第113話 報告書
「例の報告書は読んでいただけましたでしょうか?」
近藤はそう一言一言確かめるように言った。
老人の目に生気の炎のようなものを近藤は感じた。
悠然と構える老人の名はルドルフ・カーンと言った。遼州系第五惑星系を領土とする大国。先の大戦の敗北まで『ゲルパルト帝国』と名乗っていた軍事大国の秘密警察のトップを務めた男だった。彼は地球圏各国政府や遼北人民国の特殊警察が血眼になって探している先の大戦の『第一級戦争犯罪者』である。
その屈強な意思は遼州外惑星の大国であり先の『第二次遼州戦争』で地球圏に反旗を翻したゲルパルトを追われた同志達を、敗戦後二十年にわたり指導している人物ならではの力を持っていた。
「ああ読ませてもらったよ」
それだけ言うとカーンは近藤を試すような沈黙を作り出した。
数多くの敵対危険分子の拷問に立ち会ったことのあるカーンにとって、聞きたいことを尋ねるより、沈黙することの方が人に真実を語らせる鍵になることをわかっていた。カーンに黙って見つめられて、近藤は額に汗がにじむのを感じていた。
カーンは静かにブランデーグラスを眺めていた。
「ところで、君は敵に対する敬意と言うものを持っているのかね?あの報告書の内容はいい。ただ、もしそういうものが君に少しでもあったのなら、あの『身勝手な推測と予測』に裏付けられた報告書を私の目に触れさせる様なことはしなかったと思うね。『法術師』を少し見くびりすぎだ」
カーンは冷たくそう言って近藤を突き放した。
「しかし閣下。わが国には『法術師』のデータが不足しています!数少ない遼州からの移民の中に稀に『法術師』がいるのは確かで、軍は調査の依頼を政府にしているのですが……」
「身分制度があり、地球の日本の高貴な血筋の持ち主には国を統治する権利がある。その国是が『法術師』に関しては悪く働いているね。地球人は遼州人より優れたものでなければ平民の遼州移民達を支配することができない。時折起きる『人体発火事故』で『法術師』の中に発火能力者、『パイロキネシスト』がいることは分かっているが、甲武ではそれも原因不明の事故として無かったことにされている。困ったものだ」
そう言って老人はブランデーを口に含んだ。
「『パイロキネシスト』の利用方法については西モスレム諜報部の対遼帝国工作班の方が詳しいだろうね。人体発火は人間の水分をすべて使って水蒸気爆発を起こさせることができる。君達甲武軍人の『護国の軍神』特攻隊員達の行った自爆攻撃を素手で行うことができるんだ。西モスレムの反同盟主義者が仕切っている対遼帝国工作班は遼帝国西部のイスラム化のために効果的に自爆攻撃を使っている……まあ、君たち甲武軍人にはその程度の知識も無い訳だ」
皮肉めいた老人の言葉に近藤は口を真一文字に結んだ。
「報告書とはすべてありのままの事実を報告するから『報告書』と呼ばれるのだよ。推論と決めつけだけで書いていいのなら、それはタブレット紙の見出し記事と同じ価値しかない。まあ君の情報網がそれどまりなら話はわかるが。私の情報網が捕らえたCIAの工作員が吐いた『法術師』の『素質』の多様性はこの報告書では説明がつかない。いや、一工作員の知りうる『法術師』の素質なんてたかがしれている。私が望んだのはアメリカ政府や東和共和国政府が握っているであろう『法術師』の可能性に少しでも近いものが記された報告書だ。それでなければ無意味だよ」
そのカーンの否定にまみれた言葉を聞くと、思わず近藤は額の汗を拭っていた。手にした情報の価値を過小評価されたという事実が彼の語気を激しいものとした。
「ですがカーン閣下!現状として我々が表立って我等と同志達が動ける範囲といえば……悔しい話ですがかなり限られています!その中でできる限りのことを調べ上げたつもりです!それに『法術師』などは多少脳波に異常がある遼州人程度のモノです!何するものでもありません!軍人は銃と剣で戦ってこそ軍人です!発火能力などテロリストに独占させておけばいいんです!」
近藤は机に両手を突いて叫んだ。だが、カーンは表情を一つ変えることもなく、ただ感情的になった近藤をはぐらかすように再びブランデーグラスを手にした。
「言い訳は生産的とは言えないな。情報統制に関していえば向こうには、東都共和国の『切り札』の『公安機動部隊』と言う存在がある。まあ、君のような『金集めが得意なだけ』の軍人は見過ごしてしまうものかもしれないがね……まあ戦争に資金が必要なのは事実だが……情報はそれ以上に重要なんだ。そこのところを理解してほしいんだ『ビッグブラザー』……君もその存在は知っているだろ?」
近藤は表情を変えることが出来なかった。あっさりと自分を『金集めが得意なだけ』と斬って捨てる老人の残酷さにおびえていた。
「嵯峨と言う男が東和共和国の『公安』を味方につけているというのは、あくまで噂です。あの男が時に『時代を読み切った』ような手を打つのは偶然です!それは嵯峨と言う男が作り出した『虚像』だと私は判断しました!」
「そうか?なら、そうしておこう。それが『虚像』なら、この報告書には矛盾が無いと読める。まあ、読むまでもなく、『結論』ありきで書いてあるから、この報告書に『矛盾』が無いのは当然だな」
そう言ってカーンは静かにグラスをテーブルに置いた。