第115話 老人と『敵』
「確かに今度あの『特殊な部隊』に入った神前誠少尉候補生。彼の出自に不自然なことは書類上無い。あえて言えばとてつもなく『乗り物酔い』がひどいことぐらいだ。だが、そもそもこんなに不自然なことが無い人物をなぜ嵯峨君が選んだのか?そう考えてみたことは無いのかね?嵯峨惟基。甲武国陸軍大学校で卒業証書を破り捨てて、「『
そう言うとカーンはグラスを手に持った。
「君は認めたくないだろうが、私の知っていることを話そう。あの男には『運』がある。そして、別の名前で同じ顔をした男が、崩壊寸前の遼大陸戦線で指揮した貧弱な装備の大隊が遼北人民軍の百倍の戦力相手に『負けなかった』と私は聞いている。私はそんな『不敗の男』興味があるね。君は興味が無いようだが、私には『興味』がある」
近藤は目の前で敵を誉めつつその言葉に酔いかけている老人にそう言われて言葉に詰まった。見るべきものを見落としていた。そのような老人の言葉を聞けば、老人が何を言わんとしているか、そして報告書を提出したことに関して一番欠けているものは何かを察することができた。
『この老人は私と甲武国の『官派』の同志達を『利用』している。恐らく、あの嵯峨惟基と呼ばれる存在も……ならば、我々も動いて……出方を見よう』
近藤はそう思いながら静かに『貴賓室の闘士』に頭を下げた後、敬礼した。
敬礼を終えて納得した顔をした近藤を見て、カーンは満足しながら話を続けた。
「敵であれ尊敬すべき人物だよ、嵯峨君は。地球圏や他のどの確認された軍事勢力にも彼ほどの人材はいない。敵として当たるに対して彼ほど愉快な人物はいないよ。そんな彼が選んだ人材なんだ。敵に値する嵯峨君が選んだ人材なんだ。彼が選んだ青年が私達を失望させるような『語るに足りない凡人』では無いと考えるのが当然の帰結だろ?」
そう言うカーンの口元に満足げな笑みが浮かんでいるのに近藤は気付いた。
そして、その笑みはカーンの踏み越えてきた、敵味方を問わない死体の数に裏打ちされていた。
「近藤君は……前の大戦では司令部勤務か……それでは仕方がないね。この私の胸に湧き上がる『愉快な気持ち』は近藤君には理解できないだろうな」
「『愉快な気持ち』……ですか……」
カーンの問いに近藤は口をつぐんだ。自分の『第二次遼州戦争」の開戦から敗戦までの経歴が軍の参謀部勤務だということはカーンも十分に承知しているはずだった。
「それならばこの件も含めて少しは前線の地獄と言うものを味わった方がいいのかもしれないな……君は。司令部の『楽観主義的』な空気は、人間の闘争本能をすり減らすものだ。そしてその闘争本能無しには、既存の秩序を変えることは難しい。一方、君は認めたくないようだが、嵯峨君はもし私の情報が確かなら、戦争の『裏側』で常に最前線に身を置いていた人物だ……彼なら私の高揚する気分を説明できるだろう」
近藤にはカーンの言葉は理解できなかった。戦争には表も裏も無い。強いものが勝つ。そう思っている自分をカーンは憐れむような目で見つめている事実が近藤には許せなかった。
それと同時に勝てるはずの戦いに敗れていく最前線の兵士達に感じた負い目と言うものも思い出して近藤はただ黙り込むしかなかった。
「戦争はね、政治なんだよ。中でも嵯峨君は特に『見えない敵』と常に渡り合う必要のある困難な仕事をしていたようだ。君にはそれを知る機会は十分にあったんだ。君は前の大戦でも、そして今でも知ろうとしなかった。……それだけだ」
近藤はカーンの言葉の意図を図りかねた。
「自分達、『戦争指導者』は決して『楽観主義者』などではありません!」
ようやく近藤の発した言葉にカーンは静かに首を横に振った。
「そうかな?私から見れば君達はあまりに『楽観的』だ。その『楽観主義』が前の大戦の敗戦を我々に味あわせた。私はそう思っているよ。嵯峨君も、きっと同じことを言うだろう。間違いなく」
嵯峨と言う名前を口にするたびにカーンは愉快そうに眼を細めた。
近藤は黙ったまま静かにカーンを見つめている。その意思と寛容が混ざり合うような落ち着いた言葉とまなざし。言っていることにはそれぞれ反論はあったが、近藤はカーンと言う闘士の怖さを再確認した。
意思と経験と洞察力。そのすべてにおいて自分はカーンの足下にも及ばないことはこの数分で改めて自覚された。
「それでは例の計画を早める必要があるのでは?表面的にはわからないことでもこちらから動いて見せれば馬脚を現すこともありますから。少なくとも読書ばかりで頭の回転の良くない『中佐殿』あたりが暴走してくれれば……いくらでも手は打てますが?それでおとぎ話に言う『法術師』とやらの実力の程がわかれば……」
そんな近藤の言葉に、カーンは落胆したように視線を外のデブリへと移した。
「いや、それについて君が口を挟む必要は無い。下がりたまえ」
カーンは強い口調でそう言った。その語気に押される様にして近藤は軍人らしく踵を返して部屋を出て行こうとした。
「ですが……」
再び口を開いたカーンの言葉を聞くべく近藤は振り返る。
「私達の組織とこの艦隊の行動は無関係であると言うことを証明できるのであれば、君達は独自に君がおとぎ話だという『法術師』の実力調査に動いてくれてもかまわないがね……すでにこちらは『下準備』ができているんだ。あとは君の決断次第……まあ自由にしたまえ」
その一言に、近藤は親が新しいおもちゃを与えられた時のような笑顔を浮かべた。
「わかりました!それでは我々は独自に行動を開始します!」
実直に過ぎる近藤が去って部屋は沈黙に包まれた。
カーンは再びブランデーグラスを眺めると満足げにうなづいた。
「君は君にしてはよくやったよ、近藤君。あくまで『君にしては』だがね。昔の中国のことわざに『
カーンはそう言うとほほ笑みながらブランデーグラスのそこに残った液体を凝視した。楽章が変わって始まった楽曲の盛り上がりにあわせる様にして、カーンはブランデーを飲み干した。
静かにため息をつくとカーンは手元のボタンを押した。外の景色を映し出していた窓が光を反射してモニターへと切り替わる。
そこには冴えない表情の新兵が、いかにも恥ずかしげに映り込んでいる身分証明書の写真と横に説明書きが映し出された。
「『
まるで孫に語り掛けるようにカーンはそうつぶやいた。手元のボタンを押すといくつもの『神前誠』の日常を写した写真が映し出される。
「まあいい。近藤君も新たな『法術師』、神前誠と言う新兵を『英雄』にする戦いの『噛ませ犬』を志願してくれたことだ。じっくりと見させてもらおう。ちゃんと『法術師対策』の糸口を見つけるための『
カーンはそう言って静かに目を閉じてうつむいた。