タブレットを持ち出した教助は太陽のホームページを開き、その中にあった1枚の写真に写っている中肉中背の男性を指差し尋ねる。
「この男性はいつまでそちらに?」
「1年前まで……」
石田が絞り出したような声で答える。
「辞めた原因は?」
「……」
石田が沈黙を貫いた為、教助が推理を始める。
 
「ここからは私の推測だが、この男性は夫婦で太陽に勤めていたのではないだろうか。夫婦はとても良い介護士で同僚や利用者からも好かれていたが、事故か病気が原因で妻に介護が必要となった。夫はしばらく仕事を休んで妻の介護に専念したが、次第に金がなくなり困った彼は、生活サイクルを知っている利用者の家に押し入り強盗を図った。だが、声でなんとなく彼なのではないかと思った被害者達はこぞって彼の特徴とは全く違う別人の証言をした事によって、この事件は難事件へと化したのだ。後に被害者同士で話し合い、被害届を取り下げようとなったのも頷ける」

「まさかそんな事が……」
誠が唖然とする。
「もちろん事件の話を聞いた太陽の職員達にも、犯人の目星は初めからついていたはずだ」
「そうなんですか? 石田さん」

誠に尋ねられ、目に涙を浮かべながら俯く石田はゆっくりと話し始める。
「彼は……中出くんといいます。彼は私がこの会社を始めた当初からの社員で、本当に心の優しい青年でした。利用者の方々からは、指名が相次ぎ名実ともにうちのエースでしたよ。社内恋愛の末、良い伴侶にも恵まれて彼はとても幸せそうに働いていました。それなのに、なぜ神はあんなに辛い試練を与えたのか。彼の奥さんは去年脳卒中で倒れ、一命は取り留めたものの、話す事も動く事も出来なくなった」
 
石田は涙を袖で拭いながら続ける。
「そんな状況になっても彼は、自分が介護士になったのはこの為だったのかもしれないと、私にそう言ったんです。彼はこんな犯罪を犯すような男じゃない……!」

こうしてこの事件は幕を閉じた――。
 
事件から数日後、氷見子が教助をバックヤードから呼び出す。
「社長ー? 高山さん来てますよー!」

教助は誠に事件のその後を尋ねる。
「それで、その『中出』とやらはどうなったんだ?」
「情状酌量が認められたよ。奥さんを施設に預けて、また太陽で働き始めるそうだ」
「そうか……」
「あまり嬉しそうじゃないな」
「あの連中の『優しい嘘』を暴くだなんて、無粋な真似をしてしまったのではないかと思っていてな。被害者も納得しているのではあれば、横から口を挟む必要などなかったのではないかと」
 
誠は教助の言葉に反論する。
「それは違うな。一度犯罪に手を染めてしまうと、人間は自分じゃ歯止めが効かなくなる。それがどんなに良く出来た人間だったとしても、誰かが止めてやらなきゃならない。それが本当の『優しさ』なんだと僕は思う」

「刑事らしいことを言うじゃないか」
「敏腕刑事だからな」
「いつか私がそうなってしまったら、君に止めてもらうとするよ」
「おいおい、怖い事言うなよ」
こうして長い夜は老けていったのだった。

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