焦るエミール 2
このままではイングリッドを誰かに奪われてしまう――――
エミールは感情のまま、父に訴えた。
「アデルとの婚約を破棄して、私はイングリッドと婚約しますっ!」
「何を言ってるんだお前はっ!」
カルローニ伯爵は激怒した。
婚約を整えてしまえば落ち着くかと思った跡取りが、いまだ悪い夢から覚めないからだ。
「アデル嬢との婚約、および結婚は絶対だ。何度も言っているではないか。我々には使用人の生活を守る責任が……」
「父上はいつもそれだっ! 私と使用人、どちらが大切なのですか⁉」
「そのような問題ではないっ!」
カルローニ伯爵は、苛立ちのまま頭を抱えて叫んだ。
「我々には責任があるのだっ! 商会を守らなければならないのだぞ⁈」
何度言って聞かせても、バカ息子が納得する様子はない。
父の説教など聞き流せばいい、後は自分の良いようになってく。
カルローニ伯爵の目からは、息子の考えが手に取るように見えた。
商売人としてのカルローニ伯爵は、そこそこに優秀だ。
抜群に優秀でないことは、本人も自覚していた。
だからこそ、キャラハン伯爵家との縁談を調えたのだ。
キャラハン伯爵家の当主は賢い。
その息子もやり手と聞いている。
逆に我が息子がやり手にはなり得ないことも明白だ。
現在の我が商会が、国内随一の売り上げを誇る商会であることは事実である。
しかし、将来に渡ってそうであり続けるとは限らない。
庶民相手の商売は移ろいやすいのだ。
薄利多売の商売は、風向きが少し変わればガラッと事情が変わる。
だからこそ、キャラハン伯爵家との繋がりは大事なのに、我が息子は理解する気もないのだ。
商売の恐ろしさを、我が息子は理解できない。
息子を愛してはいるが、大事な商会をバカ息子だけに任せるリスクはおかせない。
だから、対策を講じたのだ。
キャラハン伯爵家の令嬢と結婚により足元を磐石にしておけば、めったなことにはならないだろう。
それにアデル嬢は、しっかりした娘さんだと聞く。
貴族令嬢としては賢さは欠点になるが、我が息子相手であれば長所だ。
賢く支えてもらえば、バカ息子でもなんとかなるだろう。
カルローニ伯爵は、そう考えたのだ。
だが、当の本人が全く分かっていない。
「そもそも、なぜ王都のペントハウスを、あの女と会うために使っているのだ?」
「我が家が所有する一番小さな部屋を使っているのです。文句を言われる筋合いはありません」
「何を言っている? あの部屋は我が家が所有するなかで本宅の次に高い物件だぞ」
バカ息子は全く分かっていないようで、キョトンとしている。
サイズでいえば小さいが、ベントハウスの価値はそれだけで決まらない。
立地や付随して受けられるサービスが重要だ。
王都の中心部に位置し、王城へも近いペントハウスは立地も良いし、優秀な使用人たちによるサービスを受けることができる。
「家の価値は広さだけでは決まらないと、あれほど言っただろうがっ!」
カルローニ伯爵は、いくら教えても育つことを知らない息子に疲れていた。
「そんなこと知りませんよっ! 狭かったら狭いなりの家でしかありませんっ! しかも、あそこは家ではなく部屋じゃないですか! 一番小さい部屋を選んだというのに、それでも文句を言うのですか父上はっ!」
顔を真っ赤にして怒る息子は、真剣にそう思っているようだ。
簡単なことが理解できない息子に、カルローニ伯爵はイライラしていた。
どういえば自分の息子を賢くできるのか、カルローニ伯爵には分からない。
分からないからこそ、怒りは彼の思考を焼いた。
「当たり前ではないか! 我が家の当主は私だ! 私の言うことが聞けないのか⁉」
「次のカルローニ伯爵は私ですっ! 自分の権利を主張して何がわるいんですかっ!」
父の様子すら察することのできない息子は、状況が自分にとってかなり不利な方向へと動いていることすら気付かない。
気付かないどころか、とどめを刺すように叫ぶ。
「私はアデルとの婚約を破棄し、イングリッドと婚約しますよっ!いいですねっ⁉」
エミールは怒鳴りながら書斎から出て行った。
その後ろ姿を見送りながらカルローニ伯爵はガックリと肩を落とし、ため息を吐いた。
(これはもうダメかしもれない)
カルローニ伯爵が心の底から思った瞬間である。